”黄静”事件


06/07/20 南方週末 呂明合



      黄静さんの遺影を掲げる両親


  1人の若い女性の裸体の死亡事件を巡ってこの3年間、中国は司法のあり方を巡って国民の注目を集めた。

 事件は03年3月1日午後2時頃26歳の国税局員、姜俊武さんが21歳の小学校教師黄静さんと食事を共にした。そして翌日の午前11時頃、学校で裸体で死亡している黄さんを母親が発見した。
 直ぐに湖南省の新聞「都市報」が”21歳の美しい女性が一糸纏わず学校で死亡”と掲載した。
   
 興味本位のこの報道の所為もあって、以降世間は圧倒的に男性の姜さんが犯人と考え、非難が集中した。母親の黄淑華さんには応援の声や手紙が多数集まった。

 しかし3年経過した7月10日、湖南省の法院は「嫌疑人姜氏は強姦未遂犯人とは断定できない」と裁定した。
しかしその後も圧倒的にインターネットには母親支援と姜氏非難のメールが続出している。

 中央テレビは「これまでの報道で各社は現地調査を行わず電話だけの質問で最初から犯人を姜氏と決めて報道してこなかったか」と報道した。
 又同時に司法のやり方について無責任で腐敗した機構のやり方だと非難が上がっている。

 事件直後からインターネット上に母親支援の頁が作られ、多くの提案が集まった。母親の黄淑華さんは50歳過ぎだが直ぐにインターネットを覚え、自分の電話番号を掲載した。 支援の申し込みの中で、中山大学の芸暁明氏と記者が名乗り出た。
その後も現地新聞が報道を続けたが、それらは全て母親の支援で、インターネット上に娘を追悼する”天国の花園”という頁も作られた。その頁を訪れる数は直ぐに数十万を超えた。遺体の長期保存を呼びかける頁も作られその費用が集められた。
 インターネット上のメールは、動きの鈍い法院や公安を非難し、そしてそれ以上の非難と罵倒の声が姜さんに集まった。その罵倒の声は姜さん家族全体を押しつぶそうとした。
 メールは主に警察が賄賂でしか動かないこと、その非難のはけ口の続きで姜家を罵倒した。
母親の方は湖南省人民大会の司法主任に事件早期解決を願いに行った。しかし「この事件は簡単ではない。しばらく時期が来るのを待って欲しい」と断られた。法医は死因は病気だと鑑定した。
 その頃は世間の目は姜家を非難集中していた。

 母親は「法官は盲目です。法医も盲目です。公安も。便りに出来るのはメールで支持してくれる人だけです」と嘆いていた。

 姜さんの父が地元の弁護士を捜し援助を求めた。弁護士は「息子さんが犯人になる証拠や条件は全くありません」と励ましてくれた。

 03年5月には「中国公安部にお願い」とする署名簿が作られ、事件の即時徹底的調査と解決を呼びかける動きが始まった。
 その署名の中身には「地元の法医と派出所刑事の停職要求」が記されている。
 仕方なく公安が動き出し、03年6月2日姜氏を犯人とし逮捕拘留した。
 ところがインターネット上にはこの突然の逮捕に真実を疑うメールも多数表れた。
 
姜家の電話番号を許可無くインターネットに掲載した者が有り、姜家に非難の電話が毎日数多く鳴りだした。

 自宅の電話番号を記載されたのは姜家だけではない。公安派出所所長の宋さん、法医の呉さん、公安分局偵察隊長の何(ハ)さんらである。 彼等の家にも事件解決を要求する電話が鳴り出した。

 各種報道機関も盛んに報道した。しかし当の姜さんは「ニュースにはなるが、私自身採訪されたことはありません」と述懐している。
 少数の記者が姜さんを探しに来たが、その態度は最初から彼を犯人として決めつけて質問する内容だった。 
 
 報道機関が客観的でないので姜さんは報道機関と会うのを断るようになった。
 だがそのことは疑惑の目を姜さんに一層強く注ぐことになるだけだった、と姜さんは後悔している。
  姜さんの友達がインターネットに「事件の真相」という頁を作ったこともあったが、そこには誰も見に来なかったし、反対に批判と誹謗の声のみが届けられ、直ぐに掲載を止めた。
 彼と友達が協力して黄さんの「天国の花園」に「皆さん、理性を失っては行けません。法律によって解決し、真実を追究しましょう」と投書したが、直ぐに削除された。

 メールやインターネットのやりとりは海外でも中国語で世界中に広がるようになった。 当然のように公安の意見と姜さん側の意見は載らなかった。

 中央テレビの記者が終始一貫してこの事件を報道したことが、やがて事件の報道姿勢を大きく転回させることになったようだ。
 03年7月に「21歳の女性教師の奇妙な死亡事件」、04年5月には40分間の「黄静さんの死」、06年7月の裁判を受けて「長かった解決」を放送した。
  
 最初の03年の報道は公安が世間の圧力に負けて姜さんを逮捕した直後だった。
 その記者のみが被害者黄さんと姜さんと両方の意見を聞くべきだと主張していたので、姜さんは記者の面接に応じた。そこで初めて世間に”姜さん当人の意見”が如何なるものかが報道されたのだ。

