不様な旅行をする中国人


06/09/28 南方週末 編集部

  中国政府は中国人が旅行するときの行儀作法について文明国に相応しいものに08年までに改善するよう発表した。

 来年の5月の黄金連休までに国内・国外の旅行に対して行儀作法の改善の運動が始まった。

 これまでの中国で公民としての素養・教育に大きな欠点があったのだろうか。
 一歩家を出れば、会話や道路上や食事の時等々、本当に礼儀を欠いていると言われて当然の状態が見られる。

  フランスやドイツ、日本、タイ、シンガポール等々で「中国人はトイレを使ったら水を流すこと」「ここでは静かに」「痰を吐かないでください」等の注意書きが書かれるようになった。
 今世界で「中国人は非文明、荒っぽい」の代名詞となりつつある。
 ゴミをまき散らす、公用車で席を争う、列を乱す、公衆の前で靴と靴下を脱ぐ、胸をはだける、食事には多くの席を占領する、大声で汚い言葉をまき散らす。

 9月22日、中央国家旅行局がこのような10種の非道徳的行為を改善するように呼びかけ、インターネットにも掲載した。

 この数年、中国人が海外にも旅行するようになって、「中国は礼儀の国」という以前の評判を大きく失墜している。

 中央文明協会組長の李さんは「今後の3年間、中国人が公民としての素質向上計画を実行し、国家としての栄誉と尊厳を守る運動を行う」と発表した。
 
  お金持ちが道徳家とは限らない

 今年3月欧州に仕事で出かけたトウ女子は
「今では何処でも中国人と出会います。その数は05年度で3100万人で、00年の約倍です」と語る。

 05年8月、台湾から”台北中央社”が香港のディズニーランドへ採訪に来た。その画面が報道した内容は、入園者の楽しそうな画面だけではなく、中国人の団体が、列に割り込む、道路に座り込む、子供に何処ででも大小便をさせる、等々の見たくない画面が続いた。
 また逆に大陸から台湾へ出かけた”旅行視察団”が食堂の「禁煙」を無視して煙草を吸い出す場面が報道されている。その視察団は13億中国人の内、かなり高額所得者ばかりであったが、しかしお金持ちが道徳家とも言えないことがこれで解る。

 これらの報道を見て中央政府は驚愕した。直ぐに中央政治局常任委員の李長春氏が「旅行道徳の質的向上を」と呼びかけた。

これから中央政府は、誰でもわかりやすい言葉で文明強化のため、特に海外旅行に対して礼儀作法改善の指導を行う。
 8月8日、その行動が開始された。期間は3年とされた。

この行動に対し海外の報道機関が中国政府に歓迎の表示をしている。
 中国では1952年に「愛国衛生運動」、1981年に「5講4美3熱愛」と言う運動が全国的に展開され、中国人の生活改善が計られた。
 しかし現在問題となっているのは、中国人が国際的に通用するかどうかの道徳規範である。中央政府はこの運動で中国が国家として国際的な地位が向上するところを狙っている。

  公共での基本礼儀の欠陥

 国家知識産権局の張利深氏は、中国人の非文明的な礼儀の一例として良く言われる「列を乱して窓口に殺到する」「何処にでも痰を吐く」の他に、「大声で群がって歩く」を上げている。 
 中国人は集団行動が好きだ。数十人が大通りを占領する、大声で話し笑う、休むときは何処にでも座り込み、或いは一人で長椅子を占領する。

 他国のホテルでは大勢の客が居ても静かなものだ。話すときも周囲に迷惑にならないように声を抑えている。しかし国内となると全く異なる。客がいればそこはもう大声で乱雑極まりない。

 台湾の学者がアメリカの様子として書いた書物の中に、「ニューヨークで2人が喧嘩しているので他の人が警察へ電話をした。警察が来て2人にどうしましたか、と聞くと当の中国人は”今2人で耳を寄せ合って囁いていました”と答えた」と言う話が載っている。

