「聶(ニエ)樹武」 免 罪 事 件

     

 05/03/24 南方週末  趙凌

 1月19日、河北省に於いて
強姦罪で逮捕された男、王書金、
が河北省での強姦罪をも自白
した。しかしその事件は別の若
者がすでに犯人として10年前
に銃殺されていた。

 1994年夏の終わり、聶(ニエ)
樹武が38歳の女性を強姦し首を
絞め、畑に埋めたとして逮捕された。
半年して家族が面会のために刑
務所に行くと、係員は「既に銃殺刑
にされた。以後来る必要はない」と
突き返した。罪名は”強姦罪と故意
の殺人罪”と言う。

 これを聞いて以降父親は半身不随
の身となり、一度自殺を図っている、
がこれは未遂となっている。母親は
息子の墓に行き「息子よ、帰ってきて
おくれ!」と泣き叫ぶ生活だったという。

 05年1月河北省で逮捕された男、王書金、
は10年前の事件についても自白し、その証
言が現場状況と一致し、現地調査を行い、
王が真犯人とされた。 

このことが発表されると新聞やテレビが一斉に取り上げた。
その題名は「聶は無罪で銃殺刑」と書かれている。

聶さんの故郷は石家庄市郊外にある。母の話によると「息子は友達が出来ず、いつも一人で引っ込み思案で、20歳になって総合技術訓練所で溶接の指導をしていた。恋愛の経験もない。
 10年前の9月のある日、昨晩息子の帰宅がないと思っていたら突然公安が来て”お宅の息子があることで逮捕された”とだけ告げて帰った。2,3日して公安が再び来て家捜しし息子の机の抽斗から日記を見つけて押収して帰った。家族が不思議なのは息子は日記など書いたことがない。どこから現れたのか疑問だった。そして家族は息子が何の罪か知らされないまま時が経った。家族は何か盗みでもしたのかも知れないと思い、聶の姉の結婚式も予定通り行われた。しばらくして父親が職場に行ってみると掲示板に息子が”強姦殺人罪”として掲示されているのを見た。父親は気が狂ったようになり、警察に呼ばれても書類に署名するのを拒絶した。しかし警察は”既に息子は自白している”ことを強調した。」

1ヶ月して地元新聞「石家庄日報」が”聶書武の強姦殺人罪の詳細”と言う記事を書いた。その日、法院が聶を有罪と決定した。
 半年後の4月に銃殺刑が執行された。その時母親が面会を許されたのは2分間のみだった。牢獄の中で聶は初め頭を垂れ母に背を向けていた。やがて低い声で泣き出した。母が大声で声を掛けると床に転げ回って大声で”お母さん”と言って顔中涙だらけで泣いていた。母も泣いた。それだけで2分が経ち、2人は引き離された。母は自分の足で立つことが出来ず、両脇を公安に抱えられて退出した。
 この瞬間の記憶は母にとって一生の中最も強烈な想い出となっている。

この事件を担当したのは現在70歳の弁護士、張景和で、今メディアは彼の責任を追及している。だが彼は根っからの詐欺師ではない。有名な事件も多く担当している。
 彼の家を尋ねると入り口の暖簾には「永遠の平和」と書かれている。

この弁護士の話によると、彼は聶と3回面接している。どのときも聶は免罪だと主張しなかった。
 弁護士が彼から聞いた現場状況は、「当日はとても暑い日で上司は工場内で賭け事をしていたので仕事をさぼりぶらぶらと散歩した。すると女性が自転車に乗ってやってくるのに出会った。女性を制止して”遊ぼうよ”と誘ったところ、その女性は彼より年上で”この馬鹿息子が何を言うか”と罵られた。そこで事件が起こった。」これらの自供は現場と一致している。

記者が弁護士に強制自白の可能性が無いかと聞いてみると「あの時代は強制自白が日常的に行われていた。しかし聶の身体にはそれらしい傷が見あたらなかった。しかしもし家族が疑問に思うならこの10年、何故今まで声を潜め黙っていたのか、北京へ上訴などしないのは何故か」と開き直られてしまった。
 
