湖南省楼底市党書記が 鉱山腐敗と闘う


05/09/29 南方週末 徐楠


            中国内の炭坑配置図


記者:貴方は鉱山の頻繁に発生する事故
の根元は何処にあると思いますか。
蔡力峰(党書記):頻発する事故の根元には党幹部が鉱山から賄賂を受け取っていることが、全ての事故の発生と対策の不備に関係しています。

 蔡力峰は2年前当該の市の書記になった。書記になった途端、鉱山事故が発生し16名の命が失われた。鉱山の底に残された安全帽には「ああ、親や家族に会いたい」と言う文字が書かれていた。
 それを見た蔡力峰は涙を落とし、党幹部と企業との結びつきを絶つ決心をした。
 当時の官僚達は党の決心がどこまで真実を追究できるか見ものだと言っていた。

 そして2年が経った。記者はそこで党書記を採訪した。
 
 楼底市の江南地帯は”炭坑の海原”と言われ、中国一の鉱山集中地帯で、周辺では11.65億トンが採掘されている。92の市の内49の市で採掘でき、毎日6万人の工員が地下に潜っている。
 1993年から2002年までの間に、21日ごとに3人以上の死者を出す災害が起きている。10人以上の死者を出す災害が152日ごとに起きている。
 周辺の人達は「まるで正月の爆竹を楽しんでいるように、あちらで”ぽん”こちらで”ぽん”と言う音が聞こえる」と表現している。
 その頻発する鉱山地帯の書記になったのが53才であった。

記者:貴方は官と企業との癒着をどうして知るようになったのですか。
蔡力峰:どの鉱山で事故が起こっても直ぐに生産再開が許可されている。と言うことは官・企の癒着が想像できるだろう。そこでいろいろ調べて官と企業トップが癒着している実態が明確になってきた。
 記者:驚きましたか。
蔡力峰:いや、これも一種の腐敗で別に驚きはしない。中国では「官の権利を売る」事はあらゆる領域に存在し日常だ。
記者:具体的にどのように癒着していましたか。
蔡力峰:官が報酬を貰う方法と報酬の中身は実に多様で、一概には言えない。掴みようが無い面もあって、私は担当官を”転勤”という手段で対応してきた。

 蔡力峰の仕事に協力した人に検察院の胡旭シと言う人がおり、彼の部下の施と言う3人が癒着と闘ってきたようだ。

 職について直ぐ、蔡力峰は党幹部大会で「俺に逆らう奴には、俺も逆らってやる。炭坑主と癒着して腐った奴は今から身を洗っておけ」と脅迫したことは有名のようだ。

 訳注:中国では官が賄賂を貰うことを”腐  敗”と言うので、そのまま訳します。
 ただし一度に受け取る金額が、ある制限以 下は許されるようです。
党員でないと官には就けません。

 楼底市はその直後「鉱山から株券を受け取ったり賄賂を貰っている官員は直ぐに退職すること。腐敗が明らかになり次第厳罰にする」と宣言した。これは官員にとって死刑を意味していたので、充分に脅迫の凄さを感じたと有る幹部はいう。

 続いて04年9月、「鉱山安全管理規定」を発表し、”死亡事故発生地域の担当官は免職とする”、とした。

 02年の死亡事故は244人、重大災害件数6回。
 03年の死亡事故165人、重大災害は2回であった。04年には156人が死亡、事故は2回。05年の8月までに死亡80人、事故は1回となっている。
 ここに明らかなように事故件数が減っているのが解る。
 この間、官の処罰は”株の受け取り”が63人、賄賂は1191万元、35人が党規律委員会の処分を受け、司法に送られた人は7人である。

記者:貴方は”腐敗と網の関係”があると言いました。貴方自身がその網の外に居ることが出来ますか。
蔡力峰:権力を握った人間はその網から逃げることは出来ない。その網は諸刃の剣で、使い方によって善にも悪にもなる。
 善とは「人民に奉仕する」ことで、悪は「誘惑と腐敗」だ。如何なる社会にもこの両道が常に存在する。
 04年7月発生の蓮源市の鉱山事故では16人が死亡。これに対し蔡力峰は20人の調査団を送り徹底的に調査を命じた。
 これは”癒着有り”の証拠が出て検察院が登場することになった。鉱山主には10万元の罰金となった。北京から弁護士がやってきて裁判が行われたが、被告と彼を弁護する数人の証言は全て否定されることになった。
 だが審理の途中、警察官が鉱山主の背中を蹴り上げたことがあり、やがてその鉱山主は病気が原因で亡くなった。そのことで巷には「検察が殺した」と言う噂が流れた。
 そこで法医の鑑定が行われ、背中の傷は浅く死因は他の病気と認定された。05年5月刑は確定した。 
 
 有る鉱山主は「一方で我々に刀を突きつけて官と癒着を禁じ、一方で賄賂を請求することに、鉱山側は対処に困り果てている」、という。

 3月8日の祭りの日、検察官が女性の同僚を交えて大勢が食事をしたとき、いざ支払いになって店に聞くと「支払いは既に終わっています」と言う。直ぐに解ったのは、鉱山主が支払っていたのだ。このように鉱山側は常に網を広げて官が何をしているか掴み、”結びつき”を増やしているのだ。
 
