農 民 工 の 社 会 保 険


06/02/16   南方週末  趙小剣

  国務院は農民工の社会保険について意見を発表、極めて流動性の強い出稼ぎ農民の保険制度の案を提出した。

 05年末、深セン(センは土偏に川)市で始まった退職保険の受け取りに支払い事務所に多数の農民達の列が出来た。
 市事務所の話によると05年度の退職者総数は65万人、支払額は17.8億元になる。
 受け取る被保険者達の殆どは深浅市以外からの流入者で農民である。

記者が事務所で列ぶ農民達に聞いてみると、国家の退職保険制度が出来るらしいという話を聞いて、現在深浅市で実行中の保険が消えるのではないかと恐れ、現時点の支払いを受け取りに来ているという。
 一人は朝早くから列んで夕方2000元の保険金を受け取った。

 深浅市の退職保険制度は加入個人が賃金の5%、企業が賃金の8%をだして市が毎月保管する。合計は賃金の13%。その全体の2%を共済金として運用する。
 退職時は貯蓄された内の11%を個人に支払う。

 深浅は中国内でも特殊な都市だ。市民の有戸籍数は170万人、外来農民工は1000万人に及ぶ。農民工の殆どは20歳から40歳までだ。
市の保険制度が出来たのは90年代だ。そこへ徐々に出稼ぎ農民が加入するようになった。農民工でも居住が15年になれば養老保険を受け取る資格が出来る。
 だが02年度に市が発表した制度によると、”国家の制度が出来れば退職後も50歳に達していなければ保険金を納める義務がある”と表記されているので、今回国家が制度発表をしたが、退職後の取り扱いが明確でないため保険の受け取り者が集中したようだ。
 
 記者が安徽省から来ている青年に聞いた。
彼は市に来て8年になる。現在は外国企業で働き月1000元の賃金、残業すれば2000元も可能だ。さらに企業が保険制度を敷いている。以前、他の企業では月600元以下だった。勿論保険もない。
 しかし国家の制度を聞いてから考えた。自分は50歳まで深浅市に居ることはなく、その年齢の前に田舎に帰るという。
この考えは多くの出稼ぎ農民に共通のようだ。そこで現在満足している企業を退職して、先ず今までの保険金を受け取っておけば安全と考えたようだ。

 深浅市農民工研究所長の劉さんに聞いた。
「深浅市の主とした労働力は出稼ぎ農民だ。04年からは農民工でも高技能者は深浅市民権を得ることになった。中国全体では農民が市民戸籍を得ることは困難で、しかも転職率の高い農民達にとって深浅市の退職保険は大いに魅力があると思われている。」

 深浅市の月平均の賃金は2000元だが、中国の他の市では1000元以下だろう。
そこで農民達にとって、この市で働きたい気持ちが強いのだ。中国全体の「養老院」とも言われている。それだけに市の財政負担が大きい。

 05年3月市民の李紅光という女性が「農民だけ50歳まで保険金を納めるのは不平等だ」と言う意見を人民大会に提出した。5ヶ月後人民大会から返事が来た。

 ”中国では戸籍のあるところでのみ働くことが出き、そこでのみ保険に加入できる。50歳まで保険金を納めるという規定を設けることで農村と深浅市との多重保険加入を防ぐ必要がある”と書かれていた。
 彼女はこのような考えは”中途半端”だと批判している。

分析専門官の話に依れば、市は保険制度の2%を共済資金として使用できる、つまり農民達が市に出資していることになる、という。
さらに、保険加入者の大半は無戸籍の農民で、彼等の平均年齢は若い、と言うことは傷害が少なく支出が少ない、余裕があるはず、と言うことだ。
 具体的にその数字を見ると、05年度の保険収入は105億元、支払いは41億元だ。05年度保険加入者数は352万人、退職保険を受けた人数は12万人弱だ。

 記者が市の保険管理機構に尋ねたが、当面50歳まで保険金を納める規約は変えないと言う。

現代社会事典によると、「農民工」とは農家の戸籍を持ち、農業以外の仕事に就いている者を指す。
 現在中国には農民工は2億人以上、土地を捨てた状態で都市で働く農民は約1億人いる。
 05年12月29日、国務院総理、温家宝は「当面の農業問題」で次のように指摘した。
 即ち、”農民工は現代中国の工業化、都市形成、現代化の重要な役割を持っている。農民を如何に待遇するかは些末なことではない、極めて重要なことだ。”
また06年1月18日、”農民工の社会保障を解決することは社会の安定に重要なことだ”と追加した。

