次は国際結婚後離婚に至る場合の子供の取り合いについて書かれた2つの記事です。

国際結婚が増え、離婚後の子供の奪り合い も深刻

05/03/03 南方週末  南香紅

 現在中国人の国際結婚が
増え、その後離婚になって、
子供の奪り合いも深刻な場
面が多くなった。
そこには国によって文化・習慣・
風俗そして法律などの違いから
両者が折り合えない争いに
なっている。

1986年10月、張寧那(女偏に那)さんは日本に留学、11月に日本人の菅原喜仁と知り合い、12月から同棲生活を初めた。菅原には妻と子供二人が居たが離婚し、二人は結婚届を出した。
 初めの頃二人の関係は順調だった、と張さんは言う。そして菅原の中国との貿易の仕事に張さんも参加。やがて二人に「将之」と言う男の子が生まれた。
 菅原の企業「中日貿易公司」は業績が上がり、日本での100個の優秀企業の一つに数えられていた。
 「将之」が3歳の頃、張さんは子供を背負い仕事を手伝い、多いときには1週間に6度も日中の間を往復した。これは専門のスチュワーデスよりも飛行時間が多いのではないか。
 日本では普通妻は家庭を守り子供の教育に専念する。しかし張さんは仕事の方に主力を置き、中国との取引は彼女が中心になって働いた。「貿易取引」の大学を卒業した彼女はその方面に才能を発揮した。
 中国人の間でも張さんは「女強人」と見なされていた。しかしやがて少しづつ二人の心は離れていった。そしてもう二人の関係は戻れないところにまで行った。そこで起こったのが「将之」の所属は夫婦のどちらになるかだった。
 菅原はやがて将之のパスポートを隠して中国に行けなくしてしまった。それまでは張さんは何度も中国の母に将之を会わせてきた。しかしパスポートがないと中国へ連れて行くことが不可能となった。
 現在菅原は既に62歳、そして糖尿病が悪化してほぼ失明の状態。しかし彼は子供を自分の側に置いておきたいと強く主張。
 逆に張さんは上海に家を買い、中国で学校に通わせたいと希望している。
 03年8月10日、張さんが仕事で中国から帰国してみると、家には夫も子供も居なく、門には鍵が掛かっていた。張さんは鍵がなかったが、窓から部屋へ飛び込んでみると、机の上には離婚届があり、弁護士に全てを任せたとの書類が置いてあった。
 10年余の夫婦の関係がこうして壊れた。03年12月菅原は東京裁判所に離婚調停を提出。その届けには、母、張さんが子供を中国へ連れて行くので、裁判所が子供を守って欲しいと書かれていた。張さんは子供を返してくれたら仕事から手を引くと提案したがそれも菅原は拒否。その結果張さんは貿易の仕事を中止し、「中日公司」は倒産した。
 04年4月東京裁判所の調停は不成立。
張さんは財産と子供の取り合いについて、財産は要らないから子供だけが欲しいと主張。

双方が弁護士を立てて争うことになった。張さんは子供がまだ小さい間は当然母の元に居て育てるべきだと主張。次の4点を弁護士に委託した。
 1.菅原が失明していること。1級障害者である。
2.公司は倒産し菅原の財産は無く、張さんは裕福であること。
3.母と子供の感情は問題が無いこと。
4.日本で10歳以下の子供の養育は83%が母に任せられていること。以上を争点にして貰った。


しかしその後の裁判では張さんの思惑は外れた。

 04年6月、菅原の兄が現れ、将之を東京渋谷区の小学校から子供を連れ去った。その時の義理の兄の言い分は、学校に対しては「今日法廷に出なければなりません」と言い、子供に対しては「ディズニーランドに行こう」と言って連れ出していた。
 この小学校の校長は裁判所へ「最近、菅原将之は休校しており、これは学校教育法に違反している。病気の父が養育できるか、そこに問題があるのでは」と書いている。
 
 在日本の中国人相手の新聞「中文導報」にはこの事件が大きく報道されている。「離婚の悲劇が罪のない子供にまで大きな困難を押しつけている」と書かれている。
 張さんには子供との連絡を取る方法が無くなった。京都の義兄の家に行くと警察が来て追い払われた。菅原への電話も通じず、困った彼女は私立探偵に調査を頼んだ。すると菅原親子は熱海にいた。すぐに彼女が熱海に飛んでいくと、その時は部屋は空っぽで、引き払った直後と解った。

 04年7月東京裁判所は子供の養育権について、父親にあると裁決。
裁判所の判断は以下の理由とされている。1。菅原の健康傷害も絶対的なものではない。2.菅原には年2000万円の高収入がある。3.子供の養育は家政婦を雇うことで可能。4.張さんは毎年250日を中国で過ごしてきた。これで見る限り子供を中国に連れて行けば再び戻らないと考えられる。

