両親不在の子供達


06/05/09 南方週末 周超

 両親が戸籍のないところで働き子供達は故郷に置かれたままの状態。統計によると中国では現在農村から都会へ出稼ぎに出かけている農民は1億2千万人居り、そのうち14歳以下で2千万人の子供達が両親と離れて農村に置かれている。
 
 3月28日午前9時、武漢市江夏区金口街の長山小学校は見たところ普通の学校に見えるが、その中には特殊な子供達が学んでいる。すなわち留守家族の子供達だ。
 両親が遠くへ出稼ぎに行っていて、里へ残された子供達だ。

1年生の黄芸くんの父は昨年病死、家には10万元の借金が残っていたので、母が他県へ出稼ぎに行き服飾工場で働いている。そして家へ帰るのは1年に1,2度のみだ。
 その子は両親の話をしかけると、すぐに泣き出す。常に泣いている状態だそうで、授業中も静かに泣いているという。遊び時間も余り他の子供達とは一緒にならず、教室に残って涙を流しているという。
 長山小学校の253名の子供達のうち、このような留守家族の子供は107名居る。
家庭が貧しく、仕方なく出稼ぎに行っている家族がほとんだそうで、本来は家族と一緒に出かけるべきだが、戸籍制度が邪魔して、出稼ぎ先では学校へ入学できないのだ。また、都会では学費やその他の出費が多いことも連れ出せない理由の一つであろう。

黄君は最初は母と一緒に出稼ぎ先の学校に入った。しかしそこでは地元の子供達に「郷言葉」をからかわれて、なじめず無口になってしまった。そして里へ戻ってきたのだ。

もう一人の子供の場合、父が出稼ぎ先で料理の仕事をしているが収入が少なく母も出稼ぎに行った。母が言うには、「どこの家庭でも子供は”手のひらにのせた宝物”であろうが、しかし貧乏には勝てない」とのことだ。
 
 郷で親代わりをしているお爺さんお婆さん、或いは親戚の人たちがいかに可愛がっても、親の愛には勝らない。
 又別の子供は「両親には何でも話せるが、祖父母には話せない」という。
特に問題は祖父母の場合、中国ではほとんど文字が読めないので、孫の学校の宿題には全く手が出ないことも関係している。
 
 中国では特に貧しい地区に出稼ぎが多く、そのよう地域では祖父母の教育水準が低いものだ。
 統計でも祖父母の家庭より両親の揃った家庭の方が教育効果が高く現れている。
”教育の効果”という表現には人間的な成長という意味も含まれている。
 
 華師大学心理学院が国家教育部へ提出した調査によると、農村の留守家族の子供達は「正常な親子関係、正常な世界観と安全感、信用感、社会への信頼度」などに問題があるという。
 もしこのままの状態を放置すれば、中国社会全体にとって”危険分子”を大量に放置することになると言う。
 
 専門家の提言によると、里で”青少年クラブ”のようなものを作り、共同で活動し、相互に援助協力することを体験させれば、精神的な成長を正常に近づけるのではないか、と言っている。
 できれば祖父母と言われる人たちの集団に対しても一定の学校外教育を施行しては如何かと提案している。そのことが家庭の密度を高め、児童の精神的安定に役立つだろうと言う。
 また学校で児童が出稼ぎ先の両親に電話をすることが出来る設備なども、子供と教師の両方にとって良い補助的教育になるだろうと指摘している。

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訳者注:
 親にとって小さな子供は「手のひらに載せた宝物のようだ」というのは、何処の国でも同じでしょう。
 しかし中国では戸籍制度があって農民は都会で住む資格がなく、農民の子供は都会では学校教育を受けられない、その社会的不正・悲しさが書かれています。
 その不正の出稼ぎ農民が1億2千万人居るというのは驚異的な数字です。
 その不正を指摘する新聞記事がここに登場しているというのも驚異的です。この記事が21世紀であることも信じられません。
 その農民達を呪縛している党が先日から「農民の地位向上」を論じあっています?

”危険分子が社会に流れ出すから対策を講じる必要がある”と言う論法で国民の地位向上を語るなど、これも信じがたい話です。


徐傑さんはお婆さんの所で養われている。出稼ぎに行っている母は数カ月に1度帰宅する。その時が子供にとって一番うれしい時。      


この子達は親が都会にいてそこの学校に行ったことがある。
しかし都会の学校は馴染めず田舎に戻ってきた。


田舎の学校では成績が一番。でも性格はかなり内向的。


黄お婆さんには息子1人と娘が3人居た。だがその子等は全て孫を置いて都会へ稼ぎに行った。夕食でテレビを付けると騒いでいた孫達はやっと静かになる。


都会へ出稼ぎに行った父が時々小遣いを送ってくれ、それで玩具を買う。回りの子供達が羨ましそうに見ている。


都会へ行った両親を想って孫がぐずるとき、お婆さんは孫を近くの山へ連れて行って都会の方向を見て慰める。