  
 記者が国家社会保障部の官吏に聞いた所によると、「農民工の特徴は流動性が極めて大きいこと、収入が極めて小さい、ことだ。この2点を注意して保障制度を作成する必要がある。
 彼等は頻繁に仕事を変え退職年齢までに農村に帰る。現在都市の保険制度は長期加入を前提に作られている。市民にとって退職後の保険金支払いを次世代の若者が請け負う原則から見て、農民はこの原則に殆ど役立たない」と言う。

 国務院が現在提出している内容が如何なるものか、その行方が見守られている。


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訳者注:
 深浅市の特徴は
 ”市民の有戸籍数は170万人、外来農民工は1000万人に及ぶ。農民工の殆どは20歳から40歳までだ。”と言うところに象徴されています。市民権のない若い農民が市人口の8割強を占めています。
 ここでは保険制度だけを記していますが、農民は医療も教育も参政権(中国には投票権は市民にもない)も何もありません。
 しかし前回紹介したように中国の国家崩壊を救ったのが、この深浅市です。

 1982年、経済特区と指定され、外国投資が許可され、台湾・タイなどの中国系外資が投入されました。さらにまだ計画経済制度が残っている中国でここに来た若者は自分で就職先を見つけることが許可されました。
 (1992年頃までは「分配制度」で国家が就職先を指名した。)
 もしこの外資がなければ、1980年代をもって中国社会主義は倒産していたでしょう。その方が中国人にとって良かったのかも。

 しかし中国はその後の25年も農民を国民として扱ってきませんでした。それどころか都市居住無資格者として時々逮捕して公安の臨時収入としてきました。拘留されて命を亡くした人も多数居ます。何しろ出稼ぎ農民は2億人ですから、その罰金は”些末”なものではありません。
 何故農民が頻繁に職を変えるのか、答えは誰にだって明確です。学歴が無いから賃金が極端に安く、待遇が悪く、それでより良い職場を懸命に求めているのです。
 農民を国民として扱い、安心して働ける場所を提供すれば、彼等はすぐ定住するでしょう。
 (日本では昭和の中頃人口の7割程居た農民が昭和の終わりには1割となっています。多くの農民が都市定住を選びました。住んだところで学校へ行け社会保険が適用されました。) 

 この国家としての根本問題を何故建国後56年も放置できたのでしょうか。
 その答えも明確です。農民の要求を発表できる場がないのです。
 中国の人民大会のことが最近の日本の新聞で賑わっています。”都市との格差を是正、国際競争力を高める、福祉の充実を討論”等等の文字で。
 しかし中国にあるのは「人民大会」で議会ではありません。法律制定の権限がないのです。国民の民主化の要求を無視し、不満吸収の役を担ってきました。

 資本主義の議会は「おしゃべりの場」であり、そんな無駄なことをせず緊急必要なことを”おしゃべり無しに”党がすぐに実現するというのが「マルクス的社会主義」の”誇り”です。
 しかし現実は、人民大会議員は名誉職です。一応選挙の形を取りますが、全て党の指名です。議会の時間進行さえ議員には権限がありません。
 中国には議会がないことで農民の問題、国民の要求が何十年経っても実現しないのです。
 今回、”中国民主建国会”という政党が「農民工を都市住民と同等の資格に」を提案しています。何故権力を握る共産党が「無駄なおしゃべりをせず」この案を提出できないのでしょうか?
 共産党以外の党は党員名簿、活動方針を共産党に許可を得ることで存在を認められています。
 民主主義とはこのような完全に誰かに管理されて発達するような軽いものではありません。
 しかし、5年程前から、「人民大会」で発言する人が出てきました。
 (例)99年の大連港で大型客船沈没が2度続き、その真相究明を求める発言がありました。中国の街に外国人が出歩き、新聞テレビに外国のことが頻繁に登場するようになって、「人民大会」の名誉議員達の意識も変わってきたのでしょう。
 外国の報道機関が「人民大会」のことを取り上げるので、中国はその発表意見を無視できなくなるのも事実ですが。
 しかしその「案件」は下からのせめぎ合いや要求でできたものでは無く、党が恩恵として上から与え指導する形式なので、その中身が国民には分からず、この記事のような事件が起こります。