腐敗との闘いは何時になれば始まるのか

07/09/27 南方週末  郭光東

 先週最も人々の目を惹き付けたニュースは「国家監査部」と広州テレビ局の問題だろう。
9月19日、監査部は今年度の監査結果を公表した。国営企業の49部門に於いて300億元を超える資金上の問題が出ているのだ。

 9月20日広州テレビ局が自己の存在を保つ手段として規則に決めた細則が、これが又人々の注目を惹き付けている。

  先ず公営企業の問題

 その不正金額は毎年減少していると考えられてきた。特に2003年の徹底監査以来、その効果が期待されてきた。しかし、1件で数千万元から数億元の資金不正流用などの事実が今回も多数出現している。その様子は、資金流失、ちょろまかし、不正使用、浪費、横取り等の形だ。しかしその問題摘発があっても誰も免職、刑罰等の責を負ってはいない。ただ、「今後注意します」の一言で片づけられているのだ。
 監査部門自身の採った言動は「それぞれの問題点は法によって今後改めること」と記述することで終了している。
 つまり監査というのは国民にとっては何の役にも立たないと言うことだ。

  テレビ総局の問題

 人気番組の放送は19:30から22:30まで行ってはならない。
 これは最近広州テレビ局で放送された「一番心動く番組」が低俗だったという批判を受けて儲けられた。黄金時間帯の番組を浄化するためという。 
 またテレビ局の内部規律として、番組スポンサーは出演者を選んではいけない、番組選考委員会は「兄さん、姉さん、弟、妹」等の言葉を使ってはいけない。同委員会は採用の投票方式として携帯電話や屋外からの電話投票をしてはいけない、という規則を決めた。
 これらは全て低俗番組追放の手段だという。

 監査局の態度も、広州テレビ局の対策も結局は有っても無くても良いと言う点で同じではないだろうか。

 本来、監査行為は国民の血税を正しく使用することを規制するはずだ。汚職は即犯罪とすべきではないか。それは政府が大声で叫んでいる「反腐敗」の行動の一環ではないか。
 
 低俗番組対策もまた国民の健全化をもたらすことを目的にしている。それは腐敗との闘いと同じく重要だ。
 国営企業の腐敗と低俗番組の放置は社会の荒廃に直結しないだろうか。
  その解決の根本問題は監査局の権限の問題ではないか。 

 これまでは監査局の権限が小さくてもその組織人員の努力に期待してきた。そのことは現在開発中の国家や新設国家などが、独占禁止法や腐敗防止法の法律化に苦闘しているのを見ても解る。 
 何処の国も、中国以外は、監査について行政上の特権を付与している。しかし中国では監査局にあるのは「協調権限」だけだ。
 中国にも例外があって、香港では「廉潔公署」という部門が特権を付与されている。
 当然の結果として他の国々には腐敗防止の機構が存在する。

 中国の場合、国家建設の始めに如何なる機構が必要か考え着かなかったかも知れない。しかし時代は大きく動いている。国民が公平感を持って「協調」して生きて行くには、強化すべき所は強化し、弱めるべき所は弱めて現実に適応した法律に改正すべきではないか。

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訳者注:
 この数年、国民の「協調」を目指すという”国家目標”が繰り返し叫ばれています。党はその実現のために「反腐敗」の先頭に立って闘う、と叫んでいます。しかしその腐敗・収賄の先頭に立っているのが党自身です。

 何故法律上監査局(或いは裁判所など)に特権を与えないか。
理由に2つ有り、1つは党の権限を”絶対”にすることが邪魔しています。
2つ目は”敵階級”が居なければ社会的矛盾が無くなる、という(マルクス的)社会主義思想が邪魔しています。
 それにしても数千万元の国民の財産を不正に使用しても”無罪”というのは凄い国?!です。