義和団事件をどう見るか

06/4/9 アジアタイムス(台湾)

 訳注: 06/1/11 中山大学教授 猿偉時(猿の獣扁が不要)が次のように「中国青年報(氷点)」に投稿した。この記事が国家の基本思想に反するとして編集長・副編集長が解雇され、同社の記者達がストライキに入った。解雇は撤回されなかったが、「氷点」を続けることで紛争は終わった。その投稿記事を台湾の新聞が転載している。(繁体字)

   ・・・・・・・・・・・・・

 21世紀の中国は現代化に向け、それが実現可能かどうか、正にその分かれ道に立っている。特に国家と国民双方が、その状況を充分に理解することが必要で、その対処の仕方によっては決定的な影響をもたらすだろう。

 20世紀、建国後から70年代まで、中国は「反右派闘争」「大躍進政策」「文革」の”3大災難”を経験した。その悲痛な想いを顧みるとき、20年間私達は事実を誤って理解し、もがいていたのだ。しかし現代の青年達が学んでいる歴史教科書を見るとき、驚くことに全く同じ調子で若者達が事実を誤って教えられていることだ。


    訳注:3大災難
      「反右派闘争」 :建国直後から始まった毎年の毛沢東提唱の国      民的闘争。”洞窟から虎を追い出そう”、”百家争鳴”など。国内       に敵階級が居なければ社会主義は問題が無くなり永久の平和       が続くとした。百家争鳴で60万人が粛正された(教科書)。
      さらに毎年秋に各地住民の3%を敵階級として密告させ糾弾闘       争をした。階級闘争は生産を高めるという考え。

      「大躍進政策」 :集団生活で共産主義に近づき、鉄くず拾いでイ      ギリスの鉄鋼生産に追いつくとした。4千万人が餓死した。

      「文化大革命」 :大躍進での失策で毛沢東が主権を譲ったが、      それを奪還するクーデター。やはり共産主義に近づくという宣伝      文句が使われた。10年間続いた。死者は数千万と言われるが       実数は未だ発表されていない。


 ”事実を学んで未来に生かす”、”過去を忘れず、将来の憂いに役立てる”、これは中国人なら誰もが知っている名言だ。
 中国近代史は血と涙とを注いで、屈辱・挫折・度重なる災難等々を経験してきた。
 これらを今後の中国を背負う青年達に事実として教え将来に生かさせることが私達の責任ではないだろうか。もし過去から学ぶことなく、或いは事実を隠して若者に伝えていくなら、彼等は必ず危険な道に踏み込むだろう。
 
 現在正に、私達は自分の歴史を正視するときだ。その幾つかの歴史的具体例について述べよう。

 円明園火災事件は避けられなかったか

 この事件は140年前、英国の侵略軍が起こしたものだ。この事件を冷静に考え直すべきだ。
 人民教育出版社「中国歴史」は学校教科書の中で次の様に書いている。
1.開戦の理由
 1856年3月、当時諸外国は中国領土内に入れない条約が有ったので、フランス天主教宣教員が広州西林地区に不法進入したとき、現地官吏が斬首処刑した。この事件と広州の中国商戦アロー号事件(イギリスの旗を掲げながら海賊をしていた中国人の船を逮捕捕獲した。それをイギリスは自国の船籍を不当拘束したと抗議。)が起こると、フランスは英国と共同して、第2次アヘン戦争が始まった。
 
 この事件について現在の教科書は正しく記載していない。
 当時諸外国との協定では不法に中国領土に入った場合は拘留し外国領事に引き渡すことになっていた。この約束を中国は守らなかった。この点が記載されていない。

 この戦争の原因について考えると、英国が要求した「広州市内自由立ち入り」を許可しなかったことで中国側は政府も民間も対応に大わらわであった。当時5カ所の自由港がありそこでは大きな問題が起っていなかったことを考えれば、西洋の要求を入れることはたいした問題でなかったはずだ。そしてこのことが原因となって戦火を交えることになった。
 
 2年後の1858年、教科書では中国側から英仏に対する勇敢な「愛国主義」攻撃が有り、その結果イギリス・フランスはロシア・アメリカ等の後援を得て天津に兵を進め、結果として中国は不利な天津条約を結んだ。。この記述には疑問が多い。
 中国側の攻撃に応えて、イギリス・フランスは北京へ兵を進め「円明園焼き討ち事件」へと発展した。そして一層不利な北京条約が結ばれた。
 この時、中国側の攻撃が兵士の自発的なものであっても、その結果巨大な負の遺産を中国に追わせたこの行為を「愛国的英雄主義」と賞賛するべきだろうか。もし清朝政府の命令なら、具体的に誰が出したのか。
 客観的に見ればこの時の中国側の攻撃は英雄主義ではなく愚昧な大罪と言うべきであろう。
  