 楼底市の人達は言う。「鉱山主の懐には毎日10万元が転がり込んでいる。粗利で年間1000万元が入っているのだ。これは全くの暴利ではないか」と。

 劉建輝という楼底市の鉱山主の場合、500万元を官に没収されたことがある。
だが当の彼は「なんだこれしき」と言う顔で、没収を執行した官達が驚いたという。

 鉱山主の懐には金が”どかっ”と転がり込んでいて、他方、官の方は月収が数千元程度だから、「誘惑と癒着の関係」は”争い難い”が心情だろうか。

有る関係者の話によると、鉱山を開設するとき70から100万元の登録料が必要だが、投資者が揃った段階で、官に心着けを渡せば一切の検査無く手続きが完了するという。
法的には5つも6つも各官庁の検査が必要だ。その出発の段階で村や県や市から許可を取るなど、大変な手続きが必要になっている。
そこで有る官員は記者に「癒着を防ぐには根本的に制度的に検討しなおすことが必要だ」と言う。

記者:貴方が担当して2年経ちましたが、再び大きな癒着事件が出ました。これをどう思いますか。
蔡力峰:これはとても複雑で長期に渡る問題で、一太刀で断ち切れる問題ではない。そこには利益で人が動き、それが社会一般現象になっている。こんなに多くの官達が汚職に染まるのは、賄賂が人間を悪魔に替えてしまうからではないか。
  
 05年9月中央政府指導の元に「官が鉱山主から株や賄賂を受けとっている」ことの検査が行われ、32名の党幹部が逮捕され、159万元の株を受け取り、その利息93万元を受け取っていることが露呈した。
 幹部の中には副県長、郷書記長、郷長、事務部門の幹部、炭坑局長、安全管理局長、鉱山管理局長、公安警察局長、等々全ての部門に渡っている。
 蔡力峰氏の説明によると全体が職務に於いて関係していて鉱山監督の全ての部門が繋がっている、とのことだ。
 不思議なのはこの半年で6回の事故が発生し、6人が死亡しているが、誰も咎めを受けず、どの鉱山も利益が上がり、表彰さえされていることだ。
 事故を起こした鉱山主は「安全監督員」に任命されている。04年には「労働模範」として表彰されている。

      訳注:労働模範
       毎年5月1日に中央政府が選抜表彰。

 怒った農民達は省”総工会”(中国公認の労働組合)に提訴したが、組合は受け付けなかった。
 この例は中国の官と企業の癒着を典型的に示している。
 ただその結合の仕方がより巧妙になり、地下に潜っていることだ。

鉱山側から株を受け取る方式は、株名義人が鉱山主になっていて本人が解らず検査できないと言う。 
 官の中には株だけでは満足できず、鉱山経営の実際を名義を隠して請け負っている人もいるとの話だ。
 
記者:貴方はこの2年の成果をどのように評価していますか。
蔡力峰:癒着していたのは60名だが、現場の生産と安全は大きく改善されたと自負している。
 記者:貴方が担当して以来幹部が自主的に株などを返還しましたか。
蔡力峰:具体的な統計は出ていない。例え実態を掴んで居てもそれは個人の秘密に相当する。だがこちらで掴んでいる以上の癒着がまだまだあるだろう。彼等は今後とも利益が増えることを望んでいる。それを掴むのはとても難しいことだ。
記者:中央政府の検査では492人が株を取り上げられてたと発表しました。
蔡力峰:その数が少ないことが逆に実際はもっと隠れていることの証明でしょう。
 鉱山主との癒着から身を引けなくなった人の数より、真面目な人の方が数が多いのだ。
記者:貴方はこの闘いにさらに勇気が湧いてきますか。それとも「ドンキホーテ」のように、風車に向かって槍を突き出しているような無力感がありますか。
蔡力峰:決して意気揚々ではないが、中央の国務院が私の行動を激励してくれている。ただ楼底市のためにやり抜く考えだ。


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 訳者注:
 中国で腐敗が広範に存在するのは、やはり党の独裁が原因しています。労働災害があってもそれを裁く中立の調査機関がないので、企業側にとって見れば党幹部さえ握れば安心できるからです。1党独裁なので国会で暴露することも出来ません。
 企業と言いますが、ほとんどは国営か集団企業(半官半民)でしょう。小さいのは民営もあります。
 何故裁判の法廷で警察官が被告の背中を蹴り上げるのでしょうか。中国の法医が中立でない事件は幾つも見てきました。だからこの新聞記事も中国人は素直には信じないでしょう。

 そして中国には労働災害に対する保障の法律がないので、労働者は泣き寝入りです。
ここに登場した書記のような人が中国には数人しかいない、或いは皆無と言うことでしょう。 
 社会主義国家で正義を求め闘うことは、「ドンキホーテ」よりも空しいのではないでしょうか。
 このような記事が新聞に公表されると言うことは、実に凄い開明の第一歩のようにも受け取れますが。