スマトラ沖地震への献金に見る
  中国とアメリカ人の慈善の差

05/01/16 文学城 無署名
 
 05年1月8日、中国のもっとも権威有るテレビ”中央テレビ”によると、中国赤十字、中華慈善総会などが全国各地でインドネシア沖津波災害に対し義捐金募集を行い1億496万元余を集めた。中国政府の提出する5億元と加えると、6億元余となり、これは米ドルに直すと7千万ドル余となる。
 また香港は7億香港ドル(1億米ドル弱)を提供している。香港の人口は700万弱なので一人あたり100香港ドルとなる。
 日本は5億米ドル、アメリカは3.5億米ドルを提供している。

訳注:アメリカ民間での義捐金は政府基金を超えた。

 この数字を見て温家宝総理は、さらに国家予算から2000万元を追加した。

 中国の献金行動は全国的に大動員して行われ、国家機関や国営企業など大手がそれらに協力した。それに協力した人の数は1千万人弱。金額は1万2千元。一人あたりにして数十元であった。これはあまりにも少なすぎて役立つのか、と囁かれている。
 この官庁機関の義捐金が今インターネット上で大いに議論されている。ほとんどの意見は不満の声だ。
また今回の義捐金募集について、「中央テレビ局よ、中国には現在解雇されている人達が全国で何人いるのか知っているのか、彼らには義捐金が何故回らないのか、現在北京では暖冬と言われながらも解雇者達の家庭ではマイナス10度だ、まさか幹部の家が27度有るから問題なしとしては居ないか」というホームページも登場している。
 
 中国国防部はインドの国防部に230万元の義捐金を送った。これに対しても多くの疑問がホームページに現れている。曰く「何故国防部が民間の事件に義捐金を出すのか」と。また有るテレビの評論でも「今回の義捐金活動では、中国には13億人が居るがその内12億人は参加していない。このうちの7億の農民や2億の都市へ出稼ぎに行っている農民はもちろん呼びかけられていない。
 中国には裕福な層が居る。彼らは自分の懐には全く手をつけていない。北京テレビも堂々と番組で、”裕福階層はより積極的に”と呼びかけていた。

今回のインド津波事件に関して、中国の貧しい人達がいろいろ疑問の声を出すのは当然だ。中国はこれまで開国以来の歴史上、貧しい人達への救済を目的に義捐金活動をしたことがない。だから外国のことに上部が鳴り物入りで義捐金を呼びかけることに不満の声が飛び出すのは当然だ。

 だが同時に中国人なら誰もが知っているように、裕福層は社会的な慈善事業に全く非協力的である。
 そこで私は中国とアメリカの裕福層が慈善事業に対して何故このように差があるのか、その原因がどこにあるのか、それを考えたい。
 中国とアメリカは国家の形態も文化、さらに伝統も全く違う。だがそこには明らかに道徳に関して天地の差があるのは明白だ。

この疑問に答えるために、まず彼ら裕福層が国家に如何に貢献しようとしているか、を見てみたい。

 中国は「改革開放」が叫ばれて早25年が経つ。それ以来中国は高度成長を継続達成してきて、そこから裕福層が水面上に浮かび上がってきた。その数は正確には掴めないが、百万の富、千万の富、いや億万元の富を掴んだ階層が現れたのは確実だ。何故その数が掴めないか、それは彼らが自分の富を隠すからだ。何故隠すか、彼らは税金を払わないからだ。金の掴み所が不正だからだ。その例はたとえば「胡長青、胡建国」など不正官吏の数は枚挙にいとまがない。

 中国社会科学院の調査によると、02年度国家総収入の32%を人口の10%が所有している。
 中国の”ギニ系数”は0.454に達している。(国際標準でその社会が安全であるためにはこの数字が0.4以下であるべきと言われる)
 中国は既に貧富の差が危険な程度に両極に対立しているのだ。その差は現在毎日一層拡大に向かって突き進んでいる。
 現在中国のあらゆるところで権力と民衆が衝突している様は、この社会的対立が十分尖鋭であり、常時発生していることを示している。

社会の貧富の差が拡大し矛盾が大きくなるのをアメリカは如何に防いでいるのだろうか。
 アメリカの経済統計が示すところによると、毎年各種慈善事業への賛同基金の合計は6700億ドルに達している。これはアメリカのGDPの9%である。
 アメリカのペンシルバニア州のある市では、80・90年代、コロエンスキという教師が資産投資に成功して数千万ドルを得た。彼はこの資産を総て公益事業に提供した。予防協会に620万ドル、公益基金に3000万ドル、それらから生まれる利益はオハイオ州の病院へ回している。また障害児童学校も建てている。
 さらに、03年、腎臓病の人に自分の腎臓を提供した。もしこのような人が中国にいたら光り輝く「共産主義」の名前と共に最高の栄誉を与えられるだろう。
 だがこの人はアメリカ人である。全くの普通の人として如何なる表彰も受けず市井の暮らしを静かに過ごしている。

