国家の奨学金を
06/04/13 南方週末 薛涌
歴史が教えているように、各国の貧富の差を減少する最善の方法は教育を広めることだ。弱者に援助を与え公平な教育の機会を与えることでそれが可能となる。それは勿論政府の仕事だ。
残念なことに中国はこの20年高度経済成長をし、国力は増大し、大学への投資も拡大してきたが、国家の奨学金は未だ制度化されていない。
ここでアメリカの例を見てみよう。
アメリカは教育制度も市場原理を採用し国家が教育へ投資することは極めて少ない。
だが国家が直接学生に経済援助する制度は極めて大きい。例えばPell Grannts と言う機構は総額126億ドル支出している。 学生一人当たり最大4000ドルまで借りられる。利用する学生は300万人に及ぶ。それ以外に連邦政府や州政府、私的機関など総額1220億ドル貸し出している。 これらの制度によってアメリカの教育費は世界一高いが、ほぼ誰でも希望者は進学が可能となっている。
中国は毎年100億元支出し、学生一人当たり1万元を100万人の学生が借りることが出来るようにすべきだ。
この100億元という大金を政府が支出できるだろうか。これは簡単に可能だ。現在大学へ財政補助している内からその分を差し引けばよい。実際この費用の殆どは学費として大学へ戻るわけで、学校の運営規模が小さくなるわけではない。
国家が大学に対する援助額を減らせば学校側は学費を値上げをするのではないかと言う反論がある。
このことの解決のために、現在既に中央政府は学生一人当たりのコストを計算しており、それに基づいて各大学の支出額を計算すればよい。
もっと良い方法はやはり市場経済に頼ることではないか。政府は民間大学の創設を奨励し、国営大学への補助金総額を抑えることが必要だ。
例えば最近の例では民間大学は年間学費を2万元で、学生数を1000人とすると、その収入合計は2000万元となる。教授への給与は500万元、学校運営は1500万元で、これは充分可能な実績数字だ。
これらの民間大学はこれまで存在している国営大学よりもずっと優秀な内容となっている。
現在大量の民間資本が高等教育運営に流れようとしている。
教育機関の競争が学費を抑え、良い学校が生き残る。
学校側も適当な学生を選ぶことが出来、現在の国営大学の乱雑な出費を改善し、さらに就職を考えずに異常に入学生を大量採用する無責任運営を改革することが出来る。
(作者は薩福大学歴史助教授)
*******************
訳者注:
日本の場合、大学生の41.1%が奨学金を受けている。
ただ、その数の増大は最近の学費値上げで仕方なく奨学金に頼る学生が増えているようだ。(毎日新聞 4/29日)
中国の民間大学が年2万元の学費というのは大金です。一般的な都市労働者の年収は約2万元弱です。今は何処の家庭も一人っ子なのですが、それでも大金でしょう。
しかし現在の中国にはその程度の教育費を支出できる親も増えているようです。
次は 4/3日の「中国民航報」と言う新聞記事です。
”
中国大連にアメリカ式のThe Honor Roll School と言う名前の国際学校 が06年9月より開校。
この学校はアメリカの南方評定機関の検定を1991年に取得している。
教育目標は学生の視野を広げ、その個性を開発し、国際人としての資質 を育てる、等々。
大連の外国企業10836社から167.6億元の投資を得て設立。学業途 中でアメリカへ渡っても資格は継続する。
”
以上ですが学費は書かれていません。
私が南方週末の記事に興味を持ったのは、学校運営に国家が全ての権力を握り国民のための教育を行う社会主義的運営は乱雑経営になり内容の充実が不可能で、「市場原理が必要」と言うところです。
これは社会主義思想の否定とも取れる発言で、このような発想が堂々とマスコミに登場する環境に中国が成長・到達していることです。
日本も明治以降優秀で個性有る民間学校が多数設立され、それが日本の発展に大きな力を発揮してきたのは事実です。
そして教育機会の拡大は「政府の責任」でありながら、「市場原理」を採用することで内容の充実を図るという、一見矛盾した側面の適当な妥協点を何処に求めるかでしょう。
見方を変えれば、政府に全てを任せず、民間の(国民の)力を社会機構に広く参加させる原則が必要だと言うことでしょう。
「原則は政府の責任」と言うところを忘れずに。