海南省で大規模の警察襲撃


 060720 南方週末 成功 楊希強











 最近中国全土で警察襲撃の事件が起こっている。本紙は海南省の事件を追った。
 中央政治局委員、かつ公安部長の周永康は本事件に対し重大な警告を送っている。
  
 現在海南省憺(タン、人偏)州市の病院には事件当時の派出所所長の王良氏が入院を続けている。半月前の事件で村民達の襲撃を受け、顔の左半分の骨が砕かれ頭蓋骨折など重症状態のままだ。

 事件開始
 
 7月1日午前10時頃、張健中という人が農場から豚肉1キログラム程を持ち帰ろうとして隣村にさしかかったときだった。
 行く手の道路に竹竿が並べられているのが見えた。彼はそれを跨いで通り抜けようとした。すると大勢の村人達が彼を取り囲み「貴様、我々の儀式を邪魔するのか」と怒鳴られた。
 その村は今でも昔から伝わる”祖先崇拝・悪魔追放”の儀式を続けているとのことだ。
 張さんは52歳、30年程前に隣村に来た人で、そのような儀式を全く知らなかった。
 村人に脅迫されて張さんは5元を出し”紅梅”の線香を買って早々にそこを離れた。
   
その日の午後3時頃、広東省から落花生油を売りに来ていた張日成夫婦が車でそこを通りかかった。やはり道路に置かれた竹竿を見て、車を横道に入れて別ルートで通り過ぎようとした。
 しかし村人達はそれを許さず車を取り囲んで4000元出せと迫った。 
 
 その次に通りかかったのが農場屠刹場の63歳になる頼宋方と言う人。
 彼も村人達に取り囲まれて5000元出せ、いや1万元出せと迫られた。
 頼さんはそれらの要求をがんとして拒否した。その言い訳は「道路に何の標識も置いていない」と主張した。
 村人達の言い分は「貴様は村の”風水”と祭りの規則を踏みにじった」だった。その場合「3000元以上出せ」と言う。

 村委員会主任も飛んできて頼さんに金を出せと迫った。遂に村人達は興奮して頼さんの懐から2200元を無理に引き出し、さらに頼さんが乗っていたバイクも取り上げた。頼さんが別口から700元を出して、バイクは返還された。 
さらに村委員会会計の王英容と言う人が「穏便にする約束代2900元」という支払い要求書に署名させられた。

そして夜の9時頃、張健中さんが自宅にいるとき、村の青年達がやって来て「穏便代1000元出せ」と要求した。押し問答の末”500元”を取られた。

 隣村の張日成氏は車を取られて憤慨し、その事件を警察に届けた。 
 
 その夜の警察の当番は黄健秋という人。彼は事件を「重大だ」と判断し上部へ連絡。すぐに現地調査が始まった。
 記者が聞いたところによると、その村は儀式の途中他の人間が入ると”風水”が悪化し、村の祠が壊れると信じているとのこと。  
 その儀式はある村人に聞くと20年以上前から続いているとのことだ。村人達も一人10元を出し合って儀式を執り行っているという。
 祭りの儀式は3日間村の出入りを禁じ、それが穏便に終われば村に災難は来ないと信じている。それを破った者には厳重な”掟破り”の罰金を取る。
 儀式で余った費用は村人達が祝宴を張って楽しむという。

  警察の方は上記の規則習慣を知り、3日後に儀式が終わってから処置を出そうと考えた。

  警察大隊登場

 警察は先ず村が張日成から取り上げた車を返還するように談判した。しかし村は4000元出さなければ返却しないと言う。問題はその辺から複雑になった。
 村人の一人、廬という人がバイクで出かけようとしたとき、彼は車と衝突するという事故が発生した。それを知った村人達は、「これは祭りの掟を破った奴らが居たからだ」と言うことになり、村人達が騒ぎ出した。

 7月4日、村の儀式が終わった。
 警察は6名を集めて村に出かけ、取り上げた車などを返却するよう交渉を始めた。
 しかし村側は要求を拒否。それだけでなく交渉の場に大勢の村人が集まりだした。
 警察はそれを見て「不穏」と感じ、上部に電話を入れ救援を求めた。

 市の”暴力対策本部”から30名の公安が数台の車で到着した。
 直ぐに村が取り上げた車を引き上げようとした。その車は女や老人が取り囲んでいるだけだったので処置は簡単だった。

