スエーデンの民主社会主義
07/06/14 南方週末 丁剛
スエ−デンの社会保障の実践は以下のことを証明している。
平等の精神無ければ公正な分配がなく、財産の維持が困難となり、それは社会の動乱を呼び起こし、経済の発展をも押し止どめる。
社会保障のことを語るとき人々は、そこに「美味しいケーキ」を期待する。
だがスエーデンが理想郷「人民の家」を構想したとき、とてもケーキなどの甘いものを予想さえ出来なかった。
経済を発展させ、社会の基礎を固め、そしてただ、「自由・平等・民主・共同」の社会を築き、その後に出来るだけ公平な財産分割を期待した。
スエーデンには貧乏人は居ない
1932年、スエーデンの選挙で社民党が勝利し、その後連続して40年以上政権を取った。当時のGDPは人民元に直して1234.9元(15倍して日本円)だった。欧州での経済的水準は第7位。1960年に社民党が政権を獲って30年後GDPが8615元となり、約1000ドルの大台になった。 勿論、もし世界大戦がなければもっと早く経済成長が実現していただろう。
世界大戦終了後スエーデンの社会保障制度は体制を固め、全国民の就業、養老金・医療保険の完全化、無料教育開始等が実現し、それは「黄金発展期」と呼ばれた。
1980年になって、スエーデンのGDPは57161元になった。それは1960年の約6.6倍になる。それは世界でもっとも発達した国家と言われるだけでなく、国連では第4位と位置づけられている。エリクソン、
ボルボ、イケアなどの世界的企業の名前だけでは判断出来ない。そこには公平・透明な制度がある。
とくに透明という点はアメリカの貧しい人と比べれば明確だ。
1990年代初め、私はスエーデンに留学した。その時に寄宿した「ノーデロス」さんを語ろう。
彼は退職して毎月の退職金は6000元、それは約1000ドルに相当する。収入から判断するとかなりの貧乏人だろう。しかし彼には1戸建ての家と2階建ての別棟があり、それは中国で言えば最高級の別荘に相当する。
彼の別棟の庭には草花が植えられていて、ガラス張りの花壇もあった。
その隣には一人の大学教授が住んでいて同じような1戸建てだった。
ノーデロスさんには2人の男子が居て、2人とも有名私立大学を出て、上の子が教授になり下の子は技術者だ。
アメリカではノーデロスさん程度の収入では子供を私立大学に入れることは出来ない。勿論あのような1戸建ての家にも住めない。
その理由はノーデロスさんは子供を大学に行かせるためにお金を貯める必要が無かったこと、退職後の生活に心配がなかったこと、医療も完全看護などの制度にある。
私自身もスエーデンに滞在中、保険の登録、薬代、治療代、検査など全てで1800元だけ出せば良かった。以降は全て無料です。
スエーデンでは銀行に口座を作ることは誰でも簡単です。しかしアメリカでは収入証明が必要で、一定程度以上の収入が必要です。
しかも3%以上の登録費が必要です。
アメリカでは収入が社会的評価に大きく影響しています。しかしスエーデンでは人々は社会福祉を重要視します。
各種社会保障を考えて総合的に生活水準を計るとすると如何になるか、それを国連衛生局がアメリカよりスエーデンの方が高いと評価している。
スエーデンの貧しい人はアメリカの貧しい人よりも遙かに高い「社会的体面」を持っている。それが社会全体の安定と協調を創りだしている。
社会的危機が転機となった
19世紀のスエーデンは貧しい国家だった。スエーデンの産業革命は遅く1830年代になって始まり、広がったのは1870年代だ。英国やドイツの後を追いかけながら鉄鉱石や木材産業の供給国となった。当時の生活水準は極悪で自分で働いて作った商品を買うことが出来なかった。政治的にも差別があり、選挙権は年収800元以上の人のみで、ノーベル賞文学者のストリンポーが「紅部屋」の中に次のように一人の職人の生活を描写している。
「奥さん達よ、毎日の生活は全くその日暮らしだね。これから良くなる見通しもない。我々はこの貧しい長屋の中で毎日喧嘩しあって生きているが、安心して寝られる状態をどうして取り戻そうかね」
周辺の資本主義国家と同じように劣悪な生活を送っている勤め人達の生活、その社会全体が一つの変換期にあった。そこへ社会主義運動の時代到来だった。
その時代を代表する人物の一人が「オーグスト・パルモ」氏で彼はドイツやデンマークで社会運動の経験を積み、1881年にマルモ市で「社会民主主義とは何か」と題して演説した。
”生産の出来高を労働者と資本家が半分ずつに分けることは、資本家は多数の労働者を雇っているので収入が多くなり、不公平だ。国家が分配を公平に出来る制度のものに作り替えようではないか。”
1889年スエーデン社会民主党が成立し無階級の社会を最終目標とし、普通選挙権を当面の目標とした。ただその方法として暴力的な手段を執らないとした。
その後社会が発展し普通選挙権が1921年に実現し、大きな労働組合が出来、それが社会民主党を強化し、長期政権の基礎を作った。逆に生産の国有化は遠のいた。
