無戸籍の赤子の死

06/08/10 南方週末 傳剣峰

 北京市の”戸籍”がある男性、劉瑞良氏が河北省の農村女性、時秀文と結婚したが戸籍上は結婚が認められず、今年の正月(旧)出産した子供も市民としての戸籍が得られないことが解り、生まれたての赤子を殺す事件があった。彼は今拘束されて審査を受けている。

 彼は周囲の人に「戸籍が得られなければ周囲の者に差別される。そんな苦労をこの子にさせたくない」ともらしていた。
 他方、彼の死は単なる憂鬱症だという人もいる。

 これまで農民の都市への人口流入を防ぐ重要な手段として戸籍が位置づけられてきた。
 
 この夫婦の場合、北京市で住宅を購入すれば市民としての戸籍が与えられるところまで来ていた。
 しかし劉氏の収入が月に800元、時秀文さんの仕事は無しで、2人が家を買うには飲まず食わずで15年かかる計算になる。
 
 劉氏は北京近郷の貧しい家庭の農民だった。現在は北京市昌平区の”単位”で働いている。彼の戸籍はその職場が管理。
 00年に河北省の娘、時さんと結婚したがお金が無く子供が出来ないようにしていた。
 住んでいる家は10平方メートルの1間。月130元の家賃。そのあばら屋に住んで5年辛抱し、そこでこの事件が起こった。
   
 近所の人の話によると、奥さんは極めて節約家で毎月2人の生活費を600元以下に抑えていたと言う。
 奥さんは屋台を広げて小物を売り金を稼ぎ、買い物は一番安いものを懸命に探す人だったという。

 ”時”さんの話によると、彼の職場の同僚は職場の社宅で家賃が只の20元だ。彼等夫妻は130元という大きなお金が出ていくので、それが苦しかったという。
 職場の人に聞くと「劉さんはいつも頭を下げて歩き、誰とも話をしない。極めて誠実な人だが友達は居なかったようだ」と語る。
 
 劉氏は身体も細く丈夫では無かった。04年、職場で献血を呼びかけた。それに応じて劉氏は直ぐ病気になった。その時のことを時さんは「健康な人なら献血しても大丈夫ですが、彼は体が弱く、病気になってその医療費が3000元以上掛かりました。でも職場からは何の補償もしてくれません」と言う。
 彼女は毎日屋台を出しに出かける。その金で病院の出費を稼がねばならない。夜になると劉氏が迎えに行く。その姿を見ていた人達は本当に仲の良い夫婦と感心していたそうだ。

 05年11月18日、彼女の分娩の3日前、劉氏が何度も咳をする。それを見て彼女が「お金を出してお薬を買いに行きなさい」と勧めたが、彼はそんなお金はもったいない、と言って聞かなかった。その言い合いが終わって彼女は大きなお腹を抱えて屋台に出かけた。
 季節は初冬で寒風が吹き冷たい雨もしとしと降っていた。彼女が帰宅したとき吐き気と下痢に悩んだという。そして3日後早産となった。
 赤子の脈拍が早く、酸素不足と言われた。
 赤子が泣くと劉氏は懸命にあやした。医者が1週間目に来てくれた。
 彼と妻の父が2人で赤子を抱いて病院通いをした。交通費が60元かかった。1と月で交通費だけで1800元になる。劉氏は自分の身体の不具合を顧みず、ただ赤子のために金銭の出ていくのを惜しまなかった。1ヶ月して赤子は何とか正常に戻った。計算すると他人から借りたお金は数万元になっていた。

 06年の元旦、爆竹がそこらで鳴っていた。外は寒風が吹きすさび、部屋の中で劉氏が火をおこし妻が赤子を抱いていた。囲炉裏の鍋には肉が入っていて、粗末な部屋の中に肉汁の匂いが立ち込めていた。

