風刺詩で逮捕

 重慶の秦中飛と言う人が時局風刺の詩を友達にメールで流したのが06年の8月中旬。
8月31日に公安が彼の家に来て派出所へ拘引。翌日から「国家誹謗罪」で牢獄へ。公安がこのメールを受け取った人達を捜索。その数約40から50人。

 最初にこの事件を「南方都市報」が9月19日に次のように報道した。

 ”  水に浸かった春の庭

  元気の良い人だけ暴れ回り 
  トップは隠れてやり放題
   周りは膿だらけ
   何処を見ても 
   不思議なことばかり
   官民衝突し  
   しかしそれは一方的 
   町民はうちひしがれ
   お偉方は死体からも財を探し 
   見とがめる庶民には空砲で脅迫し     これに如何に耐えるのか
   逃げる場所無く  
   いたずらにやるせない想いのみ
   トップの人達はますます腹を肥やし 
  人々は痩せ 空中に楼閣を求めるが如し 
  誰も咎める人無し 
  高級ホテルに群がる人
  そこにのみ笑いがあり
  苦々しく思う人あれど 
  いたずらに苦しむのみ
   
 この詩は正に時局を極めて上手く風刺している。不幸なことは作者がメールで送信したため1ヶ月の拘留を受けている。
 中国の法律では「誹謗罪」はその被害者が訴えることとなっていて、しかも公安の手を得ずただ裁判所だけで争うことになっている。
 しかしこの事件では誹謗されたとされる官員の名前は登場せず、最初から公安が出動している。これは法律に違反したり方ではないか。
 もし官員が「気にくわないこと」があり、公安に通知しただけで国民が牢獄に入れられるなら、それこそ権力の乱用であり国民の権利を侵していないだろうか。


 この報道を見た人がインターネットに掲載
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      作者 李星辰

 この詩の意味はなかなか面白い。彼はこの詩を単に娯楽として数人の友達に送った。だが彼が思いも掛けない方向へ事件が発展。このメールを回し読みした仲間達が次々に公安に呼び出された。その人数は40から50人に登ったようだ。作者は牢獄で苦しみ、メールを読んだ仲間達も思わぬ災難が降りかかっている。

 秦中飛は重慶彭水県出身、98年錦陽師範卒業後、高谷中学教師に就職。03年彭水県教育委員会人事課勤務。彼は趣味として唐の詩を作成していた。
 9月1日逮捕されて、妻の陳京さんは無職で夫の月800元の収入が無くなり家族3人を養う生活に困っている。秦さんの母は逮捕を聞いて卒倒。

 一つの詩が何故このような事件になったのか、官方面ではハッキリとした説明はない。
 有る識者の話では詩の始めに書かれた言葉が現在の県長と県党書記を意味しているのではないか、と言う。
 またその最後の「高級ホテルなど」は、トップの出入りする所と一致しているのでは、と言う。
 このメール事件を調査したのは県の「国家保安大隊」だとのこと。
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   別のホームページ
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「博客群組」9/19

 秦中飛と言う人が風刺詩を友達に送りメールを貰った人達を調査中。彼の妻は裁判所に援助を申請。
 このメールを読んだ人達が次々と公安の審問を受けている。その内容は「誰から受けて誰に送ったか、この詩の内容を如何に理解したか」、である。
 公安は審問後友達を釈放したが、しかし友達の中には政府機関や学校教師などが多数居たようで、彼等は次の再任は不可能となる可能性が高く、大きな不安を抱えている。
彼等の家族や親族達は誰もびくびくとし、今後の行方を恐怖の眼で見ている。

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 そしてこの事件は世界に報道され日本でも多くの新聞が取り上げている。国内・国外の報道を受けて公安が10/24日態度変更。

 別のホームページ

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    江海論壇 10/26

 10/19日「南方都市報」が報じた重慶の秦中飛氏が作った風刺詩の事件が展開している。
 10/24日公安局はファックスで秦中飛の弁護士に「今回の逮捕は間違いであった」と連絡し、公安は詩の作者に弁償金を払うことを発表。
 1日73.3元で拘留が29日、 計2125.7元となる。
 しかし本当に事件が終わったのだろうか。
 一体誤逮捕であるなら誰が免罪を作ったのだろうか。

