明代の不思議な大爆発

07/06/28 南方週末 単偉建



1927年撮影   ツングースの爆発  



 380年前の明の時代、1626年5月30日、北京の「王恭」広場で原因不明の大爆発が起こった。「天啓大爆発」と称している。

数百年が経ったが、現在では既に当時の爆発の跡形もないので、歴史家、科学者共にその謎が解明出来ない。
 著者はツングース地方での大爆発の研究の傍ら、北京との関係を記しておきたい。

 当時の「王恭」広場の近くには明王朝の工部というのが有り火薬倉庫があった。
 「天変邸抄」と言う書に当時のことが書かれている。
 
””月夜の晩、突然大音響が起こり、周囲は灰色に覆い尽くされ、やがて真っ暗になった。縦15キロ程、横100キロ程に亘り粉塵が舞い、人家の倒壊数万軒、行方不明者は万人を超えた。””

 ””住民は約2万人程いたがほとんどが死ぬか或いは重傷を負った。死骸は辺りに散漫し、悲惨な様は目を向けられなかった。人も家畜も木々も石ころも全てが空中に舞い、遙かに飛び去った。7トンはあると見られた石像の大獅子も遙か遠くに飛ばされた。
 暫くすると上空に舞い上がっていた人畜石木々などが地上に降り注いだ。不思議なのは傷ついた男女達は皆衣服を剥がされており、死体も皆赤裸だった。
””

 時の皇帝、明喜宗は朝食中で、大音響に驚き交泰殿へ逃げたが、途中お付きの者に避雷した瓦が頭部に当たり裂傷して死亡した。紫禁城中の侍2千人は1カ所に集まり一塊りになって難を防ごうとした。
  爆発中心部には木々の燃えた跡は無く、人々は火薬庫爆発か或いは大地震だろうと推測しあった。
 この知らせが全国に及んだため、皇帝は天に罪を許して貰う目的で「大赦」を宣言し天下安眠を祈り、大量の黄金を振りまいた。
 このことは「明朝正史」に記されている。 火薬庫爆発か或いは大地震か、はたまた隕石落下か、国中が不安になった。地下火山爆発という噂も出た。近代になって外星人襲来という説も出た。だがどの説も事態全体を説明出来なかった。

   ツングース大爆発

 近代の歴史上この他にもう一つも大爆発が記録されている。それはロシアのツングース地帯のものだ。
 1908年6月30日早朝7時17分、シベリア中部で大爆発が起こった。北緯60.55度、東経101.57度に位置し、ツングース河周辺だ。
 周囲2150平方キロメートルの木々6000万本が倒れた。近辺に住民が居なかったので現場は今もそのまま保存されている。そして事件後ロシアと欧米の科学者達が何度も現地調査をしている。
 筆者はこの調査報告を丹念に研究した。そしてツングースの大爆発と北京の大爆発が極めて似ていることを知った。
 似ている点は両方とも天体から何かが侵入または落下し空中で爆発している点である。 天体の落下物は恐らく小彗星の破片の種類であろう。隕石の可能性は低い。何故なら両事件とも落下地点の大きな穴がないのである。そして同時に隕石なら残るはずの残留物がない。彗星の場合、氷の固まりが落下していれば残留物がないと思われる。 

 ツングースの場合、当日の早朝ベンガル湖西方に巨大な火球が目撃されている。その明るさは太陽と同じ位だったと言われる。その直後大爆発が見られた。
 北京の場合も東北から西南に向かって巨大な火球が大音響と共に飛来し、やがて大爆発音が起こり、同時に灰色の雲がわき起こり家屋が吹き飛び、一瞬にして暗黒の世界になったと資料に記されている。
 爆発はキノコ雲を造り、天に昇ったと言うから、恐らく原子爆弾の時と同じような雲の様子であったろう。
ツングースでは50キロメートルに及んで樹木が黒こげになった。北京では50メートル程の地面の裂け目が出来た。

 不思議なのは現場の樹木の皮が剥がれ、人々の衣服が剥がれ、しかも爆心地では木々は燃えていない、と言うことだ。
 ツングースの爆心地の樹木は全て皮が剥がれているが、焦げも倒れもしていない。
 北京では爆心地の男女全てが衣服を剥がされている。これは火薬が原因という説では成り立たない。推測だが天からの落下物が爆発するときその衝撃波が木々の皮を剥ぎ人々の衣服を剥いだのではないか。
爆発中心から周辺に向かって強力な拡散波が襲い、木々をなぎ倒したのではないか。 ツングースの現場では爆発中心から四方に向かって木々が倒れている。その数6000万本に達する。北京では倒壊家屋は粉々になり、巨木や石像獅子が遙か数キロ先まで飛ばされている。

  爆発後

 ツングースの爆発後数週間に亘って欧州とロシアの西部では白夜現象が起こり、夜でも本を読める程の明るさだった。
 これは彗星が爆発後大気中或いは宇宙に爆発破片を撒き散らしたものが発光していたのではないか。
 だが北京の爆発後について、このような白夜現象が記載されていない。北京の南方の空に多色のキノコ雲がいろいろと形を変えて、ある時は糸状に有るときはキノコのような形を作った。それも恐らく宇宙に飛散した破砕片が作りだしたものであろう。
 爆発地点が地面に近くて爆発高度が低く、そのため地面に破裂が出来、空中で光る現象が少なく白夜も起こらなかったと思われる。

北京へ飛来した物体よりもツングースに来た物体がかなり大きかったようで、科学者の計算では直径約20メートル、大気上5000から1万メートルの高度で爆発したのだろう。広島原爆の約1000倍。

 北京の飛来物はこれよりもかなり小さい。

 北京の飛来物とツングースのものと比較して、両方の相似性から彗星原因説が最有力となっている。
 科学的な計算ではこのような爆発は300年に1度と見られる。

アメリカのカルフォルニア大学の地質学者ジェームス・ケンニッタ教授はアメリカ大陸で石器時代にこのような彗星の大爆発が襲来し、当時地球上に生存していたマンモスや17種の動物が1万3千前年前突然消滅した、と主張している。その時、1000年程の地球冷却時代が続いたと言う。