 上海の学者も次のように記している。「中国人の公共での振る舞いは本当に困ったものだ。公共の車に乗ると席を争う、老人や妊婦が居てもお構いなしである。何処にでも小便をする、食事でぐちゃぐちゃ音を立てる」。

  アメリカのメンフィス大学で教鞭を執る孫氏は「中国人が公衆の前で何処でも小便をする習慣は、子供の時に股下の開いたズボンを穿かせて何処でも大小便をさせていることに由来するだろう」と言う。
 このような躾を受けて大きくなれば、「公衆の前で鼻汁を棄てる、鼻くそをほじくる、食事時に噛み切れない骨をテーブルの上に吐き出す、何処にでもゴミを捨てる、約束時間を守らない、規則を守らない、周囲を見て動作や声を抑えることが出来ない」の様な行為が表れる。これらは実に奇怪な仕草に思われるだろう。
 
 イリノイ大学に留学した女学生が次のように教えてくれた。
 学外の中華系食堂へ行ったとき、そこには大勢の客が居た。30歳位の中国人2人が大勢の中で些細なことで喧嘩を始めた。外国人達は列を乱さず、静かに並んでいる、警察にも届けない。外国人はそれが習慣となっているようだ。それを見て私は恥ずかしくなりその中華系食堂から逃げ出した。2度とあの中華系食堂には行きたくない、と言う。

 英国へ留学している王さんが教えてくれたのは「中国人はカメラを何処でもガチャガチャ撮っている。その場所が便所であれ、撮影禁止の表示があるところでも。それらを見た英国人は、中国人は単純だね、と言い、他の人は中国人は理解しがたいね、と表現した」と言う話だ。
 
 復旦大学の教授葛剣雄氏がアフリカへ行ったときのことを話してくれた。
 現地では中華系の商人が居て、中国人と分かると待ってましたとばかり持ち出し禁止の象牙を売り込む。持ち出しには「これは模造品です」と記された偽の許可証を用意する。中国人にはそのような禁止品を持ち出す趣味があると理解されているようだ。

 中央政府の指針の中で「全ての礼儀の改善の初歩として旅行中の礼儀作法改善は大いに意義がある。海外旅行者は中国の中では比較的高収入者であろう。先ず彼等から礼儀作法を改善して貰い、その後少しずつ一般国民に広げていく方針」だという。
 それらの具体的な指針は来年5月の黄金週間までに出揃うという。
 その一部では旅行者に対し訓練の場を設けるという。彼等の旅行の結果を商務部で集約し旅行会社に連絡する、となっている。
 海外での礼儀の程度により場合によってはパスポートを再発行しない処置も考慮されているらしい。
 旅行会社は”動物に近い礼儀を失した行為の種類”を旅行者に告知する義務がある。
 有る評論家は「中国公民の文化が低いのは数人の旅行客が悪いのではなく、国民全体の問題だ」と指摘している。

   人間は誰でも笑うものだが

 台湾から北京に来ている2人の女学生が次のように言う。
「汽車に乗ると誰もが入り口に殺到する。それらの人は教育の低い人だけではない。大半は学生だ。例え小さな子供の手を引いている人でも強引に席を取り上げる。
 宿舎にある3個のゴミ箱の内、いつも満杯なのは一番手前の箱だ。後の2個が空っぽでも手前のゴミで溢れた籠に積み上げる。
 インターネットの会話では、両者が相手を攻撃するために平気で語気を荒げた無礼な言葉で、人身攻撃さえいとわない。

 ある時台湾の学生が登校するとき一人の女学生が自転車で転倒したのを見つけた。歩きにくそうだ。回りに大勢居る学生達は誰も見て見ぬふりだ。そこで台湾の学生が側へ寄って自転車を持って彼女に着いて学校まで送って行った。するとその女学生は貴方は誰ですか、と聞くので、台湾からきている者ですというと、その女学生は、「やっぱり貴方は大陸の人ではないのね。大陸でこんな親切な人は居ないわ」と言う答えだった。

