貴州省貴陽市牌坊村の独身者

07/08/16 南方週末 何海寧



   董さん兄弟





   窓に映るのは男ばかり


  その村の人口は2249人、665軒ある。そして独身男は282人居るが、結婚相手を捜すことは至難の業だ。

 女性が居ないかなあ

 そこはかなり山を登った所にある村で漢族と苗族が住んでいる。この村には結婚適齢期の娘は居ない。登録上は居るはずの60数名は他の都市へ出稼ぎに行っている。村全体の男性の5分の1が独身だ。彼等の全てが30歳を超えている。最高は65歳だ。この村の男女の日は女100に対し男は134.7。
(中国全体の平均は106.3)

 村に住む張成梁さんが記者に対して「1000元出すから嫁を世話してくれんかな」と言う。「1000元は安すぎるかな、じゃあ3000元でどうだ」と値を上げてきた。
  彼は少し頭が可笑しいと村人が言う。毎日、まじめに畑仕事をせずぶらぶらして煙草ばかり吸っているようだ。
家は丸太小屋でビニールのゴミ箱が1つあり、それ以外は蚊帳があるだけ。寝床には藁が敷いてある。衣服が少し竹竿に掛かっている。それ以外何もない。夜帰宅するとドサッと寝ころんで一日が終わる。

 村のほかの独身者達は健康のようだ。でも生活は張さんとあまり変わりはない。多くの人は都会へ出稼ぎに行く。あるいは田植えをしたり煙草を自作したりしている。

 周辺の行政単位の村は8個あり、全体で独身者は1500人以上居る。1つの村で300人の独身者が居る村もある。

 ある村の幹部は今年50歳で5歳の子供が居るが配偶者を亡くして以降後妻が見つからない。
「女なら誰でもいいんだ。子育てが出来なくても結構なんだが」と言っている。

 誰もが”連れあいを”捜している

  どの村も最近は賑やかな結婚式を見たことが無いという。村の幹部が言うには、「その原因の主たる所は貧乏だからです」と説明してくれた。ある村の面積は23へイホウキロ、そのうち田畑に可能な面積は2%しかない。昨年の村の年平均収入は800元程度。村には40歳以上の独身者が60人以上居る。
 彼等の誰も異口同音に「環境・条件が良くないから来手がないね、これは運命でしょうね」と語る。

            訳注:都市住民の平均月収は1000元以上ある。
                 都市での農民の月収は600元程度。

  独身の董学魁さんは40歳と少し。彼は家で飯炊き洗濯、竹籠編みなどをしている。
 家で鶏を10数羽飼っている。時々その鶏が家の中に入ってくる。彼が「こらっ」と怒鳴ると鶏がばたばたと外へ逃げていく。連れあいの話をすると、自嘲気味に「雌鳥しか近寄らないね」と、はにかみながら言う。
 弟も独身で出稼ぎに行っている。周辺の村人は「董さんの家は兄が主婦で弟が主だ」と冗談を言う。
 
 董さんは過去に2,3度お見合いをしたことがある。でも話がまとまったことはない。今では「もう、お見合いをする気もない」と言う。
  彼の姉は既に他の村へ嫁ぎ、二人の兄も分家をして出てしまった。それで弟と二人でコンクリの家を建てた。少し湿っているが、他家の藁葺きの家よりは裕福に見えて縁談も来ると考えての投資だったが、今では望みも消えた。村の若い娘達は都会へ出てしまっている。残っているのは中年の女性か寡婦か子持ちの女性。子持ちの女性とは結婚後の生活負担が重すぎて成り立たないと言う。
 
 董さんの弟は出稼ぎで少しは他の農民と比べてお金がある。しかし彼が良いと思う女性は相手が身分が上で、相手が良いと言ってくれる女性は彼が気に入らない。

 弟さんは今35歳。20年前は本当にもっと貧しかった。父は耳が聞こえず、病気で寝ている母にはお銭が掛かるばかりだった。そして勿論嫁をもらえるほどの余裕は全くなかった。そして4年前に古い家が崩壊。

 20歳の時お見合いをした。相手の女性が家を見に来て、「まあ、こんなに貧しいところでは私はやっていけません」と言う。弟さんは怒って「嫌なら止めてくれ」と追い返した。その後、何度かお見合いをしたが全て駄目。
 歳も取って少し慌てた彼は出稼ぎに行っている仲間に電話して「誰か紹介してくれないか」と頼んだ。友の愛想の良い返事を当てに彼は旅費などに2000元以上出費して都会へ出かけたが、友の話は適当なもので実りはなかった。