 国家が払うという2125元、これは大金ではないかも知れない。しかし個人間のやりとりではない。国家が払うと言うことをしっかり見つめておきたい。
 さらに被害者は秦中飛一人だろうか。彼の家族だけだろうか。司法のあり方、政府の信用問題、言論の自由、等々の多方面の問題があるのではないか。これらの問題は些末の金銭で解決の着く問題ではないだろう。
 少なくとも、明確に言わせて貰えば、この事件を起こした人は名乗りを上げて辞職すべきではないだろうか。それは一人の責任ではない。この逮捕に同調した官員は全て何らかの責任があるのではないか。
この事件が今後の中国にとって言論の自由が拡大する方向に役立って欲しい。
 さらに秦中飛が「誹謗」行為でないなら、誹謗だと指摘した人を調査すべきではないか。その結果を世間に発表して欲しい。
 この事件をうやむやに終わらせるべきではない。そうしないと政府の行動全体が信じられなくなるだろう。

 何らかの明確な説明がなければ、今後また2度3度の秦中飛事件が起こる可能性があるのだ。  
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  次は南方週末の記事

06/10/26 南方週末  紹燕祥

  私は重慶彭水市民の秦中飛氏が「諧謔詩」をメールで送り逮捕されたことを知って昔のことを想い出した。

 それは1980年の春に次のような話を聞きました。
 当時有名な「張明徳」という歌手が、文革(66から76年)の最中に生活が苦しく圧迫を受けている人々の様子を誰にも判る言葉で「泥の苦しみ」と言う詞で歌った。すると直ぐに彼は「鬼か蛇」だとされて、文化館を首になり農村労働に下放されました。
 
 彼と妻は病気を治すお金もなく、家具を全て売り尽くし、1973年の冬73歳で免罪を負ったまま亡くなりました。
 その後も長く彼の免罪は据え置かれました。

 私は彼の歌が好きでその「泥の苦しみ」を想い出に書き残していましたが、それを「新彊文芸」に投稿しました。すると紹さんを冤罪に陥れた党幹部が「怒り心頭に来た」と行って「この詩は何処の誰が投稿したのだ」と言いました。 
 つまり当時の私は、現代の「秦中飛」と同じ立場になったのです。
 しかし幸福だったのは、当時私はその幹部とは別の北京に戸籍があって、胡耀邦と登小平が文革後の「免罪見直し」を進めている時期でした。
個人の発言を捉えて、一人の詩作で投獄させることは、もう流行らなくなっていたのです。

 1957年の「反右派闘争」の頃、私が作った風刺詩が祭り上げられました。その罪名は秦さんと同じで、「党を誹謗し、幹部を誹謗している」です。
 当時全ての発言は「国家にとって香りの良いもの」であるべきで、そうでなければ「毒草」のどちらかにされました。
 その判断で私の詩は「資産階級で右派」とされました。
 1966年文化大革命が始まると、あらゆる言動・行為が細かく点検され、「反党」「反社会主義」「反毛沢東」として検査されました。
 1979年になってこれらの行為は間違っていたとして中国は新しい時代に入ったとされました。
 党の第11期3中全会が開かれ、「国家の建設は階級闘争ではなく、近代化であり、思想の開放」が謳われたのです。

 それまでの愚かしい行為と別れることになった、と言われました。
 その後私達の党は常に改善改革されてきています。「昔のこと」を私も少しづつ忘れていくようです。
 歳も取り、頭も弱くなり、毎日のことに追われ、本当に「昔のこと」が記憶から消えていきます。
 しかし今回の秦さんの事件が「昔のこと」をハッキリと想い出させたのです。
 勿論私は右派であったとしても、秦さんはそのような人ではないと思います。でも今の若い人達は文革の経験がないでしょう。