 夫婦の話が赤子の”戸籍”のことになった。劉氏が「もう1ヶ月になると言うのに、この子は戸籍無しの身分だ。公安に逮捕されて罰金を取られることもあるだろう」という心配事を2人で話している。

 その少し前、劉氏は公安へ出向いて戸籍について尋ねている。警察が言うには「夫が北京に職場を持っているので、後は住宅を所有すれば赤子も戸籍をもらえる」とのことだ。
 だが劉氏には住宅を買う目処が立たなかった。劉氏は職場に行き、「一時的に職場の住宅を彼に貸してもらえないか、子供の戸籍が貰えれば住宅を返します」と尋ねてみた。しかし職場の答えは「否」であった。
 その返事を得てから、劉氏の頭が狂ったようだ。突然笑い出したりした。その時の様子を妻の時さんは「夫は赤子を癒すことで疲れたのだと思いました」と言う。

 劉氏は父の戸籍に赤子を入れることも考えたようだが、2人の仲が前から悪く、それは実現しなかった。
 
 1と月近くなって劉氏は妻の父に相談し、河北省の戸籍に入れて貰えないか相談した。
 だが義理の父が言うには「1月を超えて出生届けをすると罰金代として5000元から8000元を取られる」と聞かされ、彼は返事が出来なかった。

 そして正月がやって来た。劉氏が家で囲炉裏の横で押し黙っている。妻が赤子を寝かしつけて「貴方、先に鍋の肉を食べてください」と話しかける。すると彼が「お前が先に食べなさい。食べなければ乳が出ないよ」と言う。妻が「お金がないのに肉など買ってきて」と少し不平を言った。

 そして子供の戸籍のことに話が移った。妻が「貴方が私の父の所に戸籍を作りに行ってくれないなら、私が明日の朝子供と一緒に父の所へ行ってきます」と話しかけた。
すると彼の言葉は急に突っ慳貪になり、「勝手に行けばいいさ、何でも好きなようにすれば」と次第に怒り出した。 
 それで妻の方が黙り込んで赤子の横で寝込んでしまった。その時から妻は夫の目つきが少し異様になったのを覚えている。そして夫が何かぶつぶつ呟くのを聞いた。そのような呟き方は今ままでなかったことだ。
 呟きが終わると夫が赤子の横に来て赤子の首を絞めようとした。
 彼女は思わずその手を払いのけて「助けて」と小さな声で叫んだ。その声はハッキリとせず只泣き声だけが強く聞こえた。
 夫は彼女の制止を振り切って赤子を抱き上げて地面に叩きつけた。
 彼女は夫を払いのけ赤子を抱き上げ部屋から飛び出した。時間は夕方の6時頃だった。彼女が悲鳴を上げて外へ出たとき、外は真冬の冷たい風が吹いていた。腕に抱かれた赤子を見ると頭から血が出ていた。 

 隣人が異様な騒ぎに驚いて飛び出してきた。そして赤子が裸であることに気づき毛布を持ち出して掛けてくれた。夫が只ぼんやりとした風で部屋から出てきた。
 彼女は隣人に夫が何をするか解らないので「お願いします」と言って赤子を抱いて病院へ急いだ。そして隣人は夫を連れて警察へ行った。
 赤子は近くの医院では手が打てないので、大病院へ運ばれることになった。その医者は「駄目でしょうなあ」と首を振るばかりだった。その声を聞くと妻は赤子を抱いたまま地面に座り込み、「何とか命だけは助けてください」と言う言葉を何度も繰り返していた。

 隣人の話によると「大きな目、小さくて可愛い顔、小さなあごが本当に可愛らしい赤子でした」表現している。その赤子は生後43日で命を落とした。

 ここで話は飛び、同様の経験者”廬”さんのことに移る。
 彼は杭州の大学を出たホワイトカラー。奥さんは湖南省の農民。つまり子供が出来たとき、”住居証拠”があれば市民戸籍を子供に与えることが出来るということを知った。
 彼の執った手段はインターネットで協力者を捜した。するとある居住者が名目上だけ住居を提供しても良いと言うことになった。彼はその協力者に大いに感謝したが、しかしまだ妻に妊娠の兆候はない。

