中国東南部に「連帯」出現

05/04/14 南方週末  曹 鈞武

 中国では一般大衆の人権を守る方法が少しずつ変化を見せている。その特徴は臨時工として働く農民達が地縁血縁を頼って組織したもので、その形成過程は血に染まっている。

 呉根発は粗末な小屋を事務所として、今烏龍茶を飲みながら静かに説明をしてくれているがその顔には幾つもの傷がある。
「この傷は刀で斬りつけられたものです。少し位置が上下に外れていれば命はなかったでしょう」と言う。
 現在36才の呉根発は福建省三明市寧化県の人。過去の十年は泉州市へ出稼ぎに行っていた。そして現在は「寧化県商会泉州分会会長」と言う肩書きを持っている。福県省人の習慣として”お茶を飲みながら話をする”のが好きと言う。事務所には幾つもの額が掛かっている。その中に「正義を伸ばそう」と書かれているのがある。それらの額は出稼ぎで働く農民達が送ってきたものという。その農民達は呉根発に何度も救済されてきた。

 呉根発の顔の傷はその「商会」を維持するための代価だと彼は言う。彼の両腕にも幾つもの傷がある。ただしどの争議も勿論呉根発一人の力で解決してきたものではない。「商会を支える同郷の多くの仲間の協力があった。同郷人の利益保護の「連帯」組織とも言える。

 連帯会長

 呉根発は昨年末の4年11月、23才の臨時工「王鴻淋」の賃金不払いの交渉に立ち会った。
 王鴻淋は晋江市の靴製造業で働いていたが、かれが他の会社に鞍替えする、と言う理由で会社は賃金不払いに出た。王鴻淋が会社に掛け合おうとして事務所に行くと、社長は保安係を集め彼を追い出した。保安係達は彼を取り囲んで殴る蹴るの暴行を働いた。彼は地面に叩きつけられて、転がる内、油缶に手が行き、それを自分に掛けた。「もし賃金をくれないなら火を付けて自殺する」と脅かした。社長や保安が怯む内、かれはライターに火を付けた。炎がぱっと燃え上がり、彼の全身は一瞬に炎に包まれた。保安係達は驚きながらも服を脱いでそれで炎を叩き火を消し止めた。だが既に王鴻淋は意識を失って地面に蹲っていた。社長は王鴻淋を毛布に来るんで工場の外に放り出した。周囲に集まってきた人達に向かって「こいつは工場に火を付けようとした悪い奴だ」と大声で叫んだ。
 王鴻淋の同郷人達が集まってきて彼を近くの病院へ運び込んだ。その時、王鴻淋はほとんど息をしていなかった。だが同郷人達が病院の費用を皆で集めようとしたが金額が足りない。誰もが困っている時、一人が「商会」に相談しようと提案した。そしてすぐに一人が電話した。
 そして呉根発がその話を受け取った。「家族にも知らせ、明日会社と交渉しましょう」と約束した。
 その話は素早い早さで同郷人達に伝わった。翌日の交渉には多くの仲間が工場に集まった。呉根発は「とにかく先ず病院の費用を会社で出すこと」を要求した。だが会社側は全く要求に応じる様子を見せなかった。会社側も多くの人を集めた。両者の睨み合いは時間と共に緊迫を強めた。社長と呉根発とが最初に殴り合いになった。同時に集まった全員が取っ組み合いとなった。そこらはまるで戦場のようであった。
 やがて公安が来た。呉根発の両手は傷だらけだった。会社側は相手の人数が多いので、相談に応じると態度を和らげた。
 1時間ほどして相談がまとまった。会社は3万元を出し病院に払う。傷害の家族とも話が付いて、家族に10.8万元払うことになった。ただしそれ以降の費用は会社は無関係とすることになった。

 このことは地元の新聞「海峡都市報」に載った。そして党の上層部も関心を持つことになった。

 障害者の王鴻淋は退院して自宅に運ばれたが、皮膚の8割が火傷を負っていて、労働能力を失っていた。
 でも命を取り留め、10万元を家族に与えることが出来て「商会としては満足だ」と呉さんは考えた。

 04年5月、泉州市の樹脂工場で圧縮機が爆発し臨時工が一人亡くなった。会社は被害者の経歴が5日しかないことと臨時工であることを理由に葬式代しか出さなかった。家族は工場に来て1週間泣き通した。だが工場は何の情も示さなかった。そこで誰かが「商会」に連絡を入れた。呉さんと商会事務担当者2人で工場と掛け合った。泉州市には同郷の出稼ぎ者が3.5万人いた。全員が商会に加入しているわけではないが、誰もが交渉に協力した。そしてその3.5万人の力がものを言って工場との話し合いが成立し、死者の家族に8万元余を支給することでけりが付いた。

