事件解決に新聞記者が必要か

078/08/23 南方週末 蒋興華

 5月1日は労働節で休日だが、昨年の5月1日のことは忘れられない。

 06年4月30日の午後、「中国改革報」の記者、梅さんが「事件発生!明日は現場に行こう」と駆け込むように事務所に入ってきた。だが、私には翌日の休暇を利用して友達と遊びに行く約束があった。それで同行を断ろうとすると、梅さんは「だめだめ、出稼ぎ農民が5人ほど死んだ大事件だ」と、私を誘う。
 その態度からして重大と悟った私は約束の友に事情を話して明朝事件現場へ出かけることにした。

途中梅記者が説明してくれたところによると、街外れの山に近いところで給油所を建設したが、施工業者が安全と規則を無視して建造したため現場が崩壊し6人が死んだという。
工事関係者達は事件の責任を死亡者に押しつけ、うやむやに終わらせようとしていると言う。それで遺族の関係者達や周辺の住民が怒っているという。
 現場まではとても遠距離でしかも道路が悪く、車が上下に激しく揺れてやっと到着したときは夕暮れの7時だった。

 車から降りるなり私たちは周辺住民に囲まれた。彼等によると、記者が来ることが判って工事業者達は慌てだし、住民達に事件の詳細を話すと住民に不利になるぞと恐喝し、明朝記者を追い返す、と言って引き上げたという。

 長距離の乗車で喉が渇きお腹も減っていたが、そこは職業観から、住民達への責任感も生まれて現場へ直行し、薄暗い現場で数枚の写真を撮った。さらに遺族の家を訪問し事情を説明してもらった。

 現場は極めてひっそりとしているが、周辺の村人達は誰もしくしくと泣いていて哀切の雰囲気がみなぎっていた。
 記者が遺族の家に到着すると、白い喪服を着た家族達が記者の前に倒れるように座り込んで「公道に沿って解決を」と哀願するのだった。だが不思議なことに遺体そのものには会うことが出来ないのは気になった。

 村から出て食事の場所に向かったのは夜の10時を過ぎていた。
その後、遺体そのものに会いに出かけた。遺体は工事業者が持ち去ることを畏れて村人達が山奥深く隠しているのだ。
 季節は夏の終わり頃というのに、深夜の山の中は肌寒く、道中は隠れるように懐中電灯も時々しか点けず、谷の中の草むらをかき分けかき分け歩いていった。1時間以上掛かったその道中の一行の姿は鬼気迫るものがあった。

案内してくれた村民の話によると、業者は村の幹部を買収しているので、遺体の場所が判れば強引に遺体を焼却してしまう恐れがあるという。
 やっと谷深く隠された棺桶に出会った。死後数日経つのに土地に返さないでこのような山中に隠しているのは新聞記者に見せるためだったと説明する村民達の声は、しくしくと泣く者あり嗚咽する者ありの悲哀の状況だった。

 深夜の山奥、寒風の下で棺桶に出会う。私の心は「天よ神よ」と叫びたかった。
 
農民の臨時工が事故に遭い、しかし業者は村幹部を買収して正当な賠償を支払わないために、住民達は協力団結して報道機関に頼ろうとしているのだった。

棺が開けられたが周辺は漆黒の状態。村人達の視線を受けて、そこは職業観で必死になって写真を撮った。

 翌日取材資料を持って官庁巡りが始まった。最初村の責任者に会うと、「彼等は村で必要な給油所建設で死亡した。当然責任は担当の省に行って交渉すべきでしょう」という。

 省の石油部門に行くと「それは県の担当です」という。このままではどこへ行ってもたらい回しされて何日経っても結果が出ない、と私は呆れまた憤慨した。

 私の方が怒って「そちらが知らぬ存ぜぬを通すなら、こちらにも考えがある」と言うと、官側は急に「まあまあ、とにかく相談しましょう」と態度を変える。

 こうしていることがそれぞれの公的部門に通じたらしい。
 村人から「賠償の交渉が成立しました」、と連絡が来た。そこでこの事件の原稿は報道しないで没にした。

 今考えるに、もし新聞報道が立ち会わなかったら事件は公正に解決しただろうか。いや、そんなことはありえないだろう。

そうすると報道記者の責任というものが何であるのか、とても重大なことに思えてくるのだ。
 ちょうど1年前のことだがこれは何時までも忘れられないだろう。


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 訳者注:
 ちょうど日本でも相撲協会で、弟子が練習中に死亡したとして遺族に「遺体を焼いてからお返ししましょう」と告げた事件が起こっています。

 勿論日本では家族の同意や医者と区役所の証明など無くては焼却できません。しかし中国ではまだそのような法律がありません。まして党は絶対的な権力を持っています、不可能なことはありません。それに対し国民が反論する法律も有りません。
 そこで谷深く遺体を山中に隠して守る、という挙に出ました。
 でもこのこと事態、中国では最近大きく変化していることが判ります。業者に買収された公的部門と言えば党のことです。そこに反対するなど20年前には考えられなかったことです。まして農民、農民は中国ではもっとも社会の最底辺に置かれています。都会で何年働いても臨時工です。その農民が党に反対して、人権を要求する姿は、本当に中国は大きく変化していることを窺わせます。
 同時にこのような事件が社会主義の国家で一応報道されるというのも、大きな驚きです。