 まるで歴史が逆転するかのような思いになる今回の事件。
 若い人達は人間には当然として世界共通の人権が有り、法治国家であり、民主であるはずだと思っているでしょう。
 でも今回の事件を受けて、我が中国の制度を根元から考えて欲しいと思います。
 老人の私が口を挟む必要もないでしょう。

 しかし今回の事件は中国の地の果ての小さな村の、偶然起こった小さな事件でしょうか。
 このような基本的な人権問題、法治国家としての問題を何処が管理しているのでしょうか。今回命令した党幹部はたまたま間違ったことをしたのでしょうか。
 文革の時代は今回のようなやり方が「国家の根本法規」として社会を動かしました。その国家の根本法規は廃止されたことになっています。あの悲惨な歴史を再び繰り返さないために如何なる努力がされているのでしょうか。

 かって国家機関が行った免罪と今回の免罪と何処に差異があるのでしょうか。
 全て上層部で検討されてその結果だけ下に下ろす方法は何ら変わりがないのではないでしょうか。正しいことを上層部で「反動」とすることは常時行われていましたし、それを国民が覆すことは不可能でした。

 文革時、免罪による死刑判決も形の上では法廷の審理が行われていました。そしてその結末は「全民の意志」によると発表されてきました。それを思い返すとぞっとします。 

 言いたくないけれど、今回の事件を現地の党幹部会は「右派が騒いでいる」と表現していないでしょうか。
 50年前、「右派」は数十万人いるとされていました。半世紀が経ってその数十万人の内幾らかが生き残って騒いでいると言う考えがされていないことを望みます。
 
 今回の事件が公的な眼に触れるような形で報道されたのはインターネットや報道機関の責任感のある人達の努力の結果です。
 この事件の責任者達は一時的に中国の一部を支配したけれど、これを機にその見識を改善し中国の党中央が呼びかけている「全国民の融和」を目指して努力して欲しい。
 
 何時までも頑固に世論を受け入れない態度を固持せず、上辺だけでなく本心から批判を受け入れて欲しい。
 
 最後に秦さんの詩について一言。
 この詩は厳格には韻律が整理されていなところがあります。
 しかしこの諧謔詩は本当に有意義だと思います。

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訳者注:

 政府にとって香りがよいものは味方であり、
        それ以外は全て「毒草」である。
 これが中国の国家が成立する基本思想です。香りが良くないものを「しらみつぶしに探す」。毒草が国家の中から無くなれば人類の理想社会が来る。

 毛沢東在中の中国では毎日がこの点検でした。「ワイルド・スワン」「大地の子」等で、読者が全編で胸中を締め付けられるように感じたものが、これでしょう。誰もが何時逮捕されるかもしれない不安に満ちた社会。

 党の価値観は極めて単純でした。「味方か敵か」、だけです。地球上の全ての物質は「敵か味方の立場を持つ」と説明されました。
 その中間や同列に並ばない人や物や制度は無いとされ、それを認めない者は「無階級思想」「反動」として人生を狂わせられました。

 この立場の違いの対立が社会発展の原動力で生産力を高める、とまでに極言しました。毎年各地域で3%の敵階級を糾弾する大会を開きました。

 敵か味方の点検が建国後30年間国民を動員して真剣に行われ、毛沢東死亡の頃は国家全体が死滅寸前でした。
 この「階級的見方」が誤りとされ愚かしい行為として反省され「近代化」が必要と認識したことになっていますが、国家の法律と制度は根本的には変わっていないことを今回の事件が示しています。 

 現実の社会は無数の立場や位置づけがあり、それぞれが存在の価値や意義があります。極めて複雑です。
 全ての生命体は「生命を全うする」、この願いの実現を目指して社会を動かしています。

 でも歴史的には人類はこの極めて単純化された思想を、日本を含めて広範囲の地域に広がった時代を持ってしまったのです。
 この事件の教訓は中国だけの問題ではないでしょう。

 もしインターネットと国際的な批判がなければどうなっていたでしょうか。
 もし貴方の行動・言葉が国家や傍にいる人によって「しらみつぶしに点検」されたらどうしますか。