 呉さんは「商会」が出来て以来、まだ談判決裂というのは有りません、と胸を張る。

 03年「商会」成立後、賃金不払いや各種もめ事が2日に1度は起こった。王さんのような大事件もこれまでに30件以上有るという。そしてその人達が事件後商会に「額」を届けに来ることが多くなった。
 こうして泉州市では呉さんのことを「連帯」の会長と呼び慣わすようになっている。

 商会の拡大

 商会の任務は事件後の談判だけではない。02年4月、県が企業誘致の計画を立て募集を始めた。呉さんは本来の仕事が土方関係であったので市から応募するように言われた。 そこで数人が相談した。この機会を利用して同郷人達の「経済促進会」を考えようと言うことになった。呉さんは党委員会の副書記長にも話を通し、その許諾を得て、比較的裕福な約100人が会員になって、その仕事の商会も成立した。同地の有る工場長は「呉さんは正直で熱心、仕事は最後までやる、彼は誰が見ても本当に信用できる人だ」と評している。

 99年、呉さんが昔なじみの友達と一緒に食事をした時、友が「私の勤める工場で一人の女子工員が機械に指を挟まれ4本を切断した。しかし工場は弁償も出さず、すぐに彼女を追い出した。何とか工場と掛け合ってくれないか」と言う話になった。

 翌日呉さんは工場へ行き弁償を要求した。
工場はすぐに保安係を呼んで彼を外へ追い出した。そこで彼は同郷人達を集め集団で工場と交渉した。ついに工場が折れて、労働局と立ち会いで話をすることになった。そして障害を受けた女子工員に3.5万元が払われた。
 
 これが噂を呼んで呉さんが各方面から呼ばれるようになった。誰もが泉州市の「同郷人の兄貴」だと言うようになった。
 呉さんが言うには「同郷の人達は誰も最底辺の生活をしていて、権利が無く苦しい人達ばかりだ。誰も乞食と紙一重の生活だ」と言う。 

 商会が大会を開くと100人ほどが集まる。その背景には3万人ほどの協力があり、そして経済的な仕事の必要も確認している。それは同業者の中でも賛成意見が多いという。誰もが故郷に帰ったような気持ちになれることが将来の希望だという。
 最近では彼等の「連帯」を「民間労働組合」と呼ぶ人もいる。

 ついに党委員会の「統一作戦部」も彼等の仕事を「労働組合」として認めることを表明した。党の言い分は「何事も法律に基づき、法律に従って臨時工の身分を守ることは良いことだ」と言う。

 連帯の発展

 呉さんは「この仕事は泉州市だけの問題ではない」と言い、出来れば各地方の同郷人達が同じような組織を作り、それが横に連帯できればもっと強くなる、と希望している。実際彼とは違う同郷商会も既にあるという。

 福建省東南部に「王」と言う人が連帯会長をしている。10年前軍に入り、その後武術館を開いていた。少しずつ彼の豪快な人柄に惹かれて仲間が出来、輪が広がった。彼の同郷人達が臨時工を守る活動を始めた。その影響力も広がり、彼は連帯会長と呼ばれるようになった。
 この組織は会費を取らず、時に多くが集まりそこで寄付を集める。誰かが職場で困るとその解決に使う。

 この組織は晋江、南安地方に影響力がある。そして同郷人達は「民間労働組合」と呼ぶようになった。 王さんがその会長である。
 このような組織はこの数年急速に増えているようだ。彼等は地縁血縁を通じて仲間を増やし、会社や企業と交渉する。労働組合の初歩の段階か。

 最近では資本の面でも蓄積を初めているようだ。ある靴製造業の社長は「彼等はこれまでは群衆にしかすぎなかった。しかし連帯を持ってからは代表を通して話をするようになって、こちらも彼等の利益を守らざるを得ない」と言っている。

 04年3月、浙工省の有る服装会社の大型バス4台ほどが夜間に他の工場に近づき、「皆さん出てこい」と呼びかけ、200名の従業員全員を連れ出す事件があった。
 従業員を連れ出された工場長はそれを知って驚いた。その工場の臨時工達は皆同じ県から来ていた。そして待遇が悪いので一挙に他の会社に引っ越したわけだ。

 以前からその地方は労働力不足であった。その不足数は市全体で20万人に及ぶという。しかし南方の大都会からは離れていて労働者の呼び込みが難しい。市も企業連合を作って人集めを計画したりした。
 現在一人の熟練工の賃金は600から800元ほど。新米は300元ほどにしかすぎない。
 
   訳注:北の大都会では1000元ほど。南では1200元
        の所もある。


 それでも中小企業は支払いに厳しい、とのこと。企業福利施設も南方の大都会ではいろいろ整って来た。だが地方ではそれは全く無い。当然そのニュースが臨時工に知れると彼等は他の地方へ転職したがる。こうして他の企業への転職希望者が絶えないと言う。
 その結果の人集めは一つの農村から纏めて引っ張ってくることが多くなった。それは管理も楽だ。当然呼びかけた人がその同郷人達の利益を代表するようになる。
 こうして彼等は「幇」とか、「同郷会」とか言う名前で、組織化が急速に進んだ。