 学校の門前で教導の先生が生徒を鼻で指図し「こらっ」と怒鳴りつけている。これを見た台湾の学生は「学生にこんな態度では、この学生達が大きくなれば同じ態度になるでしょう」という。
北京郊外から通っている有る中国の学生は「郊外では道路が広く警察が居ないので通りすぎる車は猛烈な勢いで疾走する。通行人など全く無視して平気です」という。
 
 天安門広場に通行人保護用の鉄製ガードがあった。しかし観光上は綺麗でないと言う理由で撤去された。ところがタクシーの運転手はこれ幸いとばかり、通行規制線を越えて通行する。これでは危険なので再び鉄製ガードが再設置された。管理者は「中国では養生囲いが必要です」と話している。

 20年前に柏楊が「不様な中国人」を書いた。だがその時からほとんど何も変わっていない。
 そこに書かれている。
「人は誰でも笑う者だ。しかし中国の看護婦や女性の車掌や店員は例外だ。客が店内に入るとまるで猫がネズミを狙っているように凄い形相で客に着いて回る。
客が品物を決めると店員は先ず客の衣服の品定めをする。そして宣わく、”貴方には相応しくない高級品ですよ”と言う」。

  何故中国人は無礼になったのか

 かっては「礼儀の国」で通っていた中国が何時頃からその評価を落としたのか。
 国際関係学院文化教授の郭小聡氏は「歴史的には明の中頃までは良かった」と言う。
 唐や宋の時代、中華文明は優雅の代名詞にもなっていた。礼儀の輸出国であった。中国商人が東南アジアへでかければ、現地では礼儀の国から来た人として迎えられている。場合により尊敬の念から宿泊代を免除されてもいる。日本や朝鮮は中華を見習い、常にそれに近づこうとしていた。
 しかし明の時代になると次第に人口が増え周辺国からの移民も急速に増え、社会問題が家族内では解決出来なくなっている。遊牧民は秘密結社を作り各種の幇を作っている。それらは「江湖組織」と呼ばれ、その拡大につれて社会は粗暴化していった。その傾向が今日まで続いている。

 兄貴や弟分、或いは姉貴と呼び合っている集団がある。それらは生活上の必然性もあったであろう。これらの風俗から逃れることは困難であった。 
原則で判断出来ず、心情で動く。親とも疎遠になりやすい。非公正な社会となり緊張が増した。そうなると他人のことなどお構い無しと言うことになる。

 そのような風習が現在の社会ではいろいろな形で衝突を起こしている。具体的には交通規則を守らない、何処にでも痰を吐く、胸をはだける、等々となる。それらは特に大都会に出かけている農民に多い。
 
 また別の見方として、人口過剰や資源欠乏に脅迫されて起こるというものもある。
だがこの味方に台湾の女学生が次のように反対している。
 資源欠乏はアジア全体の問題です。日本の新幹線も北京の地下鉄もその混み具合は大変なものです。しかし日本では白い手袋の人が乗客を「失礼します」と言いながら客を押し込んでいる。客は席が有限なのを知ってお互いに小さくなって我慢している。北京では自分の邪魔する人を押し出し、一人で席を独占します。

 不作法の原因として「文革」を挙げる人もいる。 
葛剣雄という人は「元は礼儀正しかった中学生が文革の”武闘”や”家探し”に参加し、それが終わると”学生は故郷に行く”に参加した。それらの行動中、常に何処にでも唾や痰を吐き、人を罵ることが常習となっていた」。

 文革に参加した人は「ごめん」とか「失礼」と言う言葉を使ったことがない。
  如何に真面目に見える青年でもその心理には「げんこつで全て解決出来る」という気持ちを持っているのではないか。
 また別の人は「社会礼儀の欠陥はかっての長期に渡って行われた階級闘争教育と密接に関係している」と言う。

 当時は誰でも”敵階級”と見なされた。日常のどんな些細な行動でさえ”階級闘争の一部分”と見なされた。敵階級に”礼儀を示すこと”は危険視された。
 「革命はお客をもてなす仕事ではない」この言葉が中国全体を埋め尽くしていた。この革命理論は今後数百年経っても消えないだろう、と声高く宣伝された。その意識がそのまま現在の資源欠乏社会に持ち込まれている。残酷に人を押しのけて生きていくこと、それが過剰な”闘争教育”のもたらしたものだ。