 世間の関心と報道の高まり、支援の意見を受けて、黄さんの母が再度遺体を2つの医科大学での法医による鑑定を請求した。
 その鑑定結果は警察の法医鑑定とは異なり病死ではない、非正常死だと出た。病死になるような原因は黄さんには見られない、と言う。
 その時警察に保存された”心臓”が破壊されており、ホルマリンの漬けの遺体も腐り出したので警察は家族に早急に火葬に出すよう強制した。
  
 04年12月7日、本事件の非公開裁判が開かれ、”姜氏強姦未遂罪”が提案され、3名の鑑定家と4名の刑法学者が「強姦(未遂)による致死」と意見具申した。
 だが、裁判の結論は次々と延期され、06年7月になった。その法廷には報道機関が多数(40社以上)押しかけた。
 そこでの判決は「特殊性行為」があったが、強姦未遂罪ではない、というものになった。 追記して「死亡には姜氏が50%の責任があり、黄教師の母に59399.5元を賠償として支払うこと」と書かれた。
 その判決には最高人民法医の鑑定結論もおなじ見方だと併記されている。

 姜氏の”無罪だが賠償付き”、と言う判定に両家が不満を表明した。
 黄さんの母は控訴します、と断定的に主張した。姜さんの父は「何故無罪なのに賠償が必要か」と不満を語った。

 インターネットの頁もこの判定に不信の意見が集まった。
 法院の主任は「まあ、誰にも意見発表の自由があります。しかし我が法廷の結論は法律そのものです。」と決然として言う。

 その判決が出て以降、牢から出た姜氏は自宅に引きこもりの毎日である。電話にも出ない。
 「何をしても頭が晴れず、気分が冴えません」と語る彼の顔は牢獄生活が長いためか白っぽく、目には疲労のクマができている。

 各種報道記者と会うとき彼は俯いたままで、しきりに「糞、俺が何で」と世間を恨む様な様子を示す。

 彼の父の話によると姜氏は拘留されてからは精神が不安定で、牢に友達が面会に来てくれた時、規則では30分の面会とされているのに獄吏は10分で中止を命じてきた。すると姜氏は警察員の手を払いのけ大声で叫び喧嘩のようになったという。
 
 父は3年間息子の免罪をはらすために職場長の許可を受けて仕事を休みにしている。母も職場に退職届を出している。
 家には彼等夫妻が集めた事件関係の資料が山と積まれ、人民大会や市の政治法律委員会等諸機関に事件早期解決依頼の書類がある。

 「20日後に息子が法律上も無罪となります。そうすれば職場復帰も出来るはず」と父はその日を待ち望んでいる。近くを通り過ぎる人達に笑顔を返すその気持ちも少しは落ち着いたようだ。
 
 他方、娘を失った方の黄さんの母は2年前に既に退職届を出し、中国内のその道の専門家などいろいろな関係機関を訪れ、手にした名詞類は数百枚を超えている。

 母は「検察院はもう上告しない」というのを聞いて悲しみが募り、これからどうすればよいか思案に暮れているようだ。
 彼女は言う「これまで援助してくれた人達、同情してくれた人達、姜家を罵った人達、多くの報道機関の人達、あの人達は傍観者なのか、それとも親身に考えてくれたのだろうか」
と思い返している。


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 訳者注:
 中国の公安や裁判所がどのようなものかが良くわかると思い紹介しました。
 まさに事件解決にはほど遠い適当な調査と真理追究の無い国家制度です。

 中国の建国時、全ての生産手段が国家所有となり、社会の根本的な矛盾は解決されて、人民内部には大きな矛盾対立は存在しない、と考えられました。
 そこで公安や裁判制度は不要と考えられ、実際は党の下部機構としてあまり権限も与えられていません。公安は予算さえ不充分で自分で稼いだりしています。
 
 しかし建国時の思想が誤りだとして党も反省し、建国後40年して国民が裁判に訴える権限が法律に記されました。 
 しかし公安や裁判所の機構は建国時と同じです。
 その機構内の法医も無責任、真理追究が出来ません。
 ”社会主義には免罪が星の数程ある”、という記事がこれまで何度も出てきています。
 牢獄内では牢名主がおり、公安の命令で新入牢者に制裁を加えさせたりしています。それで新入牢者が殺された記事もありました。

 そしてこの記事で最も驚くのは、政府の仕事に極めて多数の人達が意見を持ち出したことです。数年前まではこのような国家の仕事に意見を言うことは皆無だったでしょう。
まして公安や法医に免職を要求するなどは独裁党にとっては恐怖ではないでしょうか。
 と言うことは社会主義にもやがて民主主義が芽生えると言うことでしょうか。

 中央テレビの一人の記者が真実を追究する姿勢を持っていたことで、この事件もある程度正常に動き始めました。逆に言えば報道機関も政府と同じで、国民を蔑み人権尊重の姿勢が欠落しています。

 報道機関も建国時の思想は「党に指導され、敵階級の扇動を暴く」ことだけが期待されました。真実は常に党側にあるとされました。国家の前進や開明には全く役立っていません。

 ”無罪だが賠償しろ”と言う判決は裁判制度上根本的に矛盾しています。世界が狭くなった現在、良くも一つの国家機関がこのような馬鹿馬鹿しい裁決を出せるものです。 

 インターネットという情報機関が一般国民に開かれざるを得ず、最初の3年間は圧倒的な中国人は姜家を犯人と予断していますが、この事件を正常にする大きな役割を出しています。もし国民が声を上げなかったら公安はこの事件で姜氏を犯人にして幕を引いたでしょう。