 ある時都会から3人がやってきて働き手を捜しに来た。その条件に「都会へ来たら結婚相手も紹介する」と言うのがあって、村では大騒ぎになったこともある。

 「この世の中には人を騙す奴が多すぎる」と弟さんが言えば、他の村人が「女に狂ったのか」と笑う。弟さんも「ふん」と言ってせせら笑っている。

 妻を家に止めることが大変

 44歳の圭さん。家には結婚時の二人の白黒の写真が飾ってある。だがその妻は黙って逃げてしまった。
 どこの村にもこのような話は幾つもあるようだ。圭さんはまだ結婚許可証を持っているが、「おそらく妻は他人と既に結婚しているだろう」と言う。
 家では11歳の子供がいる。圭さんの母が孫に向かって「お母さんを探しに行ってきなさい」とじゃれ語を言う。すると孫は「そんなこと出来ないよ」と言って椅子の上で寝ている猫を引きずり落として膨れている。

 1996年、妻は生後8ヶ月の乳飲み子を残して家出をした。それ以来全く音沙汰がない。実を言うと圭さんも妻を騙して娶ったのだ。

 20歳になる前から圭さんは嫁取りのことを真剣に考えた。自分の住む村では望みはなかった。家は茅拭きの屋根で7人家族。弟は病気で寝ていた。だから親戚の人が「嫁をもらうならどこか遠くから呼ばないと駄目でしょう」と言う。

 31歳の時、目的もなく駅の周辺に行ったとき「ここに行けば漢方薬で良い商売が出来るよ」と誘われた。しかしそれは後で人買いと判った。とにかく嫁探しをあきらめてしばらくは働いた。そこで17歳の娘と知り合った。彼女に向かって「私は出稼ぎで働いているが、家にはお金も有るよ」と説明した。娘は彼の話を信用して家を見に来た。
 彼は前もって親戚の比較的立派な家を自分の家だと打ち合わせをしておいた。それにうまく娘が騙された。
 結婚して実の家を見た娘は驚いた。だがもう後戻りは出来なかった。娘は帰宅する旅費も待っていなかった。家には電話もなかった。毎日喧嘩をしながらも飯炊きをして過ごした。

 2年が経過して妻の両親が来たとき、「正月を自宅で過ごしたい」と言って両親と共に帰宅したまま返らぬ人となった。何度か妻の実家に説得に行ったり、役所に行ったりしたが効果はなかった。
 11年が過ぎた。彼の父も弟も亡くなった。3人の妹も都会へ出て行ったままだ。今後また騙して娘を捜すのももう無理だろうと諦めている。結婚許可証の変更を何時届けようかと言うことだけがいつも心に残っている。

 この物語を村で悪く言う人はいない。別に珍しいことでもない、と言う。
 圭さんの従兄弟、晋さん37歳もそうして妻を捕まえた1人だ。9年前妻と共に野菜を売りに遠くまで出かけた。その時妻は二人の子供を残して消えてしまった。その時、下の子供はまだ1歳と少し。

 晋さんの話は上出来の方だという。陳さんの場合、10年前のことだが3000元で遠方から妻を買った。だが正に3日で妻は逃げて消えてしまった。この話を聞かされたとき周囲の人達は当人が苦り切った顔をしているのに”わっはっは”と大笑いするのだった。

 土地を守るか妻を娶るか

 1990年代、中国は人口大流動の時代を迎えている。農村では先祖の墓と土地を守るという思想が堅固である。家がいかに貧しくとも各家には立派な位牌が置いてある。しかしその考えも嫁の来手がなければ継続が難しい。

 女性の場合都会へ出かせぎに行くと、そこで出会うのは自分よりも生活が豊かな男性が待っている。上手く行けば親切な男性に出会うこともある。しかし男性の場合、都会へ行けば彼は最底辺であることは誰もが知っている。自分より上流の女性と巡り会う可能性はほとんど無い。
そこで村へ帰り嫁を探すことになる。その相手の女性は村にはほとんど居ない。
 特に貴州の場合、農村の女性はその名を聞いただけで「あそこは極貧でしょう」と言って話を打ち切る。

 現在29歳の夏さん。出稼ぎに行っていたとき3歳下の女性と仲良くなった。やがて女性の方が彼の出身地を聞きたいと言い出した。彼は自分の故郷のことを明かすのを逡巡した。
 また女性の方が自分の故郷に来て欲しいと持ちかけた。すると彼女の故郷、江西省のことを知っている人が、向こうでは男友達を家に呼べばそれはその家に養子に行くことだよと、教えてくれた。彼は自分の祖先を守ることを考えて、ついにその女性との交際を諦めた。
 4年間出稼ぎで稼いだ彼は数万元を持って故郷に帰った。それは当然婚礼には十分のお金だったが、その金を養豚業に投資した。
 