1929年世界恐慌が発生しスエーデンをも襲った。失業者が街に溢れ、貧農の差が拡大した。2年後に北部の街オッタワで大ストライキが発生し、政府が鎮圧に軍隊を投入し5人が亡くなった。
同じ年マッチ製造業の社長、クロックが証券暴落が原因で自殺。当時の首相もそれに巻き込まれて内閣が倒壊。それ以降スエーデンの経済に麻痺状態が続いた。
1932年、社会民主党が政権を獲り「人民の家」を計画。福祉国家の建設が始まった。 その動きは、当時のアメリカや西欧なども国家が社会計画に参与・投資する傾向を強めていたのでスエーデンも同じようであったが、スエーデンの場合は労働組合が強く、平等と協調の理念が強い面が異なった。
労働運動が強く、政府と雇用主との3者の代表が話し合いを続ける方式が国家の運命を決定した。労使の協調が国家発展の新しい方式を発見した。
その方式は歴史上存在したことはない。ただ1932年に社会民主党が政権を獲る前から社会保障の初歩的な段階が実施されており、同時に伝統的な宗教とも大いに関係していた。
キリスト教の「汝の隣人を愛せよ」と言う言葉がある。その考えは昔スエーデンが海賊時代から形成されており、民族精神として形作られて行った。
そのことは現在の教科書に次のように書かれている。
19世紀初めから社会福祉の思想は芽生えており、教会活動の中でもその実現を政府の当然の責務として考えられつつあった。
そうさせた主要な原因は産業革命で大量の農民が都会に集まるようになり、都会では貧富の格差が広がったこと。また、もう一つの理由は政教分離が進み教会の権限が制限されたことにある。
1847年と53年に2度議会が「貧民救済法」を採択。如何なる貧民も衣食住を保障されるべきだ、と言う考えだ。
教会が独自に計画していた救済の手段が政府に委託され、政府の行動範囲が拡大し、貧民救済の道徳的観念も深く浸透した。
1847年「貧民法」が議会で可決。1901年「障害者保障法」も一部可決。1910年「医療保険法」が可決。1913年「養老保健法」が成立。それが社会保障の基礎を作っている。当時の平均的GDPは現在の656元に相当する。欧州では上から第9位だった。
これらの歴史的と言える積み重ねがあって、社会民主党が結成された。
だが当時の欧州では、例えばドイツのビスマルクは「社会国家」と言う言葉を使い、社会主義を押しとどめる手段として社会保障を考えていた。というのはスエーデンで「養老保険法」があったが1940年代でその恩典を受け入れられる人は老年人口の40%に達しなかった。また「貧民救済法」に適用された人は選挙権を失った。つまり労働者は社会に支配される階級で社会の主体にはなり得ないと言う思想だった。
つまり社会民主党が理想としたものと当時の欧州が考えていたものとは全く別の思想だった。
スエーデン社民党が考えた理想とは、人民が社会の主人公で、社会保障は救済の手段だけではなく、誰もが自由・平等に社会参画する為の基礎条件を作るもので、それがあって初めて経済成長の動力源が構成される、と言うものだった。
このことはずっと後の1980年代になってデンマークのアンダーソンという学者が18の欧米国家を調査して次のように発表した。
”北欧の民主社会主義の国家では「救貧」と言う考えは絶滅している。誰もが普通の生活を保障されることは当然の権利だ。アメリカやカナダではまだ国民の一部を貧窮の生活に陥れた後「救貧」すると言う差別思想が露骨だ”
西欧では社会改革の運動を推し進めた力の大きな部分を教会の「道徳信念」が受け持った。或いは博愛・人道主義とも表現される。
ただその実現方法をスエーデンの社民党は大きく変革することに成功した。
「社会福祉国家が当面する課題」の中でドイツの学者カウフマンは「自由、権利の平等を市場経済の中で理想的に実現すること。それはキリスト教の啓蒙を受けて西欧社会の中で生まれた」と記している。
社会党が国際的に認知された次の声明がそれを示している。
”欧州ではキリスト教義と社会主義の思想はその源泉で一致する”
1932年の選挙に当たって社民党は「生産の国有化」を目標に出さず、「平等、互助」を提示した。
当時の人に聞くと「社会福祉」と言う言葉は人々にとって”美味しいケーキ”には思えなかった、という。当時必要だったのは先ず分配面での”公平”だった。これは後日正しい選択だったと言われている。
当時のスエーデンの経済はかなり出遅れていた。貧民が急速に作られ拡大していた。しかし先ず、政治の安定が、透明な規則による運営が求められていた。
スエーデンは政治運営が比較的早期に公開された国家である。1766年には既に議会で政務の公開を決めている。これは世界でも最先端を行っていた。例えばアメリカでは1966年に情報公開法が採決されている。スエーデンに遅れること200年だ。
でもこのことは不思議ではない。スエーデンは18世紀に「自由時代」を経験し、開放的な国家に成長を始めている。政党制度のひな形が生まれ、文化も豊富になった。国民の政治意識も高まり、史書には文化が栄えたことと党派闘争が盛んだったことが記されている。
