党内部の公開裁判


05/04/28 南方週末  寿倍倍

 全国の6700万人の共産党員
にとって驚愕の試験が今杭州市
で行われつつある。
 それは党内部の規律違反を公
開で裁判することである。
 それは党の公開制を高め、党員
の資質を高め、又同時に党員の
民主的権利を守るとして期待され
ている。
 2001年に提案され2003年から始まった。杭州市では2003年に10個の裁判が行われたが、これは浙江省の10倍の高率である。
 
 写真の裁判は4月5日の模様である。被告の党員は賈(ク)軍さん。会議室の280の席は満席となっている。裁判官も弁護人も皆平服で、ただ党規律委の長だけは徽章を胸に付けている。

 事件は1月25日の夜、48才の賈さんが博打をしている現場を押さえられた。彼は2000元を持ち込み公安が踏み込んだ時はすでに350元に減っていた。一座にいたのは25人、その内党員は7名、賭博で動いた金は5.8万元。これが翌日の地元紙「浙江日報」に掲載され、賈さんが有名で人々を驚かせた。

 会議は事実確認と弁論とで進行した。被告はいっさいの発言を弁護人に依頼した。

 2004年の全国での党員による規律違反が持ち上がったのは888件でその内164件が処分決定された。
 裁判の内容は、賭博、公金持ちだし、職務怠慢、麻薬の4種類である。

重慶の党副書記は「公開は党を太陽の下に置きそのことで生命力を高める。ただ幹部の問題取り上げは今までは少ないが」として歓迎するという。
 この原稿を出す時点で賈さんは「警告処分」と発表された。


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訳者注:
 何でこのような些末な記事を取り上げたか。自分でも分かりません。
 中国では毎年銃殺を含む党幹部の悪質で巨大な事件が、党独裁の弊害と言わず、腐敗と言われていますが、数十万件起こっています。
 そして他方、国民に対しては人権を奪う事件が頻発していて、国民側には裁判権が無く、北京への直訴(それは全財産を掛けた命がけのものです)で取り上げられる確率は千分の四です。
 なのに今更、党内の公開裁判がどんな意味があるのでしょうか。本当に世の中には分からないことだらけ?
(だいたい直訴という言葉は数百年前にその役割を終えたはずでは?)

 なおこの他に中国でも「陪審員制度が開始」とされていて、陪審員には一般国民ではなくて、学識経験者と高級公務員のみとなっています。
 社会主義中国で陪審制度を採用して、(権力を独裁することに手を加えず)、何の意味があるのでしょうか。(陪審制度は民主主義を底辺に広めるためのもです)

 話が変わりますが、5/27日の夜にNHKのテレビで、「反日運動」を日本に来ている中国の学生達が如何に見ているかの番組がありました。
 彼等の共通は「日本にはいろいろな考えの人が居る」ということで、中国の若者がそのことを考えて行動して欲しいと言う意見のようでした。
 おそらく中国では考えられないこと、日本には政府の意見に反対の人が居ること、それが堂々と白昼国会やマスコミで論じられているのを見て驚いているのでしょう。

 私の見ている「南方週末」では、いつも日本の右翼雑誌として登場する「文藝春秋」が五月号で中国特集を組んでいます。石原都知事が「中国解体論」を書いています。
 (この中で「文革中に2千万人が死んだ」と書いていますが、わたしの知る限り文革中に多くの無実の人が殺されされていますが、その死者数は中国で記事になったことはなく、日本でも論じられたのを見たことが有りません。恐らく文革7年前の「大躍進」の4千万人の間違いでしょう。また中国の反民主主義と非人権は非難するに充分ですが、しかし日本とアメリカの戦力が圧倒的に有利なのを持って中国に厳然とした態度を取れと言っているようで、このやり方は「戦力に訴えるもの」で、日本の憲法で禁じている、と思いました)

 その特集には「反日運動」の中心の「釣魚島連合会長」の童増氏と精華大学の劉教授が「中国人民の憤怒を思い知れ」と題して書いています。
 その中身は「かって日本の村山首相が中国に謝罪したが、それは日本の主流ではなく、本流は現在の自民党政権で、彼等は謝罪を現さず、大量に靖国参りをして中国人の感情を傷つけている」というものです。
 
 この特集は「中国攻撃」が多いですが、でも日本ではそのような各種の意見がある中で、真剣に考える人がその中から真実を見つけていくのがこれまでの流れで、私はこれはとても大切なことだと思っています。
 民主主義とか人権とか言うものはとても重いもので、正しい政府が有って、一つの考えだけを押しつけるというのでは、真理を一人一人が自分の力で見つけていくという力が育ちません。では何故日本でアジアの人達と共生する発想が主流として育たないかと言えば、それは「日本の民主主義がまだ浅い」と言うことでしょう。
 
 で在日の学生達が真剣に日本にはいろいろな思想があることを知ってくれたことはうれしいことです。それは彼等が日本へ来る時、親から貰えるのは平均して学費も全て含んで80万円と言う制限の中で、数年の学生生活を送るため、毎日が真剣で、社会の大切なものを自分の身体で感じて判断しているからでしょう。

 私が大連にいた時の日本の学生達はどうだったか。
 外国へ行くという基本の動機が「安易」な感じの学生が多いと強く感じました。先ず生活の心配をする人は少なかったです。自分の将来をどう生きるかを真面目に考えている人も多くいましたが、でも日本の豊かさに支えられていたから、お金で深夜まで遊びに行く学生がいました。

 ただ不思議なのは中国に行った若い人達がすぐに「中国には何でもあり」と言う言葉を盛んに使っていたことです。
 それは社会主義ゆえの問題で、「傲慢で無責任体制と賄賂有り」をすぐに感じていたのでしょう。
 その点日本は法治国家であることが外国へ行って初めて納得出来るというのは面白いものです。