 その裁判所の法廷には菅原は二人の肩を借りて入場していた。椅子に座るのも自分では場所が見えなかった。そのような状態で何故健康障害に問題がないなどと言えるのか、彼女は疑問だという。また公司が倒産した今、菅原には傷害保険からの入金しかないはず、それを裁判所は正確に知っているのか、と彼女は言っている。
 彼女はその裁決に不服で、上訴した。
04年9月張さんは息子「将之」から「お母さんに会いたい」という電話を貰った。息子は「お母さんに会いに行くよ」と言って泣いていたという。
 張さんはその電話を聞いて「自分が子供に会いに行くのは法律に反している」ことであっても、しかし黙っていられない、と考え、彼女は京都に行った。そして子供と一緒の写真を撮り、東京に連れて帰った。
 そして東京の警察に電話をした。「私と子供が一緒に写真を撮った。これは子供が望んでいることで、決して子供を無理やり連れてきたのではない」と話した。
 しかし菅原はすぐに東京裁判所に「人身保護」の訴えを出し、張さんを「児童拘束者」と指定した。そのため京都警察と東京警察が連絡して張さんを逮捕しようとしたが、二人が仲良くしている現場を確認し、警察は引き上げた。
東京では国選弁護士が「人身保護」の観点から調査を始め、張さんの生活を調べ、「現在母子の関係が悪いことはない。離婚協定が成立するまで、子供を渋谷の小学校に戻し母がその傍に家を借り、これまでの友達が居る関係に戻し、又子供は両親の間を自由に行き来できるようにすべきだ」と言う結論を出した。
 これに対し菅原は高等裁判所に「人身保護」の訴えを出し、その結果「張さんは子供を菅原に返すべきだ」との結論が出されてた。

 張さんは国選弁護士の意見「最終的には子供の精神鑑定と子供の要求によってその将来を決定すべきだ」と言う考えに希望を託していた。だが事態はその方向に行かなかった。
 東京最高裁判所は「子供の養育権は父親にある」と言う決定を出し、04年12月17日までに子供を父親の元に戻すことと言う命令を出した。
 張さんの話によると、母子は絶対別れないと語りあい、張さんは子供を離さなかった。 裁判所は張さんを拘禁すると言い、張さんは上海に帰った。だが張さんは子供を諦めることは出来ない。だがそれが絶望に近いものであることも解っていた。

 記者は中国の数人の法律家に相談してみた。
 彼等の分析によると、この問題は日本で行われており、日本国籍の菅原に優位であること。張さんの方は日本の文化習慣についてほとんど理解が無く、これが大きなマイナスと見られている。
 張さんは日本に19年住んでいた。菅原との結婚後も中国国籍で、3年毎のビザ更新であった。子供は日本国籍である。法廷は日本での生活を主として考慮する。張さんが公司で働いていたとき1年の中250日は中国に居た、これが決定的に彼女に不利である。

 日本での先述の「中文導報」によると、日本人と結婚する中国人が多いが、ほとんどの例が離婚後は再び相手に会いたくないと言っている。そして子供の取り合いとなっている。
 この新聞によると日本の民法には、離婚後の子供が親に会いに行く権利については明確な規定がなく、月に2時間だけ面会することが表現されている。特に第3世界の国については表現がない。中国の場合これが当てはまり、張さんは永久に子供に会う権利がないことになっている。
 張さんの場合、このため日本に行っても子供に会うと違法行為とされる。
 そこでこの「中文導報」はこの事件を報道して、「日本は親子の面会権利を奪っている”鬼門関”国だ、と言う表現をしている。 

張さんは裁判官の名前「西田照美」について、この名前は中国人なら誰でも知っている、彼は中国細菌戦争の裁判を担当した悪評高い人だ、と言う。
 彼女が知ったところによると、日本では親権が無くなると、母子の関係はなくなり、子供の後継者は誰にでも、母以外の、与えられると言うことで、これが張さんにとって耐えられないことだという。
このような母子の権利を奪うのは世界にあまり例がないのではと言う。
東京家庭裁判所は彼女に月に1時間の面会時間を提供するとしたが、彼女はこれを断った。そして彼女のビザは今年の3月15日で切れる。するとこの面会時間も消えることになる。「これは私に子供をさらうしかないことを唆していると言うことでしょう」と彼女は言う。
 「世間には割り切れるものがいっぱいある。しかし親子の繋がりは割り切れない」と言う。

 05年1月彼女は京都に行きクリスマスプレゼントを持って菅原の家を尋ねた。しかし扉は閉ざされ中に入れなかった。彼女は大声で「将之、母が来ましたよ。母は絶対お前のことを忘れませんよ。お土産をここに於いて置くからね」と呼びかけた。
 張さんにはもう子供と会う道は閉ざされた。彼女は日本にいて法務省や教育省駐日大使館、裁判所など尋ね歩いた。又子供を求めて東京、京都、学校、義兄の家等、尋ね歩いた。姿を見つけるまで路地に隠れて半日待ったこともある。
 最近の彼女は寝ても子供のことで頭が一杯になり、1日2時間ほどしか眠れない。
 この争いが始まって既に彼女は300万元(4500万円)を使っている。普通の家庭の人ならあり得ない大消費である。さらに日本の法廷に訴えを続けたい気である。
 彼女が記者に語る姿は、「怒れる雌の母虎」のように瞳に怒りの光を漲らしている。