 「中国経済時報」の記事には、そこにも似た例が記されている。大学を卒業した”李”と言う人が北京で戸籍を得た。そして結婚した妻は江西省の農民。妻に子供が生まれたが住居を持てず、やはり子供は無戸籍となった。

 戸籍の専門学者は「既に持っている人とこれから持ちたい人との間に大きな利害対立を産み、戸籍制度の改革を困難にしている」と言っている。

 国家公安部は戸籍制度の改革について「改革する」と何度も表明してきた。3年前にも明確な制度改革を発表している。しかし現在その実現はない。そこにも現在大都市の戸籍所有者が既得権利を守ろうとする力が強いから、と説明されている。
 その既得権とは、教育や就職のことだ。
その特権を公平にしなければ戸籍制度の改革は今後とも困難だと見られている。
 
 ここで話を時さんに戻す。
彼女は戸籍のことは何も要求していないと言っている。
 ただ現在拘置されている夫の劉さんが一日も早く出所でき、そして神経の疲れた彼に病院で治療を受けさせたい、子供は又産むことが出来ますから、と言っている。
 只、彼女自身気持ちが不安なのだろうか、もみ手をしながら涙を流し、頭を左右に振り思案の様子だ。

 彼女は「もう彼が出てきても本当は治療に必要なお金は全くないんです。誰から借りることが出来るのか」と一層苦しそうだ。
 その傍に彼女のご両親が心配そうに立っておられる。ご両親の話によると、劉氏は既に単位を解雇されたという。
 彼女は事件後の検査で腫瘍が発見されたようだが、その手術の金はもう出るところがないと目を真っ赤にして話す。
 記者が別れるとき、彼女は呟くように「彼が生きていれば私も生きていけます。彼が倒れれば私も倒れます」と囁くように静かに声を出した。

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 訳者注:
 市民戸籍が無ければ都市で就職が出来ない、教育を受けられない、医療も駄目、事故の補償も市民の数分の一、勿論医療・社会保障は全なし。このような差別があります。

 最初の身分固定は計画経済です。北京で全ての人口と職業・住所を固定し、生産と配給を計画しました。
 当時は勿論コンピュータが無く、手計算です。その計算は最初から無理がありました。 現実の生きている人間、生命と人間的要求は常に変動するという根本的なことを無視しました。
 でも社会主義はそのことが出来てこそ初めて資本主義の無政府的生産を凌ぐ”優越性”を証明できるとされました。つまり根本的に人間相手では出来ない相談でした。
 しかし建国後30年間は懸命に社会主義らしい”理想”の計画社会(共産主義社会)を追求しました。
 その結果は悲惨な生活を国民に押しつけました。強制と管理です。当時は日常の会話や報道に「国家の命令」「国家のために」と言う言葉が溢れていました。
 人権は考慮されず、民主主義は無視されました。そして社会主義的な理想も実現しなかったのです。でも正月には全国民にお魚を配給したりしました。6億を超える人達に!
 その計画経済が如何に空想的で非科学的で非人間的であったかは、それが廃止されて「自由市場」が出来たとき生産が爆発的に増えたことで解ります。 
 まさに非近代社会、空想社会そのものでした。そして建国後40年して改革が必要となりましたが、農村に固定された農民達の立場を急速に変えるには都市との格差が広がりすぎていたのです。
農村を見学した日本人なら「これが人間の生活か」と疑問を呈するでしょう。
 管理する官僚機構とその思想があまりにも非人間的に固定されてしまっています。
 都市に住む人達があまりにも農民を差別することに平気になっています。
 ここに登場する劉さんの職場も”国営企業”でしょう。何故国営企業が劉さんのような細くて弱い人に献血を要求するのでしょうか。
 最低限の生活を補償するということが何故出来ないのでしょうか。