”李昌平”のその後


05/12/01 南方週末 師欣

 5年前本紙に登場した”李昌平”は毎年本紙の選ぶ{年間注目記事}に登場している。

訳注:
http://www31.ocn.ne.jp/~k_kaname/text/02/syoutennoumin.html
 02/07/ 「農民の本当の姿を」

 彼は農民の苦痛の生活を知って貰うために掟を破って上級を通り越して直接当時の総書記、朱容基に手紙を出した。(容は金偏)
 その手紙の書き出しは「有る村の党書記の気持ち」となっていた。
 お陰で02年には中国全体で農民の生活実態が表に出され、議論が沸騰した。しかし李昌平自身は1階級上の組織に追放され、広州へ逃げた。
 彼は83年 湖北省で農民として初めて大学に合格した。
 その学生時代から彼の心は”農民のために一生を捧げる”事に決めていたという。そして生地の村の党書記となり17年が過ぎた。
 南方への逃避行以降、また湖北省党委員会に追われて北京へ逃げ、農業専門雑誌「中国改革」に入った。
  そこで「皆さん、この現実を見てください」と言う本を出した。
 また大学生に呼びかけて「冬夏休暇の期間を利用して農村調査」の運動を提案し、その寄金を募集している。だが事情は詳しく分からないが03年再び雑誌社を離れ香港へ移った。
 香港の公益組織「楽施会」に入社し貧農家庭補助基金の窓口になった、
 彼にはこれまで幾つもの仕事の誘いがあったようで、年間20万元を提示した企業も出たという。如何なる高額の誘い、或いは報奨などの話があっても「私は普通の人間です」と言って辞退している。 
 現在暇を見つけて香港中文大学の図書館に通い、過去の中国農村の事情を調べている。 これまでの農村は「国家の工業化」を支えるためであった。これからは「工業が農村を支える時代」としたいというのが彼の意見だ。

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訳者注:
05年12月の日本の各紙に「中国で2800年続いた年貢制度が廃止」と言う記事が出ていました。地球上ではほとんどの国家が相当前から廃止しています。
 李昌平の記事の中にもこのことが「日本」の例として書かれています。
 勿論現在の農民の苦痛は年貢が廃止されるだけでは向上しません。
 農民の利益団体が組織され、発言が社会的に登場するまで、何時までも奴隷と変わらない状態が続くでしょう。
 それはこの李昌平の記事の中でも、管理する党組織・地方政府組織のみが次第に巨大化し、地方税を農民に押しつけてくる、として説明されています。
 又土地が国有のため、現在は請負制度として、生きて働かない限り土地を所有できません。
そして国民全体が人間としての基本的人権を法的に認められるまで、農民も都市住民も党独裁の道具でしかありません。

 建国後55年して初めて農民の実態が国民的に討議される社会とはどんなものか、それが「中国社会主義社会」ですが、本当にこのことを中国人自身どう思っているのでしょうか。10年前まで人口の8割が農民でした。しかし誰(?)も農民の地位に目を向けなかった。誰もが実態を知りながら、その改善を口にしなかった。この李昌平が命をかけて主張した。その本人は「私は極めて普通の人間です」と言っています。