1809年に欧州では最初の成文法が実現し、スエーデンへの投資を誘う文書の中に「国際化、透明性等がスエーデンを豊かにし誇り有るものにしている。そのことが経済を発展させている。その原因こそ国民による公平・平等の要求が高いからである」と記されている。
このような道徳的政治的成長があってスエーデンに社民党が生まれ、社民党が分配の公平を実現する改革を進めている。
分配の公平に向けて
スエーデンの経済学者メンデルは、スエーデンのやり方を「全民就職、平等」が中心的な目標だ、と述べている。
そのことは社民党結成以来の政策の中心になっており、苦闘の核心でもあった。
また1932年の出発時は欧州内では経済的に後れた国家であり、そのような状況下で「自由・平等・協働」を追求することは大きな制約があった。
出発に当たっては公共部門の産業を拡大し、その中の技術職を増加させた。それは1面で「ケインズ主義」として非難されたが、似て非なるものであった。
中心目標「全民就職」は社会福祉実現に全民が参加することを可能にする。実際、1960年から1990年までの30年間で失業率が3.5%を超えたことがない。欧米国家の中ではほとんどそのようなことはない。
1930年以降この「全民」と言う意義が強調されてきた。アドル・カールソンという学者は「技能社会主義 それはスエーデンの理想」と言う書の中で「社会主義の第一義は人民大衆全体の利益を追求することで、少数の特権階級を作ることではない。具体的に言うと男女の別や身分の上下、職業の種類等々に関係なく誰もが公平に社会保障の創造に参加することだ」と記している。
また、就職も養老金も児童手当も医療保険も住宅も、誰もが受給する権利があり、その実現に政府は責任がある、とも記している。
社民党の理論家達はこの問題を整理し次のようにした。
”「全民参加、全民享受」の方式は文章だけの問題ではない。
多くの資本主義国家、特にアメリカなどで資本家が握っている重要部門の技術や管理権限を奪取することが重要だ。
”
ではこの技術と管理とはどのような内容か。それは職業訓練、教育、医療、養老、などの領域の資源を国家が統一的に公平に分配すること。
これは「経済領域の私有化を社会領域化すること」と考えられている。
私はスエーデンで6年間生活した。だがスエーデンで「全民」と言う言葉を理解するのに随分苦労した。
すると現地の友達が次のように教えてくれた。
「収入の少ない人、逆に優秀な大学教授、さらに公務員、このような違った立場・地位の人達が同じような医療福祉を受け検査を受けること」と説明してくれた。説明されれば簡単なことだった。
スエーデンでこれらの政策の実現には多くの社会的衝突が起こったであろう。かっての貧窮国から富裕国家への変身、公平社会の実現は、大きく変化に富んだ複雑な過程を経て実現されたであろう。道徳や文化等も関係している。分配の公平化は自然に放置しては実現しないだろう。だが一度公平化が実現すればそれはより一層高度な経済発展と「社会内部の協調を生むだろう。
注)作者は北京で有るメディアに従業している
資料
○ 国連発表によると世界での文明度はスエーデンは第5位。
○ 賄賂の少なさは世界第2位。
○ 2006〜2007年度の国際競争力はアメリカ、フィンランドに次いで第3位。
○ 情報化は2000年にアメリカを抜いた。
○ ジニ指数は0.3で世界で収入の格差が最も少ない国家。
訳注:ジニ指数
所得分布などのように、統計の各個
体(標本)の大きさに関する分布状況
について、その平準度を見るための
指標。値が小さいほど平準度は高い。
日本は2.0を超えている。
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訳者注:
「スエーデンには貧乏人が居ない」という
タイトルを訳しかけて驚きました。
公平、平等、社会的協働、全民医療、住宅無料化、教育無料化、どれもこれも中国では実現しなかったものばかりが列挙されています。
中国の社会主義では全く反対の体制と歴史を作ってきましたね。天国と地獄の差を感じます
数年前まで、(1995年頃まで)の如何なる文章にも「中国の党は全人民の利益を守る先頭に立って闘う」と言う言葉が必ず先頭に記されていました。
”この全人民の利益”という文字が何を意味するのか現実を見ると全く想像も出来ませんが、本当に建国後の50数年の歴史は何だったのでしょう。
まして、中国では数年前まで北欧の社会民主主義は修正主義と言って非難してきました。良くも言えたものでした。
今になって何故北欧のことを紹介するのでしょうか。この記事を農民が読めば泣き出すでしょう。
しかしこの記事は日本人にとっても有益な話ではないでしょうか。
私自身はキリスト教と社会民主主義の博愛・平等の理念が出発時点では同じであった、と言うところに感心しました。
(中国では宗教を阿片だと断定しました)
日本でも20年程前まではスエーデンよりも中国の社会主義を賛美した学者が居たのではないでしょうか。