太湖を守る一農民の闘い


05/10/13 南方週末 曹鈞武


















 呉立紅は江蘇省宜興市近辺の農民、今年38才、背が低く太っている。この10年太湖の環境保護に命をかけて取り組んできた。
 家の周囲には汚染された河の悪臭が漂う。家の窓から太湖を眺め「私は太湖の汚染で体の調子が悪いのです」という。

 彼の家は太湖の西北にあり、近隣には2000個以上の化学工場があり、そこからこの10年汚れた排水が太湖に注いで来た。
 
 05年5月12日、呉さんは省政府のある南京に行き環境調査を依頼した。ところが誰が言ったのか、”呉さんは精神病だ”と告げ口する人がいて、調査はうやむやになった。
 呉さんはこの「精神病」という攻撃に慣れっこになっている。
 10年前、呉さんは「南方吸音材製作所」の販売で働いていた。そこの工場長は「あのまま働いていれば豊かに成れたのに。頭が狂ったのではないか」と批判している。
 
彼が子供の頃、近くの河では水が澄んでいて、そのまま飲むことが出来た。洗濯もした、河に入れば小魚や蝦が捕れた。
 彼の家では米を作っているが、2年前その米を南京土壌検査所に見せたところ、120種類の発ガン物質が含まれていると診断された。
この汚染米を作っている農家の耕地面積は1万畝に及ぶ。(6.7万アール)
 太湖水資源保護局の観測に依れば、太湖の水質は5段階の最低だという。
 これを聞いて呉さんは「このまま黙って居るわけにはいかない」と考えたという。
 1998年呉さんが販売責任者で居た「南方吸音材製作所」が2000万元の仕事を回すが、法廷には内緒、と言う条件が付いた話があった。呉さんには社宅を提供すると言う条件も出た。
 だが呉さんはその申し出を断った。当時呉さんが臨時工で働くと1日20元であったので、その話には強く惹かれたが、だが水が汚れては命が危ないと、彼は考えた。
 その後生活維持のために1日20元で過ごしている。

一番大事なのは汚染状態の検査を受けて、それが公的に認められ、報道機関にも伝えることと考えた。そして今年の5月視察団が来ることになった。
 そのことを知った最大の化学工場は廃液を停止し、川の浄化を行って偽装したのだ。

 そして視察団は問題なしとして南京へ返ってしまった。
 5月14日、呉さんは視察団とは別行動の新聞記者を集め太湖に注ぐ河の視察に案内した。そこは河の源流地点だった。記者一行は排水で濁りきって汚濁の山となった川面を見た。お陰で記者団には呉さんが精神病でないことが証明された。

 1998年10月にも最初の国家視察団が来たことがある。その時も同じく検査が終わるまで化学工場は排水を停止し偽装工作をした。直後に周辺の米作が全て枯死して駄目になってしまった。

 周辺の農民達は工場排水の証拠を集め、北京へ直訴に行くことになった。するとその動きを知って、途中の駅で待ち伏せの襲撃が有るという話が伝わってきた。農民達は出発を深夜にし、猟銃を持って呉さんを駅頭へ送り届けた。
 途中暗闇の中に待ち伏せしている一団があったが、農民達が猟銃で武装しているのを見て襲ってこなかった。その時の呉さんの気持ちは”英雄はかくもありなん”という気分になったという。

 北京の直訴が成功して、政治協商会議事務所からの通知が来た。直ぐに実地検査が行われることになった。しかしその通知が来てすぐに化学工場群は操業を停止し、偽装工作を始めた。河に沿って清掃を始め、石灰石で中和をした。検査官達が工場に来ると花輪が飾られた。呉さんは企業の偽装工作を手紙に書いて視察団に提出した。工場の言い分は「偽装ではなく、単なる持てなしの掃除だ」と言い張った。
 この争いで呉さんは一度に有名になった。
特に化学工場は何処も彼を熟知するようになった。
 2001年には企業群は共同して呉さんの監視を行う組織を作った。
 
