河 南 省 の 蔑 視 の 行 方


06/02/16 南方週末 李海鵬



この新聞は05/3/30の「揚子晩報」で題名は
「公安が掲げている道路横断幕は地域差別ではないか」
道路横断幕の文字は
 「河南省籍のごろつきをやっつけよう」です。 


 深浅市公安局が道路に河南人の差別語の横断幕を掲げたことに、任誠宇氏と李東照氏が河南省首都鄭州市の法廷に訴え、2月始め、深浅市が謝罪することで「和解」となった。
 中国で地方蔑視が法廷で争われたのは初めてだ。
原告の二人は、裁判所が被告の罪を明確に認めず「謝罪」のみで「和解」としたことに不満があるという。法院はこの訴訟の意義を完全には理解できていない、と言っている。
 裁判途中二人は河南省役所から裁判を止めるように圧力を受けたという。しかし個々の役員達は河南省人であり、心底では賛成しているだろう、として不思議がっている。

  訳注:河南省は中国中西部で、省都の鄭州市は洛陽市の東南100キロほどの場所。
  深浅市とは1500キロ程離れている。

 記者が河南省役所に数度採訪を申し込んだがいずれも婉曲に断られた。
  
昨年12月に河南省テレビは「愛する故郷」という番組を放送した。歴史有る伝統と風景明美なことを訴えた。河南省人に自信を持たせるためだ。
河南省の印象を変える政策はいろいろ工夫して5年前から行われている。01年末には大型企業や経済関係者が集まって意識改革について討論会が開かれた。02年から経済発展のための環境整備を行うことが決議された。
 民間でも01年から「河南省をあざける」ことに反対する運動が始められている。

地方政府がこの運動に乗り出すには意味があった。それは河南省の対外貿易は中国全体の6.2%、これは全国最低だ。外資導入は1.4%、GDPは6.45%となっている。

02年4月には大規模な企業誘致の商談会が開かれ1800企業が参加した。

 優秀な河南省人がいることも宣伝されている。例えば高輝潔教授はエイズ対策の先頭で働いている。公安の任長霞氏は庶民の味方をして職務に励んでいることで有名だ。
 近くの三門峡で児童がおぼれているのを助けた事例もある。  
最近の河南省の新聞はこのような美談を多数掲載している。

中央テレビが取り上げた「10大感動人物」に河南省人が二人入っている。

 河南省の役人達が庶民を見ず上を向きすぎているという評判があるが、しかしこれは河南省だけのことではなく中国全体のことだろう。
 メディアに登場するのは穏やかなものだが、インターネットに表れているのはかなり手厳しい。「言葉足らず」「気ままで乱暴」等があり、河南省から省外に対する反撃の言葉も荒い。

 学者達の意見では河南省人の性格は、「勤労、我慢強い、勇敢、抱擁性がある」等の点で一致している。
 「信用できず、利己的だ」等の批判的評判は誇張や偏見であるとも言っている。
 
悪意のある差別の一例は汽車が河南省に入るときアナウンスが「ただ今から列車は河南省に入ります。皆様警戒してください」と放送している。

 現在北京で生活している河南省出身の呉さんの話によると、河南省弁が出ると決まって周囲から嘲笑され罵られたりすると言う。

 多くの意見は、経済発展だけで解決できるものではなく、問題は国民相互の文化だろうという。その中でも国民全体の平等の教育、平等の法廷、法の下の平等意識が重要な要素だという。
 
 河南省人は中国人の中の中国人だ。彼等の欠点も優れている点も中国全体の縮図だ。

 アメリカ旅行記で有名な作家”林達氏”によると、中国人全体が自分自身の差別意識を教育改造する必要がある。差別意識は自然発生的に生まれ、それは文化の一定の発達の後に初めて克服できる、と言う。 

 最初に紹介した法廷に訴えた二人の話では、差別意識を変えるために法廷に訴えた。”差別は法律違反”だという、その意義を役所は考えるべきだ、と言う。しかし役所は訴訟そのものを抑えようとした。
 二人は問題解決の道は長いが、しかしそれは「中国政治文明の発展そのものだ」として、道が遠かろうとこれからも差別と闘うと言っている。

********************
 訳者注
 これほどの地域差別を国家機関がする例は地球広しと言えどあまり無いでしょう。
 差別は法律違反だという考え、平等意識、これらが中国で今後どのように教育されていくのか、隣国日本にとっても重要な問題でしょう。
 私は先ず「人権尊重の政治」が必要だと思います。”国民は意識が低い”という党のマルクス主義思想を変えることが先決でしょう。(党が何時までも存在することを願っているわけではありません)
 農民に人権意識を持たせる必要が有ります。そのためには国民全体の教育が必要です。 人権があることを国家として表明する必要があります。つまり全ての国民が平等であり、平等の”尊い人権”があることを。
 不平等の差別が起こればすぐに法廷に訴えられること。人権問題が有れば誰にでも抗議できること。
 その抗議は党が握っている国家機関にもできること。
 
 しかし中国の56年の歴史は、国民が人権で国家機関を訴えれば党が誤っていたことを示す事例が星の数より多くありました。