北京はオリンピックを迎えて
   「礼節を守ろう」に躍起


07/06/07 南方週末  蘇永通

 かってブッシュ政権内の一人が「中国で運転手が進路を変えると、先ず命がない」ともらしたことがある。
 中国の高速道路では運転手達のやり方は正に狂気の沙汰だ。
 だが実際には、中国の運転手達は毎日車の進路変更が常時で、先を急ぐことに懸命だ。

 北京に来ている有る欧米の女性記者は「信号が緑でも渡れず、赤では安全指導員自身が”さあ渡りなさい”と呼びかけている」と道路交通の無秩序を訴えていた。

 車が右左に進路変更し、割り込み、赤信号を無視し、通行人を遮り、大声で喧嘩し、罵りあい、そこら中に痰を吐く。これは誰もが知り尽くしていることだ。
 これら中国人の悪習慣は昔から有るのかも知れない。しかし特に19世紀になって「痰を吐く」習慣が露骨になったようだ。

 そして100年が経って、北京でオリンピックが開かれようとしているが、運転手が窓を開けて口を突き出し痰を吐き出す景色は何処にでも見られる。
 オリンピックが始まるとこの景色を外国の数万人に及ぶ記者達はたっぷりと映像に記録し自国で報道するだろう。

 そうなるとこれは単に礼節(文明)の問題ではなく政治問題となる。

 5月28日から北京政府は交通道徳を守らせる運動を始めた。
北京で一番賑やかな”王府井”の交差点でさえ横断歩道が無く、人も車も信号を無視して道路を渡る。
 オリンピック委員会も一緒になって、「行列を崩さない、痰を吐かない、物を投げ捨てない」運動を始めた。
 タクシーには、嫌な臭いを無くし、外人には英語で対応出来るようにし、汚い便所を無くす、事を目標にしている。

 北京市民が文明に馴染むかどうかは巨大な任務だと市民に説明している。
 オリンピックを迎えて精神的肉体的な変身が求められている、とも説明している。
 これを進める指導員達には「緊迫感を持ち、責任感を持ち、使命感が必要」と説明している。
指導協会の副主任は「我が家に客が来る気持ちで、家の中を大掃除して欲しい」と言う。「皆さんの能力を発揮して文明化すれば後でメンツも良くなります」と言っている。

 先ず、行列を崩さない

 これが難しい。「自分以外に人がいれば列を作りなさい」と言う言葉で指導を始めている。
 今年の2月11日から毎月の11日を”行列日”、として駅の乗り場に監視人を置き、行列を乱さない運動をしている。
 記者は5月11日、21の駅を見て回った。その内7駅だけで規則を守られているのが解った。
 各駅には指導員が三角の旗を持って監視していた。北京市全体で4300人が指導員として各駅の現場にいる。それは駅の数の約50%に当たる。
 指導員1人は「もっと指導者を増やして貰わないと、とてもオリンピックに間に合わない」とこぼしている。

 これとは別に地下鉄でも駅の行列整列指導をしている。朝夕の通勤時間には、一つの駅で5万人前後が集まる。「ハイヒールが脱げた、子供とはぐれた、押されて怪我をした、運転が乱暴だ、ドアを閉じたり開けたり、まだ人が出てないのにドアが閉まった、入る途中でドアが閉まる、」等々の苦情は常時だ。

 「行列を崩さない」、これはほとんど不可能です、と音を上げる指導員がいる。殺到する乗客の群衆は「行列など作るから遅くなる」と不平を言う。
 だが少しずつその運動が効果を現してもいる。一駅の乗降に28秒で終わるようになってきて、整列の方が安全感があると言う人も出てきている。
 
 アメリカやカナダから来ている記者達は「中国人が規則を守り整列するなどあり得ない」と語っていた。 
 北京天安門広場で5月1日に行われた「痰を吐き、物を投げ捨てる行為」禁止行動日に違反して警告を受けた人の数は200人以上になる。  

 強制的に

 今年の暮れまでに駅頭整列運動の教育が職場や地域で利用者全てに行われる。これを「文明化運動」と呼ぶ。この指導は自主的な教育ではなくて強制的に行われる。
 この運動で地下鉄職員達の悩みは自分自身に戻ってきた。これまでは「切符」を正確に売っていれば良かった。しかし現在はその職員としての態度が問われる。これまでは客を睨み付けていれば良かった。しかし今は「にこやかに笑顔を持って接し」なければならない。
 これはタクシー運転手達も同じだ。運転手席に張られた行動規範には「歯を磨き、身体を清潔にし、衣服を清潔に、周囲を清潔に、車内の空気を入れ換え、禁煙、異様な匂いの食べ物を噛まない、車で寝泊まりしない」と書かれている。