 2002年7月、周辺の農地18000アールで稲作が全て枯死した。呉さんはこのことを国家環境保護局に訴え、同時にマスコミにも連絡した。その時は省政府が動いて企業への注意があり罰金となった。

 翌月の8月、呉さんが外へ出てみて驚いた。街のあちこちに横断幕が貼られ、真っ赤な文字で「呉立紅は環境保護に名を借りて強請をしている。”打倒呉立紅”」と書かれていた。
 怒り心頭に来た呉さんは公安へ飛び込んだ。するとその事務所にも同じ文面の書類があり、彼は所長に逮捕された。
 数日して環境保安局からの命令が出て彼は釈放された。この10年、数えればきりがないくらい、呉さんは脅迫の為のあらゆる行為にさらされた。
 有る話では「呉の命を取ったら20万元やる」というもの。あるものは「彼を轢き殺せば賞金を出す」という。家の窓ガラスは何度もたたき割られた。ある時は呉さんの娘に「お父さんを殺せ」と命じた人も居た。
呉さんは「今まで無事に生きてきたから、もう恐れない」と断言している。

 03年8月15日、呉さんは化学工場の回し者に(呉立群と他2名)殴られ入院した。すると病院はホルモンを過剰投与し、退院後身体が膨れ、体の調子が悪くなり、2年後も未だに直らない、と言う。

 江蘇省環境保護局の担当者が言うには「1998年以降、呉さんが訴えてきた企業は200以上に上る。当然その数以上の敵がいるでしょう」と言う。

 05年5月15日、常州ホテルで開かれた”全国人民大会環境資源委員会”主任の葉如常氏が「呉立紅氏は法を守る良き市民だ」とテーブルを叩いて力説した。そして出席している江蘇省の役人に対して「もし呉さんに健康上の問題が発生すればお前達の責任だ」と指摘した。

 呉さんの家に江蘇省の役人が来て呉さんの妻の手を取り「あなたが呉さんを支持しているのは尊敬に値する」と褒めに来た。妻はその手をふりほどいて、「そんなことを言って、何故呉さんに罪を被せるのですか」と反問したことがある。 
 呉さんには15才になる娘が居る。その娘だけは呉さんに対しあまり見方にならないと言うか、恨んでもいるようだ。
 「そうです。子供が小さい頃から私はこの子に何も買ってやるお金が無く、ひもじい想いをさせてしまい、また中学に上げることは出来ませんでした」と反省している。

 呉さんは孤独の日が多い。彼は中国科学院南京植物試験所から「金なすび」の苗を貰ってきた。それは土壌や空気中の汚染に敏感に反応する、と言われている。彼は多くの場所にそれを植え、一人でそれらを見回っている。その姿は、その苗だけが彼の良き友達のように見える。

 1998年に彼が環境保護に力を出し始めた時、工場から解雇された。工場長は彼に「私がしているのではありません。有る上の方からあなたを解雇しろと命令されています」と言われた。そして同時に妻も単位から解雇された。

 省の環境保護局の案配で”村の文化工作所”に一時仕事が宛われたが、今年になって又解雇された。

 呉さんが工場で働いていたとき、30万元の預金があった。それは今ではすっかり使い果たしている。そこで農業に戻り、妻と2人で12アールの土地を耕している。そこで取れる米と野菜は全て自家用です、と言う。
 記者が妻に質問をすると、「環境保護も大切だけど、できれば少しは金になるような仕事もして欲しい」と俯き加減に話す。それを聞いている呉さんは窓の方に静かに顔を向けたままだ。
 
 05年6月、浙江省の環境保護で闘っている「陳法慶」と言う人が呉さんに会いに来た。彼はその時のことを記者にこう語る。
「環境保護の闘いは、これからは多くの手段、戦術が必要になるでしょう。呉さんのやり方はたった一つ”新聞社に手紙を出す”これだけです。今後は少し工夫が要るかも知れません」と言う。
 その呉さんは「自分にとって環境保護は目に突き刺さったトゲのようなもので、只それを取り除くのにこの10年間闘ってきました。たくさんの経験をし、最初は英雄にもなり、その後は挫折が続きましたが、でもどんなことが起っても、今の私が変わることがないでしょう。自分の宿命として闘い続けます」ときっぱり言う。

