郵 政 改 革


05/08/18 南方週末 曹海東

 今中国の郵便事業で働く人達の関心は郵政改革である。
 そもそもは1999年に郵政改革が提起され、郵便事業を3分することの噂が出ていた。しかしその後何か事情が有ったのであろう、噂が出なくなった。
 現在中国の郵政関係の職員は50万人いる。彼等に対する大手術となるだろう。分割の方法は漏れ聞こえるところによると、一つは郵便貯蓄銀行となり、それは金融事業となる。一つは郵便配達事業となる。
 これらのことは現在の所、国家郵政局宣伝部の最高幹部も何も知らされていない、と言う。 
 05年6月末の統計では郵政貯金の合計は12285億元、郵便局数は3.6万カ所となっている。この金額は4大国有銀行の9.25%を占める。自主運用で得た利益は3519億元で、利益率は30%となっている。
 経済未発達の地方ほど、この利益率が高くなっていて、最高は60から70%に達する。

 訳注:日本円への換算は約14倍してください。日本のTVの自民党の広告では郵政職員は27万人と言っています。

 他の金融関係者の推測によると、郵便局は”借りが主で貸し付けない”、この方式で集めた金を運用することで急速に拡大を続けてきた。それは郵便局内には独自の会計組織が無く、国家による監督もないために可能となっている。その拡大は他の国有銀行らの運用を圧迫している。国全体の金融組織を危険に晒してもいる。
 かって郵政改革の計画に参画したことのある人の話では、国家郵政局と銀行とが強く対立したとのことだ。おそらく最終的には銀行管理と同じ監督部門で監査されるだろうという。又当分、貯蓄部門の株は国家が所持するだろうという。ただし郵便貯蓄はその株式の権利者が所持し、行政の権利とは独立する。
  
 上海銀行の研究部の張氏の話では、現在の商業銀行と郵便貯蓄銀行はその役割を明確に分けるべきだと言っている。
 国務院が現在のところ発表している資料にも、郵便貯蓄銀行は一般商業銀行と違って、主として卸売り以上の大型投資を主とした目的の営業範囲とすることが書かれている。  
 又別の話では、農村には郵便事業の貯蓄業務しか無く、これまで郵政は農村で集めた金を農村には貸し付けなかったので、現在は農村には金銭が無いという状態となっているが、今後は貯蓄銀行が集めた金を農村に戻すことを義務付けるべきだという意見もある。
 もし郵便貯蓄銀行が一般の商業銀行と同じ役割なら、結果的には農村から集めた金を都市にしか貸し付けなくなるだろう、と言う意見は強い。

 先述の様にこの郵政改革はそこで働く人にとっては地震に近い大改革である。だが彼等には全く何のニュースも入ってこない。だが彼等が世間話をするときは決まって郵政問題になる、のは当然だろう。 

中国では1986年に郵政事業が開始された。1990年には所持する全金額を人民銀行に預け、その利益で営業を続けてきた。この方式は郵政畑にとって「とても好都合」な状況を維持してきた。
 03年になって資金運用は国家郵政局の自主運用が認められた。原資8000億元以上を利率4.131%で人民銀行に貸し付けた。しかしその後は利益率は下がる一方となっている。今後資産の保障が無くなる時代を迎えて、その行方が心配されている。

 郵政事業の半分に公益を目的とする、半分に市場運用を目的とする、このような役割を明確にすべきだと言う。 

農村では郵便配達事業がほとんど無く、従って職員の仕事は貯蓄だけであり,郵政改革の行方によっては職員が大きく減らされる可能性もある。
 利用者にとっても、局内の人にとってもその行方は今後とも大きな関心が払われるだろう。

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 訳者注:
 この記事は中国社会主義の国家構造を良く説明しています。
 議会の討論がないこと。決定まではほぼ大衆に知らされないこと。最終決定前に人民大会に一応提起される形と成るが、人民大会議員も党が決めるため、これまで人民大会で修正や討議がされたことがない。

 国家の運営に農民の意見が入らない、お金も回さない。
 郵政関係の職員労働組合も発言の権利がない。(形だけの組織はあります)

 これらの根底にあるのが社会主義イデオロギーです。議会は金持ちのおしゃべりの場であったから、社会主義では必要ない。大衆は思想が遅れていて、敵階級の思想が長年月に渡って存在するため、党の独裁を続けることで理想社会に近づく。


 私の翻訳の読者の意見にもありますが、確かに社会主義は20世紀初期から中期の地球規模の植民地主義に対抗し、その対抗策として「民主、平和、独立」等を標語としてソ連や中国で独立を達成し、新しい国が生まれました。しかし建国直後から実行された政策は、具体的な法律による運営でなく、「敵階級」と闘うことで、全てが解決する、と考え、その結果生まれたものは、「破壊」「暴力」「人権無視」だけでした。
 私は2000年1月に大連で出会った大学教授に、「社会主義」の良かった面を教えて欲しいと頼みました。その時は幾つかの法律面や生活習慣などに正しいこと、歴史的に残すべきものがあると思っていました。
 でもこうして5年間翻訳を続けてきて解ったことは、社会主義から学ぶべきものは何もないと言うことになりそうです。
 中国を建国したときの党は、多分本心から「平和・独立・民主」等を実現するつもりだったと思います。
 それは侵略した日本のやり方があまりにも残酷で人間性を無視していたから、それに対する怒りは国全体に満ちていたことで解ります。
 (ただし、日本が台湾で取った政策、イギリスが香港で取った政策など、例外に入るのではないかと思います。
 また、ベトナムに侵略したフランスの1959年に第1次平和協定を結ぶときまでのやり方は、世界一人権と民主主義が発達していたと言われていながら、ベトナム人をムチで労働させ、反抗者を檻に入れて海に沈めています。映画「インドシナ」より。
 そのベトナムも独立後は中国と同じイデオロギーで建国を始めてしまいます。)
 しかし本来希望に満ちているはずの新しい国が、イデオロギーが間違っていたため、福祉・社会保障・教育・人権・民主等々全てを党が先頭に立って破壊してきました。その破壊の仕方が大衆を巻き込んだ国家規模の徹底したものでした。
 杭州で習った教科書には、建国直後「婦人解放」の討論会が地域で開催され、婦人の尊厳などを課題にしようとしたことがあります。
 しかし学校教育と同じで、「計画経済」が始まると経済の発達が止まり、具体的な施設や指導員を育てる金が無く、何も生まれませんでした。
 結局はどの家も男の子に頼らざるを得ない現状となっています。
 
 聞くところによると、ソ連や中国の社会を歪めたのはスターリンや毛沢東などの独裁者が悪かったと言う逃げ口上を言う人が居るそうです。しかしそれら社会主義が非人間的に成ったのはどの国も社会主義として統治された直後から人権が無視され、「もの」として管理されていったことが主因なのは明白です。
 また独裁的支配者が現れたこと自体その社会の機構に原因があります。とにかく理想社会を早く追求しようとして、一段と独裁が強まり人権が無視されました。国家建設の初期の目標が完全に置き忘れられました。