 当時の皇帝は「洋鬼子」(英・仏)を”そっと殺してしまえ”と命令しており、これを官僚はそのまま実行した。
 この「蛮勇」を現在の教科書が大いに持ち上げ賞賛して記しているのは驚異ものだ。
そしてその後の「円明園焼き討ち事件」も本来は避けられるものであった。当時の清朝が弱く西洋諸国が強大な状態では、正面衝突を避け条約交渉に持っていくべきであった。そして中国自体を改革し強化するべきであった。だが当時の政府も有識者も極端な蛮行を好み、その結果大きな災いを中国にもたらした。ただ、清朝時代の官民の認識水準は低く簡単には変革できなかった。侵略側の本性もまた文明の先進国としての役割を発揮できなかったから、災禍を避けることは至難であった。

 
 では義和団事件については教科書は如何に記しているか。

 義和団事件は拝外主義の盲目的な信者による行為で愚昧と言えるものだが、事件当時からそのことは一般的に言われており、彼等は”賊”で”愚民だ”と言われていたが、しかし教科書にはこのような記述がない。

 義和団は電線を切り、鉄道を壊し、外国通貨を燃やし、西洋人を殺した。外国人と接触する中国人も殺した。
 1900年6月から7月にかけて殺した外国人は231名、児童は53名。山西省では中国天主教徒5700人が殺された。奉天では1000名以上が殺された。北京では数十万人、等々、教科書はその蛮行を詳しく記し、「清国民を助け、西洋鬼を叩く偉大な行為」と記している。
 そこにはこの行為が「反文明・反人類」の誤った行為であることを記していない。彼等義和団がその暴行によって中国人に巨大な災難をもたらしたこと、これは中国人には永久に忘れることの出来ない「国恥」であること、そのことを何も書いていない。 
  当時の英雄的物語を高める役割として「英雄的義和団歌謡」が有ったと教科書に記載されているが、しかし調査の結果それは後日の民間口承で作られたものだ。

 中国教科書でも、地方独自で発行されたものもあり、それらは義和団についてさらに英雄主義行為を上塗りして、清朝政府が義和団の狼藉者に対して酒食を提供したなどの史実には無い作り話を記している。
 当時義和団が北京に入ると同時に教会や民家を焼き尽くしていて、義和団が神棚を儲けそこに政府からの贈り物を備えることなど不可能なことだった。

これらによって歴史的事実を歪曲し清朝政府の国際法違反の行為を黙過している。このことは1990年代の教科書になっても替わらず、国際法の無知、中国国家の恥、封建主義否定の原則を忘れている。

 ただし香港の教科書は義和団の蛮行とそれに対する8カ国連合軍の横暴など、義和団事件によってその後の中国が大きなマイナスの影響を受けたことまで、かなり事実に即して記述している。

 そして私達が確認しなければならないのは、西洋諸国の到来が清朝という一つの国家政府を崩壊させ、当時の民衆の生活は死線を彷徨う困窮であったが、当時誰もが生活の困苦を”西洋人”の所為にした。中国の統治者の腐敗や愚昧軟弱も共通の問題意識であったろう。だが決定的に大事だったのは内因か外因かと言うことだ。
 
歴史から得る回答は、当時の植民地あるいは半植民地等の後発国は西洋に学び社会の近代化が必要であった。だが中国では外来文化をかたくなに拒否した。アヘン戦争以来20世紀初めまでの60年間の長きに渡って中国は前向きの改革は何もなかった。この面から見ても義和団事件は中国の国際化・現代化に目を向けない野蛮そのものであった。
  そして中国では義和団擁護の論調が主流となった。1989年になって初めて李時岳という歴史学の先生が事件によって中国が受けた損害額の巨大さを記し反論を書き始めている。

 日清戦争(1894〜95)は義和団事件と列んで当時の中国の実態を知る格好の材料である。その敗北は大清帝国の腐敗を衆目に晒した。その後初めて中国では西洋に学ぶ啓蒙活動が始まった。だがその後も変革を受け入れない伝統固守派も強化された。
 もし義和団事件を英雄視し、国際法を無視し、西洋に学ばなければ、中国という国家は破滅していくだろう。

2000年から2001年にかけて日本の教科書問題が国際的に注目を集めている。日本の右翼的歴史教科書は歴史の事実を覆い隠そうとし、日本政府の行った侵略行為を無かったとしている。これで中国・韓国など強烈な抗議行動が起こった。日本人は懺悔の意識、或いはその文化が無いのか、と海外から批判されている。
 これは大和民族の根本的欠陥なのか。

 だが中国の歴史教科書も、日本と同じように共通の特徴がある。即ち、両国とも近代史に対して正しい反省と認識が出来ないと言う点だ。

 中国では20世紀始めに、国民性を改造する必要有りと提言する人達が現れている。国民性とは何か。それはその国の公民としての共通した思想・行為のやり方である。文明の程度、野蛮な程度、古い文化からの浄化能力などである。