 さて呉さんの行道は無駄になったであろうか。そうではない。05年7月29日、全国人民大会常任委員会汚染状況実施検査で呉さんの行動が討議され、太湖周辺の2800の工場のうち、汚染防止の対策が出来ていない工場は全て工場閉鎖にすると決定された。
 だがこの決定にも呉さんは疑問を抱く。これまでも検査の度に企業は排水検査に逃げ道をこしらえてきた。その数は企業の30%を超す。
 「希望が生まれ、又続いて失望が起こり、もうどうなっても感激など有りません」と、あまり高望みはしていない様子。
 
全国民間10大環境保護成績評価委員会が呉さんに激励を送った。そこで表彰される予定という。10年の艱難辛苦が今少しは報われようとしているのか。

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訳者注:

 太湖は面積約2200km2、中国第3の湖、長江デルタの要。北岸に”蘇州””無錫”があります。琵琶湖の約3倍の大きさ。

 呉さんは”農民”という身分です。農民は転居する自由がないが工場で働くことが出来ます。農村に半公営の集団企業が出来ています。
 呉さんの妻も”単位”から解雇された:

 中国全体が大きな企業などを中心に”単位”で区切られていて、そこには病院も公安も全てあります。そこで10年前までは食料券や住宅も支給されていました。そこを解雇されると、生きていくことが出来ません。呉さん家族は農民だったので、その後も生きているのでしょう。
 この単位が住民の生死与奪の権限を持っているので、社会主義は安定していました。今は国営企業が倒産しつつあり、”単位”の権限も徐々に消えつつあるようです。
食料も支給せず、就職も個人の自由になりつつあります。(妊娠出産はこの単位の許可が要ります)
 これまでは社会主義で下からの国民運動とか大衆運動が現れなかった理由がそこにあります。全ての運動は政府や党の命令でした。

 企業群が呉さんの監視組織を作る:

 中国は法治国家ではないので、企業を作ったり家を建てたり、全てのことは党書記に相談します。企業への課税も書記と相談します。従って書記と人間関係がないと何も出来ません。そこで新しい書記が誕生すると「賄賂」攻勢が始まります。(在中国の外国企業も同じ)
 この人間関係を利用して呉さんを逮捕させたりもします。警察も書記の下部組織。
 ”党”の絶対的な独裁力を廃止しない限り公平とか平等とか、人権擁護とかはあり得ないのです。

娘が中学へ上がれない:
 太湖周辺は人口密度の多いところです。娘さんは友達などからいろいろニュースが伝わり、自分が中学へ行けないことで、親を恨む気持ちになったのでしょう。
 もう少し西方へ行くと世の中のことが解らないくらい、ニュースが届きません。

 1980年代に一応中学までは義務教育にする法律が出来ましたが、何時になったらそれが実行されるのでしょうか。

 北京へ直訴:
 直訴で採用される確率は千分の3です。呉さんの訴えが通ったのは太湖汚染という大きな環境問題があったからでしょうか。
 地元で社会的問題が起こったときそれを解決する法律や機構がないことが、社会主義の最大の欠陥でしょう。
 党の言い分は「大衆の利益を守る闘いの戦闘に党は立っている」、(だから中立の裁判所や警察は要らない)
これが数年前までは会議の初めの常用挨拶でした。
 
 全国民間10大環境保護成績評価委員会:

 これは明らかに”民間”の、党とは関係ない、国民の自主組織でしょう。このような組織が生まれることは、今までは信じられないことです。
 今年起こった「反日運動」も”インターネット”を通して党の指令無しに動いたようです。その運動は一面「愛国」ですが一面「党からの独立」でもあり、支配者にとって憂慮した問題だったでしょう。
 
 




呉立紅