 また別の学者は次の様に表現している。
昔は長幼の尊重が尊ばれた。しかし1949年以降(建国時)、全ての人は”同志”と呼び合った。そして相手を判断して尊重する風習は消えた。

  礼儀の根本は  

 9月22日国家知識産権局主催で30名を集めて礼儀のあり方の教育が行われた。帽子のかぶり方、服装チェック、鼻毛や爪を切る事、服袖の長さ、笑顔の作り方、客と歩くときには左側を歩く等々が演じられた。

 中国が礼儀について議論されて10数年になる。外国企業は礼儀を教育しているようだ。国内企業はまだ少ない。この3年位前から急速に、政府職員や各企業、高校、演芸関係者などで礼儀の訓練が行われるようになってきている。
 政府の担当者の周氏は「礼儀は人を尊重し、相手の気を遣う心がけが基本です」と説明する。
また「電話を受けるとき”こんにちは”と言うようにするのは簡単でしょう。しかし相手が出るのが遅いからと言ってガチャンと切る事を止めるのはなかなか出来ないでしょう」と言う人が居る。
 
 礼儀の基本のその土台には文化が必要だ、と郭先生は言う。
 文化は国家や軍事から経済一般に影響するだけでなく、民衆の心理深く宿っており、生活全体を制御し、国家間の緊張をも招く。
 精神的高度の創造が行われて初めて尊敬が得られる。それがやがてその民族の文明水準だと認められる。
 
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 訳者注:
 私は中国生活で感じたのは次のような場面です。
 客車やマクドナルドの店内で床一面にゴミを撒き散らかす習慣。
 それを掃除するのに驚く程の人が働いています。これは国家が仕事を増やして救済しているのかと思っていましたが、この習慣も本来は公共の場を汚さない努力が必要だということなのでしょう。
 食堂では食べかすや魚の骨などをテーブルの上に撒き散らかします。そして客が帰れば店員がテーブルカバーごと棄てに行きます。それは一種の合理性があるのかなと思っていましたが、それもやはり国際的に考えると嫌悪されるでしょう。
 可愛い高校生位の少女が年寄りの席を奪い取って何時までも年寄りが苦情をいうのが下車するまで続くのを見たときは、さすがに言葉が自由に使えれば注意すべきだと思いました。でもその時周囲に大人が大勢居ましたが誰も黙認していました。
 (日記で書いたように私を学校まで案内してくれた少女も居ました)

 言葉の不自由な私が駅の窓口で切符を買うときのあの不安は何時までも忘れれらません。やっと順番が来て小さな窓口に行けたと思ったら、左右から何人もの人が私を押しのけて来ます。
 長距離列車の時はそのものすごい押し合いに乗車を諦めた事があります。

 電話が来るとき、名前を名乗らないのが普通で、しかも求める人が居ないと「がちゃん」と切ります。失礼千万な気がします。

 これらはしかし国際化すれば次第に改善される軽い不作法でしょう。

 しかし国家公務員のあの猛烈に威張ったいかにも社会主義的な傲慢な態度は、如何でしょうか。この記事には載っていませんね。公務員の場合は礼儀が要らないのでしょうか。

 国民一般が「敵階級」の要素を持ち、意識が遅れていて党が善導するという「社会主義」思想は、礼儀に反しないのでしょうか。

 礼儀の欠陥どころか、理由無く命さえ党に奪われ、しかもその奪った人が近所に住んでいる中国で、礼儀を説くことは実に矛盾があります。
 この記事にもあるように礼儀の基本は「相手の尊重」です。
 街には農民が道ばたに座り込んでお金をねだっています。ゴミ袋に手を入れて食べるものを探しています。この状態を放置する国家に「相手の尊重」を説けるのでしょうか。
 でも「階級闘争」に問題があることを少しでもこの記事に書けるようになったことは、凄い進歩です。
個人の手紙を開封したり、恋愛を禁じた理由は「階級の利益を守る」と説明されてきましたが?