 中国人ならほとんどの人が知っているだろうアメリカのスピルバーグという映画監督は、今回のインドネシア津波に対し1500万ドルを提供した。中国の有名な映画監督、張芸謀は35000ドルを提供した。
中国ではこの人に次ぐ献金を申し出た人はいない。高級幹部も例外ではなく「けち」の名前に甘んじている。
 中国で行われた昨年(04年度)の公益慈善事業が集めた金はGDPの0.1%であった。現在国家工商局に登記されている企業の数は1000万を超える。このうち公益慈善事業の協力に答えたのは10万個。その他、つまり99%の企業は全く何も協力していない。

 この10数年の間に大金持ちになった企業群よ、何故このように「けち」なのか。彼らは総て例外なく共産党政権の下で活動を保護され営業を拡大してきた。彼らはアメリカの資本主義で活躍している人達の爪のあかでも飲んで見習うべきではないか、なぜそうしないのか。

 中国の巨額な金持ちについて、道徳面からではなくて、政治上の問題として考えてみたい。彼らの持っている富は合法的なものか、いったいどこから得たものか。
これら巨大な富の所有者は朱容基政権時代に富をなした。その早さは知るものを驚愕に陥れる。彼らは誰も計算機など理解できない。外国語も無理解だ。彼らは「新文盲」と言われる世代だ。その彼らがほんの十年、中には数年で億・万の富を得た。たとえば上海最高長者と言われる周正毅は小学校卒業程度で土地売買と金融で莫大な資産を儲けた。

訳注:建国直後、計画経済で若者は職場が無く農村へ出た。文革が始まると学校が閉鎖された。その結果、勉強できず、大学を出ても外国語が解らない「新文盲」世代が出来た。現在50,60歳代。

 貴方は江沢民書記が提起した”3個代表”の思想を知っているでしょう。これほど滑稽な現象があるだろうか。

 訳注:”3個代表”とは社会のもっとも先進的な部分に依拠して党と中国を発展させよう、と言う思想。今でもあらゆる新聞に登場している。

 これら富豪達は先進生産とどう関係があるだろうか。先進文化とどう関係があるだろうか。彼らの持っているものは社会全体の人民のものを取り上げただけではないか。彼らの出現は中国の発展ではなくて中国全体の災難ではないか。

 朱容基元首相殿。中国の党内に発生した無数の腐敗官吏達、彼らが中国内に一部の富豪と大多数の赤貧階層を創ってくれました。
 赤貧層は義捐金を出したくても出せず、富豪達は義捐金を出す考えは毛頭無い。もし出来るなら朱容基殿、彼ら富豪達の尻を叩いて義捐金に協力させてみては如何。
 温家宝総理が出現して早2年目。彼のしてきたことは「貧しいものを殺し富豪を助ける」政策であり、本来は「富豪を押さえ貧しいものを助ける」これがあるべき政治ではないか。現在貧富の差は拡大を続けている。朱容基時代の悪影響が確実に現れている。

*********************

 訳者注: 
 私の若い頃、ある有名な学者が講演会で言いました。「資本主義アメリカの義捐金や慈善事業は搾取制度を覆い隠すためのまやかしである」と。そして又「社会主義では義捐金・慈善事業をする必要が無く弱者が政治制度として救済される」とも。
 
 現実には、中国やソ連では社会福祉というものが実現できませんでした。常に階級対立だけが強調され人々を対立させることで政権の安定を図ってきた面があります。その権力争いが優先され、一般国民の生活は無視され農民などは最底辺に据え置かれました。
 
 しかし見方を変えて、福祉制度だけを考えてみると、現在でもアメリカ式の政府予算には盛り込まず義捐金に頼る方法、日本式の政府予算に福祉政策を取り込む方法、北欧の様に5割近い税金を取って福祉を高度に追求する方法、これらのどの方法がよいのか、それぞれが問題を抱えているのが現代の地球規模の課題でしょう。
 アメリカの方式は慈善とキリスト教的考えとが密接に関係しています。日本でも教会の信者は収入の1割ほどを社会的な面へ献金しているようです。アメリカではそれがかなり明確に道徳として安定して資金を集めて、国家としての福祉を支えています。
 ただその実態は、”きれい事”だけではないようで、日本がどこまで取り入れるかは大きな問題でしょう。
 社会主義中国では独裁権力者が国家資産を私有化するので、社会「道徳」が育たないようです。

 現在の中国人やかってのソ連領土内の人達は日本式福祉が良いと考えているようです。

「津波」と言う言葉について。
 これは日本語ですが、英語に取り入れられて、さらにインドネシア周辺国にも取り入れられて今回の津波で生まれた子に「tunami」と命名しました。
中国語の津波は「海嘯」(ハイシャオ)です。
 日本語から英語に取り入れられている言葉がこの他いくつかあります。「大君」(殿様)「台風」「銀杏」等。
  
 最後にこのメールは海外で出されたものです。このような声が、中国国内で自由に話される時代が来ることを!