 4月からはこれらの規則を守らせるためとして全ての会社が運転手の罰則を決めた。匂いのする車は取り替える。上記規則に違反した運転手に罰金200元。そして教育を受け直す。その分として100元必要だ。

今運転手達は英単語を200覚えることも要求されている。

 究極の所、来年に外国人が来て「中国は開かれた国家だ」と言う印象を持って返って貰うことに有るという。

行政の窓口に座る職員達もその教育を受ける。
 公安局員に与えられた小冊子には、大衆に対して使って良い言語が40句、文明的な言語10種、大衆が反感すると思われる言語90句、反文明的言語30種、などが記されている。
 これを破った者には党紀違反処分と政治処分が下される。
 
 訳注:公安は党員。

実際の指導現場

 神路街855の駅で指導に当たっている2人の指導員が居る。この1ヶ月の間、縄を張って整列するように指導してきた。しかしこれを運転手達は気に入らない。指導員が居なくなると直ぐに縄を棄ててしまう。

 又他の地区に当っている指導員の話。
「指導員のほとんどは解雇された失業者です。月収は月に只の500元。何の保険もありません。先月も指導員が殴られて大けがをしました。もしもの時の補償もして欲しい」という。
 長椿街の道路交通を指導している担当者の話。
「初めは真面目に指導していました。でも誰も言うことを聞きません。ここはホワイトカラーが多いのですが住民の素質が低いです。だからもう指導はせず見ているだけです」という。
 
 その近くでは04年末に、信号無視する人を止めようとした指導員が車に轢かれる事件があったところだ。
 05年には横断歩道を無視する人を指導員が咎めたところ、斬り殺されたところでもある。
 「指導員と言っても私達は臨時工です。500元だけでは絶対に無理は出来ません」という。

 ホワイトカラーの集まる国貿駅頭も問題のあるところ。そこでは整列が見られず、人が押し込んでいてタクシーは規定位置に止められない。
   
先述の繁華街の王府井で、指導員が「ここは皆さん規則を良く守ってくれます」と喜んでいたら、一人の通行者が指導員の前まで来て痰を吐いて去っていたことがあるという。

北京市内の全ての報道紙がこの「礼節を守ろう」運動の宣伝を毎日1面と2面に掲載している。
 党も全力を挙げて礼節化運動を進めている。だが実際は「知っているよ、でも守りたくないよ」が大衆の考えのようだ。

 北京市に「市民の文明化を如何に推し進めるか」を提議した中国人民大学の蔦教授は「先ず住民の素質の問題があります。彼等を管理し教育し、そして素質を高める必要があります。しかし建物を建てることと違って人を作ることはこれは全く難しい」とはっきりと明言している。

 外国人が来年北京に来て「中国人は変わった」或いは「中国人は全く変わらない」と感じるのか。
 北京市長の王岐山は「この機会に是非中国人の現代化を実現したい」と語っている。
文明化を進めるには一般的には親子3代の歴史が必要と言われている。
だが北京オリンピックが決まったのは7年前だ。
 ヨーロッパの有る記者は「オリンピックがあるから礼節を守り痰を吐くな」と言う言い方では無く、「衛生的であり、他人の健康を害するからだ」と言う説明が重要ではないか、と言う。この記者はオリンピックだけではなく、市民の文明の素質を高める観点が大切でしょう、と言っている。

****************************

訳者注:
 交通機関の職員が、今までは利用者を睨み付けていれば良かったが、これからは笑顔で接する。そんな大変化が起こるでしょうか。
 国営企業の傲慢な官僚主義の体質も南方では随分開けていると思いましたが、北京ではまだまだ困難でしょうか。
 
 クリントン夫人が北京の百貨店で買い物をしたとき、店員(公務員)が釣り銭を小さく丸めて遠くから放り投げた瞬間が全世界に報道されました。あれからまだ10年が経っていません。
 かっては礼儀の国と言われた時代もあるそうですが。

 ここには中国が礼儀を失ったのは100年前と記していますが、具体的には60年前のことでしょう。
 権力を握った党は「国民は意識が低く敵階級の要素を多分に持っている階級」と位置づけました。そして相互に監視させ密告させました。
 17年して「文革」が始まると党は「家捜し」をさせました。誰もが「革命的」になり、人権は中国国内から消えました。
 他人を尊重する意識が消えたのは、それと計画経済と関係しています。何時も国家から命令されるだけで、人や社会との関係が見えなくなっていました。
 国営百貨店の店員(公務員)がショウーケースの中に肉が無くなっていて、客が「この肉は何時入荷しますか」と尋ねたとき、「私は関係ないよ」と冷酷に返答出来る態度がそれを証明しています。

 勿論痛みを感じる人間である限り、他人の苦しみや痛みを感じる心を完全に失うことはありません。身近な人と感じる時には人間として行動していることは当然です。