 この同郷会の中身は若者が圧倒的で、都会のニュースもかなり知っている。少しは学校にも行っている。生活方式も都会的な方法を好む。自分達の利益も要求する。こうして彼等の組織は必然的に「民間労働組合」的となる。
 だが中には過激な組織もあるようで、会社の機械を盗んだりする。
 湖南省から来た農民に聞くと、企業が賃金を上げない、等の不満がたまって彼等は会社の財産を内緒で持ち出し売り払って分けあったと言う。会社の機械を破壊する行動もあるという。

 このような様子を呉さんは知っているという。
 呉さんは「商会」や「民間労働組合」等の活動は合法的でなければ駄目だ、と言う。「これまでに殴り合いになったこともあります。でもそれは仕方なく追い込まれたからです。これからは政府の各部門も我々の活動を公認し、法律的に出稼ぎ農民の利益が守られるものを目指したい」と言う。
 呉さんの組織では専門の弁護士も雇う計画だという。

 今後の進路

ある化学工場の社長は「現在は何処の企業にも民間企業があります。でも当方はその組織に頼って人集めをせざるを得ません」と言っている。

 呉さんは昨年1年で寧化県の人達の為に会社と掛け合った件数は300回有りますという。
 泉州全体で出稼ぎは300万人。その中の寧化県だけでは3万人がいる。
 この数字から見れば、もし呉さんの仕事が全州に及べば、昨年の100倍になることは明白だと言う。


市の総工会常務副主席の傳さんによると、泉州全体で企業の数は数万に及ぶ、その中で千人以上の企業は10%弱、その他は広く分散しているから、組合がまとまるのは困難だろうと言う。

    訳注: 泉州総工会は中国の労働組合連合会の地方
        支部。これまでは自主活動が認められなかっ          た。

  泉州総工会は1995年に活動を始めた。02年になってほぼ形らしいものが出来つつある状態になってきた、とのこと。
 組織のある担当者は「組合の有るところでは総賃金の0.8%を会費として企業から徴収している。組合のない企業は2%徴収する。すると企業としては組合があった方が楽になり、それは組合結成に効果的で、彼等の企業は形だけの代表者を決め組合結成したと連絡してくる」と言う。

 その中の一例として、昨年次のような事件があった。
 ある企業で労働争議が発生した。市の労働部門が仲裁に入った。その団交に出席した会社代表は同時に組合代表であった。そして「組合の要求は高くては行けない」、と発言し、双方から大笑いになった、とのこと。

 総工会副主席の蔡さんは「現在組合を建設中で、役員選出には全組合員の選挙に依ることを指示しています。役員は必ず普通の言葉で組合員と話すこと、そうして初めて臨時工も組織出きる」と主張している。
 この説明の背景には企業組合が臨時工の利益を守らないので、臨時工達は必然的に「民間労組」に頼るようになる傾向があるからだという。

 呉さん達が始めた「民間労組」に対し、総工会の蔡さんは「民間労組はこれまで確かに臨時工の利益を守ってきた。だが将来、総工会として彼等を組織に組み込む活動も考えたい。そうして一般の組合員が民間労組に頼るようになることを避けたい」と言う。
 この考えに呉さんは同意している。将来はその方が良いのではないかと言っている。

 だが総工会がその形を決め、組合らしくなるにはまだまだこれからが本当に大変な時代が続くだろう。
 

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訳者注:
 中国では都市労働者の数が約2億、出稼ぎ農民が約1億人でしょうか。農民は都市に住む権利が無く臨時工しかなれない。だから臨時工の数は日本と違って圧倒的に多いでしょう。予備の農民は無限大とか言われています。(5億人くらい)
 
 建国後は労働組合の活動は認められ無かったので、今初めて国家として民主的な運動が始まったところでしょう。
 これまではあまりにも国民全体が非民主的な思想と政権下で権利を抑圧されてきました。でもこの記事を読むと、普通の社会に入りつつあることがわかります。こういう運動を通して道徳や人権意識が育成されるでしょう。

 何よりも痛切に感じるのは農民の「乞食と紙一重」の状態です。これを一時も早く解決して欲しいものです。
 15年前にポーランドでも「連帯」活動が有名になり、やがて独裁政権が倒れてその代表者のワレサが最終的には大統領になりました。でもワレサは大きな会社にいました。たしか造船だったと思います。中国の呉さんが総理になる可能性があるでしょうか。
 
 中国の党は建国時「全人類の解放」などと傲慢にも宣言しました。だが上から解放するという発想がいかに非科学的、非人間的・独善的だったかを証明したと思います。