 中国が歴史的に受けた侮辱・損害、それをもたらした西洋の侵略者。これを語るとき中国人は常に正しく愛国的であった、と認めたがる。

 現在の中国教科書は国家の指導思想である。祖国を愛するのは当然として描かれる。だが如何に自国を愛するか、その方法によっては歴史を逆進させることもあり得る。民族意識をあおり伝統文化を固守し、中華を守り外敵を打つ、等々の観念がすでに骨髄に達している。本来は是々非々で客観的に分析し、冷静に全面的な面から問題を解決することだ。これ即ち”理性”と呼ぶものだ。これを中国人の国民性にするべきだ。現在全地球上で発展している時代で、企業国家間で衝突も起こっている。それで消滅する国家も出てくるだろう。「反帝」「反覇」だけ唱えていれば良いのだろうか?

 法律は人類が作った文明の結晶だ、社会運行の規則だ。国際的にも同じだ。列強が作った条約には弱小国と貧しい者に不利だという批判もある。歴史はこの改正を巡って力関係で動く。改正に達するまでは弱小国はやむを得ず守らざるを得ない。そうしなければ弱小国と民衆に不必要な混乱と損害を招く。

 中国の義和団事件は”無法状態”を作りだした。この野蛮な行為を「英雄」で「革命的」と表現しているだけではなく、さらに20世紀90年代になっても国際条約を批判し、それを守ることを売国的投降主義と見なすことが行われている。 この考えは社会に毒を流しているようなものだ。

 社会の制度を変えることを目指した行動のみ「革命」と言うに値する。義和団事件と太平天国はこれに当てはまらない。この考えにこだわっている間は、必ず負の代価を払わされるであろう。

 歴史の真相を「革命」と言う言葉で歪曲した教育をしたことで、中国では「文化大革命」で無限の損害を社会に与えた。紅衛兵は英国大使館を焼いた。これは義和団の「西洋を滅する」思想と同じだ。 

 現在の教科書に書かれている問題点は、1に中華文明を地上最高とみなし、2に外来文化を邪悪とし現代文化を認めず、3に強権的政権で外来文化の邪悪を除こうとしている。
 このような考えを私達の子供達が学んでいるのだ。その真意が何処にあるかは別にして、やはり有害と言うべきだろう。

 「理性」を育て法律を守ることが現代の公民に課せられた課題で、それが有ってこそ初めて現代化が可能で、今こそ教科書の誤謬を訂正するときだ。


****************************************
 
 訳者注:
  

 私は「太平天国の乱」についてはこの記事に同意できません。清朝政府は封建的で腐敗し、当時の世界から見るとかなり遅れた形態でした。太平天国は、内容において近代的・民主的・男女同権の社会を創り出しました。それを実現し拡大する過程で、宗教的妥協のないやり方で、中国に駐留していた英仏の軍隊と衝突しました。その方法がここに書かれているように外国との「協約」作成を目指さ無いという点から批判するのは正当な評価ではないと思います。

 しかし他の意見は全て同感です。
 現中国政府が何故このような論争を禁止するのか、世界の人は疑問に思うでしょう。理論面の内容に対する無理解も非近代的ですが、その抑圧の仕方も非近代的、前世紀的です。強権的抑圧的政府の典型を示しています。中国政府が非近代的であることを世界に暴露した事件です。
 出来れば中国教科書の誤りが、新中国建国の思想にあることを明確に指摘して欲しいですが、それは現政府が思想の自由、意見の発表を認めていないので不可能でしょう。「やむを得ず妥協が必要」でしょう。

 もうひとつ別の例を紹介しましょう。
 私が杭州で使った教科書に、封建制度で地主の圧力と重税に苦しむ農民の父親と娘が銃剣術に優れていて地主とその関係者を全員斬り殺す内容のものがありました。その親娘が勇敢で英雄だと記しています。
 でも読後感はあまり気持ちの良いものではありませんでした。多分歴史的にはこの後その親娘に降りかかる悲劇などを想像しました。
 でもこの記事に書いてある所から察するに、中国の指導思想は前後見境無く暴力に訴えることを奨励している国家のようです。
 ということは現政府が国民の安全を守りながら社会総体の進歩を進める良識有る政権とはとても思えないもう一つの例ではないでしょうか。

 この記事が指摘している「大和民族は懺悔の気持ちを持ち合わせていない」と言う指摘について、本当に残念なことですが事実だと思います。
 その日本人の欠陥が生まれつきのものとは思いませんが、現に極めて強く残っているのは事実です。
 戦争であれだけ巨大な殺人をしながら、殆ど誠意有る謝罪の表明をしないというのは、大和民族の生来の欠陥ではないかという気持ちにまでなってしまいます。
 日本の学校教育は今では世界一です。生活の豊かさもトップです。それでいて”国際的に通用する姿勢”が持てないのは何故でしょうか。