国民教育の基礎


06/04/27 南方週末 黄全愈

 1979年、中国訪問団がアメリカの基礎教育の視察旅行をし、向こうの子供達が加減乗除の計算に手指を使っているのを見た。
 これは中国の方が数段進んでおり、アメリカは救いがたい状態であり、20年後には科学水準もアメリカに追いつくだろうと全員が意見一致した。
 入れ替わりにアメリカの視察団も中国へやってきて、「中国の学生達は世界一勤勉で学習態度も素晴らしい。朝早くから夜遅くまで勉強している。恐らく20年後には中国はアメリカの遙か前方に進んでいるだろう」と彼等も意見一致した。

 それから27年が経った。救いがたい筈のアメリカの教育は数十名のノーベル賞受賞者を連続して排出している。その国家としての科学技術も相変わらず世界一である。

 つまり両国家とも視察団の推測は外れたのである。

 中国・アメリカの基礎教育の違いは何処にあるのだろうか。
 
 楊振寧教授は次のように指摘する。
「中国では生徒の宿題は山のようにある。そのことで生徒を勉強に縛り付けている。
 しかし中国の大学生で言うと、中国の学生はアメリカの学生より数倍勉強に努力している。精華大学の学生の平均水準はアメリカよりずっと上ではないか」と。

 ここで考えられているのは、中国の学生が持っている知識量がアメリカより多いと言うことである。中国での”お利口さん”とは多く学び多く練習し、多く書き、多く考える、と言うことである。
 他方、アメリカの生徒達に求められているのは批判精神、独立心、創造性、問題を解く能力である。これは実用能力と言われている。 アメリカの”お利口さん”とは、多く見、多く疑問を持ち、多く考え、実行する、それらの総合能力である。

 例えば一つの例として「西安事変」を取ろう。
中国ではこの歴史事件を教えた後、先生は時・所・人物名・等々を正確に記憶しているかを試験で調べる。
 アメリカは全く違う。普通は生徒をグループに分け、それぞれの討論した結果を発表させる。その時必ず反対意見も出させる。
 事件の例で言うと、蒋介石がもし、あの時妥協しなかったらどうなったかとか、もし蒋介石が西安を逃げ出していたら、とかの疑問を生徒に与え、独自に当時の時代を考慮しながら起こりうる変化を考えさせるのである。

 アメリカのクニス・ザッポ教授はこのことを、”多く知っている子供”を求めるか”よく考える子供”を求めるかの違いだと指摘している。  
 それぞれに長所・短所がある。中国は多く知っている子供で、アメリカはよく考える子供の例であろう。
 これは言い方を変えると、”試験に通る”ことを重視するか、”学ぶ力”を重視するかの違いとも言えるようだ。
 これが両国教育方式の根本的な差異を表している。
 その違いは極めて似ているようでもあるが、しかし実際は極めて大きな差となって表れている。
 オリンピックは中国式の”試験に通る”訓練方式が適しているだろう。ノーベル賞は”よく考える”方式が適しているだろう。

 現実に中国の青年はオリンピックでは優秀な成績を収めているのに、ノーベル賞は皆無である。それは国家の教育方針の結果である。

 人口で言うと世界の5%弱のアメリカがノーベル賞の70%以上を占有しているのだ。

 そして科学技術のトップをも占有している。それをもたらしているのは創造的な学校教育にあるのは誰も異存がないだろう。

 ノーベル賞を取るために

 楊教授は、中国とアメリカは国家の成長段階が違う、という。
 中国は今ノーベル賞は要らない。しかしビル・ゲイツのような経済に巨大な効果をもたらす発明家が必要なのだ、と。
 
 発明家と企業家とはその種類が違う。国家としては両方とも必要だ。
企業には新しい発明、進んだ技術が必要だ。ノーベル賞そのものは必要ないが、その創造的な精神は絶対必要だ。
 ノーベル賞に求められているのは、未知の世界への自主的創造的な精神だ。
 では中国の学校教育が育ててきたのは何だったのか。

中国で「孫悟空」を子供に語るのは、子供が口の尖ったお猿さんに成って欲しいからではない。各種束縛に打ち勝って自由を得る真理追究の精神の持ち主になって欲しいのだ。 アメリカはそのような創造性を高く評価している。
前述の楊教授が精華大学で物理を教えているのは、物理知識の豊富な持ち主ではなく、物理を通しての創造的新しい境地の開拓者なのだ。それこそ計り知れない財産だ、と言う。

 
GDP が1万ドルに達してから教育改革が始まるのか。

 楊教授は中国のGDPが1万ドルを超えれば中国の教育改革が始まると言う。

 中国が子供達に求めているのは、何をしてもその先頭に走る子供である。
 ところがアメリカでは競争の最後を走っていてもそのことは問題にしない。
 中国の学校教育は多くの知識を教え込む。
アメリカは考える力を育てる。
 中国方式を「魚を捕る」方式と言い、アメリカ式を「漁をする」方式という。
 1度だけの魚取りなら中国式がよい。しかし何度も魚を捕る必要があるときはアメリカ式がよい。
 