 人民法院の記録にも、聶が無罪だと主張したことは一度も記されていない。そして状況証拠、現場証拠、全て揃っている、としている。
 
そして今年の1月19日、他の強姦事件が起こり逮捕されたのが王書金という男。かれが10年前の他省の事件も自白した。彼の自白によると強姦2人、殺人4人、となっている。10年前臨時工として働いていたときの犯罪だという。

 3月18日、記者は王書金の家を尋ねた。王の兄、王書銀は見るからに穏やかな人だったが、しかし弟、王書金の話になると「私達親戚縁者は誰も早くあいつを銃殺刑にして欲しいと願っています」と語った。
王書金は生まれつき性格が悪く、ごろつきのように振る舞い、この10年彼と話し合った親戚は居ない、と言う。そして勉強が嫌いで兄が一生懸命に教えたが受け付けず、やがて家を飛び出した。

 公安から王書金が10年前の犯人だと知らされたとき、家族は誰もそれを疑わなかった。すぐ死刑になり、会えなくなると言われても誰も会いたいという家族はいないという。
 「親戚一同のためにも早くこの世から消えて欲しい」と言うばかり。

免罪を受けた聶の家族は息子の無罪を信じ、新しく犯人とされた王の家族はその罪を当然と考えている、両極端な差はどこから生まれてくるのか。
 
 この1週間、石家庄市には、全国からメディアが集まり雑然としている。河北省の党委員会政治組織部も調査班を作り現地に来ている。そして聶の「档案」(個人の政治成績経歴書)を取り出し埃を払って調査している。

 1998年に中国最高人民法院は「免罪事件責任追及法案」を作成した。免罪の程度が軽いものは上から下部の組織へ注意を出す。重い程度になると担当法官達が司法部門へ送られることもある。
現在当時の担当官達は首を洗っていることだろう。
 新しく聶の弁護士になった李樹亭によると国家賠償と法官追求も考えねばならないと言っている。
 
記事作成後の追書き

 ”死者は生き返らない”という厳正なる事実を考えるとき、”死刑”を宣告されても”再審請求”が可能になるような法律改正が緊急の課題ではないだろうか。これは中国ではもう何年も前から言い古されている民衆の強い要求である。表向きは上は総理から下は庶民まで誰もこれには反対していない。だがその要求の声が雷のように大きくても、その結果は小雨が降る程度で具体的な効果は出ない。

 最近の報道によると、もし再審を認めると最高裁判所の人手不足の今、その需要に応えるためには、数百人の法官を採用する必要があることになる、と書かれている。

しかし人権・人間の生命と比べそれよりも尊いものが有るだろうか。
 中国が法治国家になることが大声で叫ばれている。なのに法官の人間の数などそれほど大きな問題だろうか。
 もしこの聶事件が再審制度の実現に役立つとしたら、この事件の真犯人「王書金」でさえ社会の正義の実現に寄与したことになるのでは。


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訳者注:
 この記事には社会主義中国の特徴が一杯出てきます。

 王は農民で仕事は臨時工であること。

 ニエの工場は上司が賭け事をしている。これは計画経済の工場の様子です。全てが北京で指示するので、現場では仕事が無く誰かが休むとそれは他の人から歓迎される。

 10年前までの中国では強制自白は常時あったこと。国民の中に「敵階級が居る」と言う思想で”監視の目”で国民を見ている。
毛沢東時代は強制的に密告を奨励した。

 判決後半年で銃殺刑!
未だに人間の尊厳があまりにも軽視されている。

 真犯人が出てきて党が最初にすることが「档案」を調べること。こんな馬鹿なことが21世紀に許されるのでしょうか。档案には職場政治集会の態度などが書かれ、これを職場の党委員会が管理する。法律による査定ではないので、際めて個人的価値観で記載されることがある。
(2005年に長年中国人民を苦しめてきたこの制度が廃止されると聞いていますが)

 法官の数が足りない。これは裁判制度そのものを重要視していないこと。2002年から法官も司法試験が必要になったが、ほとんどパスできる人が出ない。(私の翻訳「舞女の法官」参照)

 でも最後の「追い書き」を訳して、やっと人間の言葉に出会ったとほっとしました。  
ニエと姉
墓前で泣く母