炭坑爆発事故、
 労働組合は何をしているのか


05/01/28 投稿 雷イ

 近年炭鉱事故が頻発し、巨大な生命の損害・財産の損失を出している。事故が起きると必ず政府の担当部門が行政的に対策を講じると声明を発する。そこには生産停止を含む安全対策を採るとしている。だがその政府の声明がまだ静まらぬ内にもう次の事故が発生している。
 この現実は事故が偶然ではないことを意味している。そこには何か必然的なものが潜んでいるはずだ。設備や技術の時代遅れ、これも事故の一つの要因ではあろう。
 聞くところによると、地元政府の成績を上げるため安全を無視したり、さらには管理部門から直接内緒で金銭を回して貰っているらしい。そして決定的とも言える第3の要因は鉱山労働者の利益を守るはずの労働組合活動が存在しないことだ。
 毎回、事故の詳細をメディアが報道するようになった。しかしどの報道にも労働組合のことには全く触れていない。
 小さな炭坑には労働組合がないこともある。そこでは現場作業労働者の地位は低く、安全や待遇を交渉することは至難の業であろう。
 だが国営の大型炭坑には全て労働組合が組織されている。だが事故の時でさえ彼ら組合の意見が登場しないのはどうしてか。
 大型国営鉱山の例として、陝西省の銅川鉱山の事故を見てみよう。

 そこの鉱山の安全水準は全国的に見ても上の方であろう。機械化は75%以上が設備され、鉱山地下にはモニター装置が設置され、地上監視室から地下全体が管理できる。

現地の鉱山で働くある人の話として、「11月23日地下で火災発生を感知。私達労働者は地下へ潜りたくないと主張した。だが監督は”明日の賃金から罰として100元差し引く。それが嫌なら出社に及ばず”、と言われた」と言う。
 当日たまたま政府当局の検査班が来ていた。彼らも火災発生現場には近づこうとしなかった。その彼らが工員に向かっては現場へ行くよう命令している。「働かないと食えないぞ」と。
 もう一人の工員は「まだ地下の火は消えないぞ。俺たちは同じ故郷の出身者として安全にやりたいものだ。俺はもうそろそろ事故が起こると思っていたのだ」ということが記事になっている。
地下通路100メートルごとにガス検知機がある。ガス濃度が基準を超えると自動的に警報を発し掘削機器の電源を止める。これまでは一日に8回ほど警報が鳴っていた。生産を維持するため、警報が鳴らないように監督は警報機の上に服をかぶせたり、または鳴ったときはすぐに再送電する処置をした。
 事故の1週間前、ガス検査要員が地下を調べ濃度が基準の10%を超え、危険であることを記録している。規定では1%を超えるとファンを回し風を坑道に送ることになっている。だが監督はこれを無視した。また二酸化炭素濃度が1.5%を超えたときは作業停止となっている。監督はこれも無視した。
 検査の翌日安全大会が開かれ検査員が恐る恐る前日の報告をした。出席者達が即生産停止を発言した。だがこの意見は無視され現場には連絡されなかった。そして悲惨な事故が起こった。
 これらの全てを労働組合の成員の誰かが知っているはずである。だが組合としては全く何もしていない。このような組合の態度は全国ほぼ似たり寄ったりであろう。労働組合が安全に関与しないのは建国以来進歩していない。
 建国直後の1950年、登子灰という人が「公営企業の中での労働組合の役割は労働者の利益を守る上で大きく、管理部門の付属機構に成り下がっては行けない」と発言し、厳しい批判を受け、追放された。そして30年後の1981年に彼の政治処分が見直された。
 だがそれから20年が経つが、それまでの伝統的となった思想・習慣は変わらず、労働組合の性格・役割の見直しは全く行われていない。
1992年、労働組合法が明文化された。
”労働組合は企業や行政の違法な行為を監視し、労働の危険作業を全力で阻止し、生産過程での危険作業を取り除き、危害の発生に取り組み、その解決に向けて発言する権利を有する。労働現場での危険を感知したときはすぐにそれを企業または行政に対策を採ることを申し込む権利がある”
 では現在頻繁に発生している鉱山災害にこの法律が生かされているだろうか。
 
 中国以外の発達した国家での災害率は中国に比べ極めて小さい。これはおそらく中国の安全方面の投資が少ないことも関係しているだろう。だが他国には労働組合の活動があることがその決定的な差ではないだろうか。
 他国では産業革命時代に資本の役割の研究が真剣に行われ、19世紀半ばから労働組合が活動を初め、法律上の権利確立に努めた。この闘いは長期に渡り、改善を積み重ねた。西欧諸国の社会的矛盾は激烈で、各階層の利益が鋭く対立した。だが、それらの対立も次第に調整され、現在では社会は安定している。

