免罪で入獄5年、出国時に暴徒に教わる

06/12/22 南方週末 傳剣鋒

 03年4月18日、元は山西省遠城市の公務員、高満強氏が5年の刑を受けて出獄したとき、3名の暴徒に襲われ半死の状態になった。出国時彼は55歳。
 1998年の入獄までは北京出張所の主任であった。当時彼を本紙記者が訪問し、遠城市の上級幹部に対する10万元の"懐代"を提供するべき指示書を見せてもらい、幹部の腐敗を説明してもらった。
 それを記者が記事にし、党中央の検査が入ることになった。
 高満強氏のその時の動機は正義感ではなくて、官僚内部の抗争の一部だったという。
 そのころ灌漑土木工事で2.85億元(日本円で約43億円程)の幹部の不正所得が行われていた。
 そこで高満強氏が党中央にその証拠書類を見せた。98年3月党中央は、山西省党紀律委員会に調査を命じた。
 それが5月27日に人民日報でも報道された。それに基づいて本紙も報道したその8日後の9月26日、高満強氏が逮捕されたのだ。
 
 高満強氏はその時の様子を「係員が部屋の中へ強引に入ってきて、突然私を地面に引き倒し暴行を加え、前歯が全部折られました。道路に引きづり出され車に乗せられて遠城市まで連行されました」と言う。

 法廷の公開はなく、直ぐに7年の刑が確定となった。罪名は「ほらを吹いたこと、公証を偽造したこと」となっている。
 彼が地元政府の食料担当の時、書類を無くしその偽造をしたことを指摘したものだ。
 その他北京出張所に配転された以降の各種書類も偽造となっている。

 このことが中央の有名新聞紙では「偽善の官僚逮捕」と報道された。
 獄中で高氏は何時か不正が解明されることを信じて生きてきたという。

 その頃彼の父は80歳、息子のことを考えて北京まで何度も励ましに訪れている。妻は悩んで重病になり、25歳の息子は父の犯罪が原因で解雇。その後直ぐにやはり病に倒れ死亡。
    
 高氏は何度も再審の要求を続け、02年2月に地元中級法院で再審されたが、法院は直ぐにそれを却下。
 03年4月、地元高級法院が再審決定。「明らかに免罪である」として刑期満了の8ヶ月前に釈放された。
 
その釈放の正に獄門を出るとき、3名の暴漢に襲われ、鉄棒で殴られ、血だらけになるまで殴打された。それを見ていた人達の証言によると、暴漢は若者で行動は見事に敏捷だったという。暴行後直ぐに車で逃げ去ったとのこと。
 
 高氏は48日間の記憶喪失後気が付いてから脳の手術を受けた。頭蓋骨の一部が破損、左目失明、右脳萎縮。それが元で彼の発言は完全に老人のようなしわがれた声となっている。
 身体の左半分は付随で動かない。自分で衣服の交換は出来ず人手の助けがいる。
 闘病生活が3年続いて12月に退院してきた。

退院して直ぐに彼は出獄させてくれた法院へ感謝に行った。そこで「良かったね、すっかり疑いが晴れて」と言われたのだが、これを記者に説明するとき彼は思いだして身体を震わし泣き出した。

 この裁判事件はまだ完全解決ではない。免罪を造りだした大物は全く追求されていない。法廷で国家賠償金60万元が払われることになっているがそれも手続きが取られていない。
 彼は人民大会常任委員会に身分の回復を求めて手紙を書いたがそれは大海に投じた石のようにまるで反応がない。

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訳者注:
 普通の人が読めば真の犯人、バックの大物が誰かがあまりにも明確です。しかし、そこは中国の社会主義。党幹部の支配は絶対権力に守られています。
 以前農民が中央に直訴したため地元政府に暴力を受け、中央の査察を受けたとき、査察委員会の人達が賄賂を受けて「事件は無事解決」と報告していましたが、当然この事件も中央には「問題解決」と報告しているのでしょう。
 ところが今ではインターネットがあるため、世界の人がこの事件を知ってしまいました。

  このような国家権力による暴力と社会主義らしい暗黒社会で、法廷を党幹部が支配できる国で、”公正” ”裁判制度の改善”などと言う言葉の意味があるのでしょうか。
 
 しかしこのような記事を現在の恐怖社会の中国で書いていて、この新聞記者は大丈夫なんでしょうか。