2 
子供の奪り合い米国版

05/03/03 南方週末 孫アフィー

米国版の子供争奪が始まったのは4年前のこと。中国人の名前は熊晶さんという。彼女と結婚したのはアメリカ人の弁護士「ケリー」と言う。
 ロマンスが始まり二人が結婚して2年、彼女はすぐにケリーが暴力をふるい、酒癖が悪く、商売女を買う、と言う面を発見した。そして二人の間に喧嘩が始まった。子供が生まれた10日目、二人の喧嘩は極点に達した。殴り合いとなり、鼻血を出し、花瓶で殴りつける様となった。ついに警察が介入して収まった。その結果、赤子「毛毛」は熊さんの母に預けられた。しかし又数ヶ月して大喧嘩が始まった。それは、夫が赤線に行き直後妻の床に入ってきて、彼女は夫を拒否した。するとピストルで脅迫して妻を強姦した。彼女は直後警察へ連絡。その結果警察は子供を取り上げニュウヨークの児童局へ送ってしまった。
 ケリーは暴力により拘引。夫は妻を「ヒステリー」だと主張。すぐに”#常態を失う”と説明した。そこで法廷は熊さんにも子供の養育権利がないと判定。ケリーの妹、シラーに子供が預けられた。この判定により熊さんは子供の面会に制限が付けられた。

 毎週1時間かけてシラーの家に行き、見張り付きで子供と3時間面会が許されることになった。
 しかし母親としての熊さんにとって、子供の養育権利がないというのは耐え難く、01年6月、彼女は子供を連れてアメリカを出国、中国に戻った。しかしこれは国際間の児童誘拐罪とされ、国際的に写真付きで報道された。彼女の行為は結婚前から米国籍を取る目的でケリーと知り合い、そして「攻撃的性格の持ち主、子供を誘拐して逃走」と報じられた。
 ケリーはテレビに出て涙ながらに子供が可愛そうで、妻は精神異常で赤子がミルクをこぼすと雷のように叱る、と訴えた。これが彼女に親権を失わせる決定的な事件となった。

熊さんと赤子「毛毛」は上海でひっそりと、しかし平和な日々を送った。
 02年末、ケリーが突然のように癌で亡き人となった。これで当然熊さんが親権を法的にも与えられると考えた。そこで米国へ戻った。カナダで飛行機を待つとき逮捕された。1年後ニュウヨークのウインテェスター監獄を出、獄中で編んだ毛布を子供に与えようと用意した。
 だが義理の姉、シラーは子供を隠して会わせない。しかも熊さんは米国の法廷には信用がなかった。

 米国では子供は社会の宝とされ、両親の所有物とは見なされていない。そこで問題が発生すると子供の成長にとって将来が如何にあるべきかだけで判定される。子供の血縁が如何と言う中国式の見方はされない。従って中国人にとってはこれは受け入れがたい時もある。
 たとえば12歳以下の子供でも道路横断に両親は手を出しては行けない。子供の自主判断に任される。両親が失業したとき、家庭不和になったとき、共に子供の養育権が無くなる。

 東西文化の違いは大きく、彼女が国際的児童擁護に違反したことが、極めて彼女に不利になっている。これはアメリカのこの種の問題に精通した記者の意見である。
 彼等はこのような問題は、当人にとって同情すべきかどうかではなく、単なる法律上の問題と考えられていて、同情や感情的な判断というのはほとんど行われない、と言う。

 だがニュウヨークの中華街では熊さんを支持する声は大きい。彼等は支援組織を作り法廷にも訴え、かなりの支持を得つつある。
 01年9月、中国領事館は米国国務院に抗議の文書を送った。記者が何度か熊さんに国際電話を入れたが、電話に出てもほとんど声が出ない。

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訳者注:
 今までは中国の社会的な問題を訳してきました。しかし今回はちょっと内容を変えてみました。皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか。
 非情に深刻な問題ですね。実は最初の日中間の記事は特に張さんに同情的に記事が書かれていて、張さんが子供に会うためにガラス越しに子供と面会する場面が長々と書かれています。この部分は省略しました。
 この種の記事が2つ掲載されていて、私はほっとしました。というのは、私は後者の米国版の記事の意見「感情的にならず、法律の判断に任せるべき」と言う見方に賛成です。
 かって戦前の日本は狭い愛国心からこのような問題を排他的に優越的に扱ったのではないかと想像します。
 だから、どちらかに同情することなく、法的判断に任せるべきだと考えました。ただしそれには日本の法律が国際的に見て恥ずかしくない、民主的・公平なものである必要があります。それについて私はほとんど見識がありません。もしご存じの方が有れば教えてください。
 実は私の翻訳への投書を見ますと、社会主義に理解有る人が多いですね。多分米国の「子供は社会の宝で両親の所有物ではない」というのは本来は、中国やソ連で行われるべき思想だったのではないでしょうか。
 しかし現実は、中国が人権や福祉で世界でもまれな後進国となっていることがこれまでの翻訳で解り、そしてこの種の子供の問題でも思想的には地球上ではかなり遅れた国家であると言うことがこれでも解るのではないでしょうか。