統計ごまかしの「病原」

05/05/19 南方週末 汪金友

  最近湖北省で2個の統計ごまかしが発見された。1つは黄梅県の統計局03年度工業生産高4.2億元、04年度倒産企業の生産高1.5億元。
 その2は漢川市の04年度私営企業の収入が実際は10億元を上部への報告を8000元としている。

 国家統計局の局長の李徳水氏の紹介によると、01年度から03年度にかけての全国統計では、「ごまかし、偽造、膨らまし」などが全体の60%を占めている。「この傾向は建国以来の歴史的頑固な病気で、普遍的なものだ」という。

 統計のごまかしについては中国人なら誰もそのニュース性に興味を示さないだろう。なぜなら中国全体に「何処にでも、いつでも」有るからである。だから今回の発見も真実のほんの一部と思われている。

 官僚機構の上部の人さえ「何事もなく、平安に」扱うことを良しとし、「ごまかしも一つの技術」と見なしており、「ごまかしは有効である」と言う考えが、「官の上から下まで」しみ通っている。

李徳水氏の言葉を借りるまでもなく「ごまかし」は「官の病」であり、「社会病」とも言える。
 ではこの病原はどこから発生しているのか。「内部」から、それとも「外部」からか。それは「組織の上部」からか、それとも「下から」なのか。

実際の統計を例に見てみよう。

上記の黄梅県の場合、上部がこの県に命令した生産高は23億元である。この額は「県の人民代表大会」でも確認された数字である。年度末になって真の統計は19億元を示した。4億元が不足している。もしこの数字を正確に上部へ報告すればどうなるか。
党書記や県長は大きく批判され、指弾され、場合に依れば免職もあり得る。そこで統計局長と相談がされ、外面には「問題が見えないようにする」のが普通である、と言うことになった。そして普通にされた。これは馬鹿でない限り誰もそうするだろう。重要なのは「円満解決」である。

 私営企業の生産高に付いてみると、第1人者の県長の時には、3億元の収入を5億元に膨らました。だが県長が変わり第2の県長を迎えて、その額は6億に膨らまされた。第3の県長になって8億元に膨らまされた。たった3年の間に「ごまかし」と「ふくらまし」の手加減で塗り上げられていった。
 ある人は何故第2,第3の県長が水増しする必要がったのか、と問うた。
 勿論そこにも独特の「理屈」がある。「後からの担任者は前任者を尊重する」のが、良いこととされている。これは「官」の場では絶対守られるべきものだ。普通、前任者は後任者の上に立つ。前任者を立てなくては後任者は絶対上に上がれない。
 
さらにもう一つの理由。
 県下の個々の部局で、統計担当者がそれぞれ1億元の蒸かしをすれば、それを纏める県全体では20億元くらいのふくらましが合計に現れる。つまり各部局長自身はあまり「ごまかし」の利益が出ないが、県長に取ってみれば、この風潮は大きな功績を生む。
 つまりこの風潮を暗黙に温存することが、組織のトップにいる者にとって「とても大切な習慣」となっている。
 県長がこの”ごまかし”で昇進すれば当然その下にも昇進が生まれるだろう、と期待するのが人間の子であろう。
 ただし、このことでもし問題が発見されれば、上は責任を問われず、下のみが責任を取ることになっている。

 中国の如何なる地方でも官のトップは常に下に対して「数字を良く調べよ」と命じる。これは「数字を事実通りに」調べることを意味していない。そこが大事だ。「ごまかす」ことが必要かどうかを考えて「数字を良く見る」ことが求められている。
 
 そしてこれらの「ごまかし」が有る限り、本当の正しい目標を創ることが出来るだろうか。中国のこの巨大な病原を絶つには、どうしてもトップの”考え直し”が求められるだろう。

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 訳者注:

 現在中国に進出している外国企業はこの統計ごまかしで毎日頭が痛いことでしょう。勿論どの企業も中国の「ごまかし」を普通のこととして知っています。しかし有る程度は政府の発表を一応は見なければ話にならないでしょう。
 しかしこの例のように実際の2倍3倍となると統計と言えるのかどうか。

 最も中国の歴史で悲惨な事例は1959年の大躍進の時でしょう。毛沢東の出身地だけで1千万人の餓死者が出たと言う報告が北京に来ていながら、しかしその後各省からきた米麦収穫高の統計は前年を上回っていました。
(現在の教科書では巨大な減産に訂正されています。)
 勿論毛沢東も官のデタラメを知っていたでしょう。しかしこの時のごまかしは歴史に残るでしょう。
 
 そして問題は数字のごまかしだけではないことです。現在の中国の高度成長を物質的に裏付けるため、官達が市民を追い出して土地価格の吊り上げをしてGDPを膨らましていることが幾つか翻訳に登場しています。
これで統計の土台を膨らましているのです。

 何故このような非人間的なことが可能なのか、勿論根本的には「1党独裁」です。人権が無いこと、民主主義がないこと、です。

 具体的に中国の政治を見ると、もっと良く分かります。それは党組織は全ての人を順序づけていることです。北京の最高府は順列が決まっています。各地方の指導者達も順列が決まっています。各地方は北京の指導に絶対的に従います。
 そして「下級は上級を批判してはいけない」、この原則と機構が中国の建国後の経済的・科学的・民主主義、或いは道徳などの発展を抑止してきたのでしょう。

 この思想体系は、上の人が偉く、下の人が指導されないと正しい選択が出来ない、と言う考えです。
 このような人間に序列を作ることが「何のために、誰のために政治を行うか」が忘れられている基本的な構造でしょう。
 常に一級上の人に責任を取り、下の人には簡単に人権を無視する政治・文化が牢固として生きています。

 ただ、よくもこのような社会主義国家の基本的欠陥を新聞に書けたものです。
 この記事も歴史に残るのではないでしょうか。
そして結論は、「ごまかし」の病原を絶つには、「上の人の考え直し」が必要と書いていますが、それだけで直るものかどうか。