貴方の家にチーパオありますか


05/12/01 南方週末 猿念基

  話は1998年のこと。当時「世界中学生運動会」があり上海で行われた。参加したオーストリアの外国生徒を連れてある家庭を訪問することになった。その理由は「中国のチーパオを見せて欲しい」と頼まれたからだ。
 
 私の家にも母が娘時代に作ったものがある。それは絹製で50年経った今でもつやつやしている。幾つかの製法があるが、いずれも基本的には「しなやかさ、端正、優雅」等を特徴とする。
 1920年代、「最近のはやり、モダンな娘がチーパオを着、古代の威厳を備え、また如何なる正装にもなる」として上海の新聞に登場している。
 また「封建的な感じの長いスカート短い上着の衣服から、近代的なチーパオに娘達が憧れているのは中国近代化の表れだ」と記されている。
 文革が始まりチーパオはすっかり影を潜め、やがてテレビに登場するのは80年代だ。その時上海には2店だけがチーパオを作っていた。
 演劇関係者以外でチーパオを作ったのは中国系外国人だけであった。
 94年の国慶節で有る演劇家が北京の中南海で江沢民と朱容基のために演劇をしようとしてチーパオを買うのに苦労したと言うことだ。
 当時チーパオを作れる人も少なくなっていて、1着に15日かかった。1着30元のものが日増しに値上がりして50元まで上がった。
チーパオは私達普通の人間に遠いようで近いようで、決めがたい。
 例えば娯楽所やテレビに登場する小姐(お姉さん)が着るものは裾が大きく開き、お爺さんが見たら卒倒するかも知れない。
 チーパオは場所と人とを選ぶのではないか。

 チーパオは元は清の時代を作った満州族の服装だ。辛亥革命以降中国では一般に着られるようになった。

訳注: 辛亥革命。 1911年、孫文が清朝を倒し共和国宣言した。

 現在ではチーパオを知ることが中国の理解の一つとも言われている。
 和服と言えば大和民族を思いうかべるのと似ている。
 日本では3才、或いは5才に「7・5・3」と言う式典があり、その時和服を着る習わしのようだ。
 その時の子供は将来直ぐ大きくなるので、和服は簡式のものである。女子が20歳の時成人式として80%の人が和服を買って貰っている。
 日本で和服を着るのは結婚式や重要なパーティー等重要な時に使用されている。
 韓国人もそのような大切なときに民族服を着ている。

さてオーストリアの学生が中国人の家庭に来たとき、彼等は先ず中国料理に向かい、次いでピアノを弾き、ダンスをした。そして誰もチーパオを見たいと言い出さなかった。おそらく充分楽しんで忘れてしまったのであろう。
 で、実際、もし彼等がチーパオを見たいと言ったら本当にそれが可能であったかどうか。多分、当時はその家にもチーパオはなかったであろう。そのことが未だに忘れられない。