 アメリカの学校で気象の勉強には天文測定の機器を使って実測させたり、気象に関して民間に伝わる諺を調査させたりして、その言葉の意味を理解させるようにしている。そのことを通して自分で考えることを重視しているのだ。

 中国の学校では成績の良い子供には”飴”を与え、間違った子供には与えない。先生達は子供が何故間違った答えをしたかについては考えない。
 その時の担任の先生は、「授業時間が不足しており、速く子供達が良い成績を取ることにどの先生も必死だ」と言う。
 アメリカでは授業速度は遅く、生徒の理解が遅くても重要視しない。
  
統計によると中国では子供の年齢と共に成績が下がり、アメリカはその逆で年齢と共に成績が上がっている。
 中国では”お利口さん”を作るために出来るだけ若い内から多く覚えさせる。そのことで年齢と共に学ぶ速度が鈍るのだ。
 
中国では生徒の質問が少ない程その教室は良いと言われている。アメリカでは質問が少ないのは教育のやり方が悪いと言われている。
 このことからも両国の教育を論ずる意義をくみ取って貰いたいものだ。

 国務院経済発展センターの主任、王夢圭さんは「中国のGDPが3000ドルを超えるのに約20年掛かる」と言う。ではGDPが1万ドルを超えて中国の教育改革が始まるのは何時になるのだろうか。GDPの上昇と教育の推進は車の両輪だ。教育の改革をしないでGDPの成長が有るのだろうか。

 中国は2020年頃に創造的な国家になると言う人が居る。その時には人々の考え方もすっかり変わっているだろう。勿論教育方式もそれに連れて変化するだろう。そして人間としてのあり方も変わっていくだろう。その変化の基礎は教育ではないだろうか。

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訳者注:
         西安事変;1936年、国民党の蒋介石の将軍、張学良と楊虎城               が蒋介 石を 捉えて共産党と合作し日本と闘うことを                求めた事変。

 この記事は教育論一般としても、日本の問題としても興味深いものだと思います。
 でもこの記事は中国の現状について強烈に批判していることが解ります。

 私が大連と杭州に居たとき、毎朝早く、霜の降りた零下の朝ぼらけの中を学生達が構内一杯に教科書を持って立ちながら勉強していました。
 夜は夜で、消灯までの時間同じように教科書を手にしていました。
 私の中国日記に書いたように、当時私はそのような勉強熱心な姿に驚きもしましたが、しかし”クラブ活動”も無い学生生活に強い疑問を持ちました。
 これではどこで”個性を発揮”できるのでしょうか。

 そのような勉強方式が中国全体で建国以来続けられてきたのでしょう。
 この記事の最初に書かれている27年前と言えば(1979年)、当時はまだ社会主義的要素が強く残っていたときで、学校教育だけでなく人々の生活を一目見れば貧困の極地に居ることが判り、科学技術も世界で最も遅れていました。
農業生産も30年前の建国前と同じ水準でした。

 しかし学校教育の方式は現在と変わらず、”優等生”を作るために若い内から詰め込み教育をしていたのでしょう。中国・アメリカ両方の視察団が20年後には科学水準が逆転すると考えたのも、学生の熱心さだけを見れば一理あったのでしょうか。 
 でも私は両国の方式の違いはもっと深いところに問題と原因があると思います。
 それは学校教育だけの問題ではありません。全ての問題、社会・経済運営、国民の生活、それらが党の要求通りに実行されることが求められている、と言うところにあると思います。

 90年代半ばまで学業の邪魔になるとして”恋愛の自由”を禁じてきました。
 そこには全てを党が与える発想があり、国民が自主的に創造する精神が育つことを拒絶しています。
 その究極の発想が「計画経済」です。
全てを国家が計画し与える、そのために国民の自由を奪うことは平気でする。農民の土地移動を禁じる。
個人や家庭生活の享受という空間がありません。
 
 一応計画経済は1970年代で終了しました。その非科学性、非人間性が国民的広さで理解されました。
 しかし国家の体制はその非科学性・非人間性をまだまだ奥深く残しています。その一つが教育方式でしょう。
 国民が自主的に判断し人生を創造的に生きることを選択できる方式を、社会の変化をこの記事は強烈に要求していると思います。

 なお中国でノーベル賞を取った人は皆無ではありません。文学部門で選考決定まで残った人が居ます。「老舎」と言います。でも文革で殺されました。

 私の翻訳の”訳者注:”に書いています。
 http://www31.ocn.ne.jp/~k_kaname/text/05/bungeikouwa.html