 労働組合が強くなると生産に大きく影響を与え効率を下げ、コストが高くなる、と中国の学者達は主張してきた。
 だが現実に中国の鉱山災害を見ていると、確かに一時的には組合が活動しないことで、コストを安くしているかも知れない。だがこのような災害の多発は最終的には人命と財産に多大な損害を与えているのではないだろうか。
 中国は現在社会の転換期と言われる。社会的利益がいくつもの階層に分化されつつあり、その利益の取り合いにおいても矛盾と対立が激しく成りつつある。
 これらの対立に置いては公正な協議を基本とし、利益の分配を図る必要がある。その協議の参加者の中に労働組合がしっかりと主張し地位を確立すべきではないだろうか。
 この協議に置いて一方が軟弱では平衡が失われ、利益の分配が公正に行われず、社会的生産全体の矛盾が激烈になるのではないか。
 
調和の取れた社会の建設は私達の大きな目標であり理想である。そこでは各階層が自分の利益を守るため自己を組織し、お互いを監視し、平衡を図り、助け合い、協調する。これが実現できれば、社会的弱者も問題解決の道に近づくことができる。利益の衝突・矛盾も理性的に法制度的に協議を経て解決に至る。社会的に各階層が組織されていなければ、もし利益の対立が激烈になれば群衆的騒乱が発生し、個人が天下を動かしたり、混乱を拡大し、社会不安は収まらず、動乱が続くだろう。
 歴史的事実が説明しているように、社会的組織が豊富にあり、民間社会が成熟し、文化が発展することが、社会全体の協調が生まれる基本であろう。その時労働組合が事故発生についても予防に多くの役割を発揮するだろう。

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訳者注:
 労働組合の「不必要性」について、当時の党の言い分は、”党が追求するものは人民全体の利益と一致する。人民の利益を党が先頭に立って守り向上させる。今中国は急速に社会を立て直す時で労働組合は必要ない”でした。
 おそらくこの気持ちは「嘘」ではなかったでしょう。だがこの思想は20世紀社会主義の根本であり全てを現しています。
 ”権力を集中的に握って上から人民を救う”と言う発想です。だが如何に善良な思想であろうと「上から救う」という考えは独裁以外の何ものでもありません。それが20世紀の社会主義の崩壊で証明されました。
 権利や民主主義というものは上から与えられるような性質ではないし、簡単なものではないし、軽いものではないのでしょう。

 だが中国は社会主義を建設すると言う名目で、個人の権利を極端に抑圧してきました。大衆自身も一時的にマルクス主義を信じ、その理解・勉強に死力を尽くしました。勉強しそれを実践すればするほど中国全体が崩壊の速度を速めました。

 国民の認識が遅れていることを前提に、党は毎週職場集会を開いて教育しました。それは上から教えてやる思想でした。党の「先進理論」は80年代に入ると大衆に馬鹿にされるように時代遅れとなっていました。
 1990年代初めに中国人の女性が建国後中国では全く息をするのにも音を立ててはいけないような窒息状態で人々が生きていることを記録し「ワイルドスワン」として発表しました。そして、この小説が数年間世界的規模でベストセラーになりました。
 建国後の30年間、中国に人権があったでしょうか。民主主義が有ったでしょうか。これに反論する人はいないでしょう。ただこの事実を知ったのは日本では、1980年代末のことだったと思います。

 これまでの社会主義は権力を集中し上から人民を救うと言う思想で成り立っています。その独善的性格、独裁的構造が崩壊の必然性と悲惨な社会をもたらしたのでしょう。
 ついでに言うならば「計画経済」も上から押しつける発想です。「司法の独立が必要ない」というのも上から押しつける発想でしょう。「上から与える」、と言う発想が全てに充満しています。
 将来人類が経済に「計画性」が必要と考えたときも、これまでの社会主義とは違った、少なくとも中央集権ではないでしょう。
 
  私が大連で出会った青年が「中国ではこれまで政府と対立するような運動は一つもなかった」と、とても残念な顔で言いました。
 この一言のとても重要な意味を当時の私は理解できませんでした。それほど1党独裁というものが全てを抑圧できるとは思えなかったからです。でもこうして翻訳を続ける内に、中国の建国以後の歴史を知り、マイナス面が社会のどの面にも強烈に残っているのを知って少しずつ納得しているところです。
 あの青年はオーストラリアへ行って以降、1度だけメールをくれてそれ以来連絡がありません。生きているのかなぁ。