 警察の車が村から引き上げようとしてゴム林に差しかかたっとき、道路の前面に女や老人が立ちふさがった。警察署長が車から降りて話しかけようとしたときだった。
 「ボン」と言う音がして大きな石が飛んできた。すると林の中から大勢の村人達が顔を出し、大きな石を警察に向かって投げて来た。
 さらに石や棒きれを持った農民達が飛び出し、警察の車の窓ガラスをたたき割り、その破片が所長の顔に飛び散り、彼は目を開けていられず、蹲った。顔から血が流れていた。
 警察は楯を並べて攻撃を防ごうとした。しかし、相手の数が多くしかも石の固まりが大きくて防ぎきれず、警察は全員再度車に乗り込み毛布で顔や頭を守ろうとした。
 農民は100名以上集まっていたようだ。彼等は投石の準備が万全で、警察の楯やヘルメットも叩き壊された。
 続いて若者達が表れ、鎌や鉈で警察を襲撃する攻撃に出た。

 農民達は地形に詳しく、女老人を車の前方に置いて通行不可能とし、その後両側から投石や棒きれで攻撃を始めたのだ。
 
 警察は遂に警告の銃を発射した。数人の青年が後ずさりした。
 その時警察署長の王さんが後頭部に投石を受けた。 
 警察大隊長の林さんが青年の鎌で腕を切りつけられた。
 警察の装甲車に石が「ぽんぽん」とあたる音が響いた。

 実際警察の方は防御一筋で、手の下しようがなかった。
 33名の警官の内27名が負傷し、その内7名は重症で入院中。警察の装甲車、それは38万元もする車が窓ガラスが全て破壊された。
 車内に残された石つぶては10数個になる。
 
 村人の法律意識の欠陥で始まった簡単な事件ではあるが中国全土に衝撃を与えた。公安が受けた傷も当局にとっては大きなショックであった。警察は最初から最後まで受け身で攻撃はしなかった。
 記者が事件後「何故警察を襲撃したのか」と農民に聞くと、誰も充分な回答を出来なかった。

 7・4警察への暴力襲撃事件

 中央政府政治局の公安部長、周永康氏が「厳重に処罰をすること」と言う命令を出した。
 7月12日、市の大隊から150名の公安と、100名の武装警官が村に入った。
 村の方は主だった人達はそれを知って近くの山林に逃げ隠れた。公安は村を封鎖し、山林に逃げた農民が空腹で夜の7時過ぎに村へ帰ってきたところを全部で35名逮捕した。
 公安はさらに逮捕者を増やす予定だという。特に村の村議会主任、劉永生が逃げているという  

 現地公安副所長の呉学暁さんが村に駐在して事件後の処理を担当している。彼も眼球を傷つけられたが失明には至らず、視力低下程度ですむだろうという。毎日病院通いを続けながら仕事をこなしている。

公安大隊長の林さんは腕や胸・腰などに石つぶてを受けて医者通いで、毎日1000元かかるという。
 
 7月17日、記者が村の採訪に来たとき、村人達は「また逮捕に来た」と思ってゴム林の中に逃げ込み、村には子供と老人しか居なかった。村にいた16歳の娘が言うには「昨日村の女性や老人など17人が釈放された所だ」と言う。
 38歳の卓という女性は「家の息子は事件後街の学校から帰ってきたとき、今回の事件に参加した嫌疑で逮捕された」という。
 
 この事件に最初に巻き込まれた頼さんは豚肉の販売が出来ず、奥さん共々今後の生活の思案に暮れているという。

もう一人車を村人に取られた張さんは、事件後広東省に引き上げたが、家族には一切詳細を話せず、恐怖の毎日を送っているという。

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訳者注:
 日本人にとって見慣れぬ”風水”や祭りの儀式は世界に数多くあるでしょう。私は台湾で豚の生首を飾った儀式を見てびっくりしたことがあります。台湾の葬式の盛大で賑やかなのも驚きでした。

 しかし台湾は法治国家なのでこのような血を見る事件になることはありません。

 この事件は中国の農民が驚く程無知と非文明の世界に置かれていることが解ります。

 中国は社会主義になって以来文明の向上、人権意識の覚醒などがほとんど成長進歩を見ず年月が経ってしまいました。
 学校教育を進めなかったことや職業選択の自由を奪い農民という戸籍を永久に変更できず住居移動を制限したこと、社会保障などがないため社会の動向に注目する意欲を欠く事になりました。そして文明に取り残された、数百年前のような血を見る事件が起こってしまいます。
 
 一方海南島と言えば(02年2月)
http://www31.ocn.ne.jp/~k_kaname/text/02/kainansyou.html
 の記事で紹介したように法官や党組織が国民を無知の状態に置いて国家権力を使って暴利を貪っています。