8月3日、記者が夏さんを採訪したとき「広州の女性を紹介してくれませんか」と要求された。「今となっては婿入りでも良い」と言う。
 彼の村には未婚の娘が2人だけいるが、夏さんが村の村会主任補助の役を持っているのに娘は彼を蔑んでいるようだ。

   貧窮と過酷な仕事に耐える独身

 2ヶ月前県の計画委員会から村の村会委員主任の楊さんのところへ電話が来た。村の検査に来るという。役人が村に到着して発した最初の言葉は「村にどれくらいの独身者が居るか、治安の影響はどうか」だった。

 04年に英米で発行された書「アジアの過剰男性と安全上の問題」と言うのがあり、それは中国でも大いに議論された。   

 97年のこと、夜中の2時頃楊さんの家に男女が縛られて連れてこられた。
縛られた男は43歳の独身者。女は隣家の嫁。隣家の夫は妻の不貞を疑っていたが、ある時「出稼ぎに行く」と言って家を空けた。そして夜中に戻ってきて妻の不貞行為を発見したという。
 村会では「独身者の厳重教育」で事件を解決しようとした。しかし夫側が納得せず県の政府に直訴した。その結果も同じ答えだった。
 
 記者は村の採訪中、男女関係の問題を幾つも耳にした。たとえば4人の兄弟が嫁1人を共有している、夫が出稼ぎ中、妻の方が不貞をして刀傷沙汰が起こったとか、の類だ。だが記事にしようとしてもその具体的事実を語ってくれる人はいない。

 村では年に1度村民を集めて「婚姻法、刑法」の学習会を開く。そこで彼は言う。「人の価値は死んだ後決まる」と説いている。

 県の検査官に対して楊さんは「村の男に嫁さんを紹介してください」と頼んでおいた。検査官は「結婚求む」の広告を出しなさい、と助言した。
 楊さんの考えではこの村の独身者は誰も実直でまじめに働いている。しかも中学を卒業している。地元には鉄鋼、炭坑、鍾乳洞などもあり、既婚者が増えれば産業と生活の安定に両得だと説いていた。

   学校を出るか土に縛りつくか

 35歳の彪さん、若いうちに稼いでお金を残しそれから良い嫁をもらおうと考えていた。しかし光陰は矢のごとしで、「もう歳をとってしまった」と嘆いている。

 彼の村ではどこの家も毎年節分にお墓参りをする。だが最近ではその考えもすっかり変わってきた。男は家を守り、女は歳が来て嫁に行く。その原則が変わりつつある。歳取った親でさえ息子に対し、昔娘に対したように、早く家を出るべきだという人が出てきたのだ。
 21歳の登さんは湖南大学に学んでいる。毎年6000元必要だ。妹も学業目指して今年受験したが失敗、来年もう一度受験する。
 登さんが12歳の時、父が彼に「学校へ行きたいか、それとも畑か」と尋ねた。彼は「畑」と答えた。すると父は彼を畑に連れて行って丸1日土掘りをさせた。その疲れた彼を見て父は再び尋ねた。「学校か畑か」と。そこで登さんは「学校」と答えたのだ。
 これは良くある例で、若者が都会へ出て行き、村には歳取った両親が残される。
 都会へ出た息子達は農村で牛を追い回す両親を思い、いつか両親を都会へ呼ぶことを夢見ている。

 前述の嫁に逃げられた圭さんの場合、一人息子は既に中学生で親よりも身長が高い。だが学校へやるには1学期100元とその他の雑費が居る。1週の生活費が20元。それらを準備するにはとても骨が折れることだ。
でも圭さんは子供の学資に不満はない。息子には畑仕事をさせたくない、それが彼の願いだ。
 彼の家は山の上にあり、夜間には遠くに貴陽市の明りが見える。村人にとってその明りは豊かさの象徴だ。

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 訳者注:
 「結婚求む広告」、中国の都会の新聞には5行くらいで良く出ています。ただし農民はその身分(戸籍)を書く必要があります。だから都会では農民の募集を見たことが有りませんが、農村で有るのでしょうか。農村には新聞さえないところが多いのではないでしょうか。
 台湾でもこの種の広告はよく見ました。台湾の場合は勿論戸籍を書く必要はありません。日本にはこのような習慣が何故無いのでしょうか。

 この記事の「独身者」に”ならず者”という意味の言葉を使っています。

 9月17日の毎日新聞に中国特集があって経済発展のため犠牲になっている中国人の記事があります。上流の鉱山のために村民の死因の8割が癌です。
 
 西遊記では孫悟空の生地(花果山)が今では公害のために虫さえ消えています。
 その記事を読んだ人から「中国には政治がないね」というメールを貰っています。



 
寝  室
残された子供