2.5億の農民出稼ぎ者
に養老保険を



055/02/24 南方週末 何海寧

有る私企業の会社が全国調査を行い、
題記のような結論を出した。
 現在改革の必要がが叫ばれてはい
るが、このような保険があってこそ初
めて社会は安定的に発展が可能と結
論付けている。

 これは重慶市の企業家で、政治協商会議の副主席でもある、「馮秀乾」と言う人が、個人の財産提供で行った全国調査の結果である。3月に開始される「全国政治協商会議」に提案される。

 現在中国中西部の農民達が大量に東海岸に押し寄せ、臨時工として働いている。
 一例として、李群さんは03年春、旧正月明けにすぐ農村を離れ広東省の中山ランプ工場で2ヶ月働いた。彼女は養老保険に入る金はない。「出稼ぎ者は誰だってそのようなことは出来ない」と言う。
彼女は同じ省のガラス工場に移った。月収は月に400元。会社は月に70元の養老保険に入るように勧める。だが彼女はそれを断った。しかしその工場では出稼者は全員保険に入っていた。

       訳注:東海岸の都市の住民(農民をのぞく)
           の平均収入は1200元ほど。

 そして彼等が退職するとき保険金から払い戻しを受けていた。実際彼女は二人の農民が退職し、各人650元と1000元を受け取るのを見た。彼等保険の払い戻しを受けた農民達の考えは、一時金が入ることだけを楽しみにしていて、その後の「万一の保険」については毛頭考えない。実際一時金を貰うとすぐに使い果たすのが農民達の現実であった。

 若く元気な間に一度都会へ出、やがて農地に戻り「1畝3分」の土地で働く。これが平均である。農村へ帰らない農民もいる。彼等は都会の住民として生きていくことは出来ず、「固定収入のない、住所不定の住民」として都会の周辺を彷徨う。その中には社会の不安定要素として、脅迫などの行為に走る人も居る。
 李群は数億農民の一つの実例である。

 当局の統計に寄れば、中国の農民出稼ぎ者の数は毎年増加している。
 1994年に6000万人
 2000年に8840万人
 2003年に1億1400万人 に昇る。
 馮秀乾によれば、農村の近郷で働いている人も含めればその数は「2.5億人」に達するという。
 この膨大な数字に含まれる人達は誰も社会保険の範疇には含まれない。
 馮さんは江蘇省、広東省などの工場を尋ねたが何処も農民には保険を掛けていない。
 農民達はバラバラとやってきて、いつの間にか去って行く。その生活の中には「福利」と言う恩恵を受けたことが無く、そのような言葉さえ知らないことが多い。
 馮さんの考えでは、このままでは「農村の発展」とか「農民の豊かな生活」と言う言葉はいつになっても実現しないだろうという。
 この調査を徹底するために馮さんは3名の調査員を雇った。
 最初は中国西部の四川省から出発し、重慶、貴州の農民達を家庭訪問、アンケート方式や座談会方式などを使って調査した。
 また次に中国東海岸の「浙江省、上海、江蘇、広東」等の工場を回り調査した。
こうして8省の20都市村、14731人、2万件の調査資料が出来上がった。
 「出稼ぎ農民養老保険調査」という。
この調査資料を見た人は誰も強いショックを受けるという。

 一 歩 外 は 地 獄

 出稼ぎ先の江蘇、上海、広東などの省や市は工場に対し「農民を保険に入れるべき」と指導している。しかしほとんどの企業はこれを無視している。同時に農民自身も保険に入ることを嫌がっている。
 企業の80%が保険を無視し、農民の83%が保険に入ることを嫌がり、90%が拒否している。
 中国の法律では企業は保険の費用を半分以上負担し、従業員が一部を負担することを求めている。だが実際は当局の強力な指導があるときのみ企業は仕方なく保険の一部を払っている。
 最大の障害は農民が流動し他省へ動くことで、保険の管理継続が一度消えてしまうことである。
 調査に寄れば農民の移動は激しく、その72%が2個以上の省に移っている。都会へ出て3年以内に他の企業に移る者は67%で、平均で1年に3個の企業に移っている。
 中国国家で決めている政策では農民は15年働けば養老保険が出ることとしている。
 だが実際には転職の度に保険期間が消えている。中には企業負担部分の保険費用を直接農民個人に与え、保険としての義務を果たしているのか放棄しているのか解らない企業も多い。
 農民にとって見れば転職するときは保険として継続するよりも、退職時に支払いを受けた方が目に見えて利があると受け取られている。このため15年という期間は農民にとって長すぎて、歳と共に保険とは無縁になって行く。

 農民の平均収入は月に1000元以下で、法律ではその土地ごとに労働者全体の平均収入を計算し、それに基づいて保険料を決める。だがこの方式では農民にとって極めて不利で、とても受け入れがたいのが実際だ。

 農民達はこれまで養老保険の恩恵を受けた人はなく、また相互扶助の伝統も消えつつある。
 調査では農村の家庭は何処も一人っ子で、同時に3ないし4人の親を抱えている。この形は時代と共に標準となっている。また農民の中の相当数が「請負」の土地を持っていない。これは農村の21%になる。これでは農村の「子供を育て年寄りを養う」、「土地が老人を養う」という伝統の相互扶助が成り立たない。

理 想 は ど こ に

 馮さんも農民出身である。彼は農村を豊かにするには土地を集中し共同管理し、機械化することが必要と考えている。だが実際は土地は細かく分散され、その小さな土地で必死に農民が素手で耕作しているのが現実である。 農民が都会へ出てもこの土地の分散形式は何も変わっていない。農民達は年を取ると将来の補償がないので、都会へ出て働いても最終的には農地に戻らざるを得ず、土地だけが命の元、と言う考えは変っていない。
 78%の農民が「将来は土地だけが頼り」と答えている。
 出稼ぎ農民の土地を借り受けて大土地耕作をする者も出ているが、彼等は土地を所有できず国家から「請負」形式でしか借りられないので、現在管理している大土地を効率的に集中的に機械的に耕作する考えは皆無だ。
思い切って農民に土地を放棄させ、土地を集中管理できることを可能にし、こうすれば農業の工業化が可能で、社会主義の現代化が可能ではないか。

 東側へ出稼ぎに出かけた農民が、一律に保険料を払うとすると、企業負担は一人あたり年間3600元で、これが有る出かけ先の県では農民が10万人来ているので34億元となるが、実際は農民は転職が激しく保険の資格権限が無く保険を受け取れないので、東側の都市の保険部門の口座に残っていく。これではいつまでも東西の格差は広がりはしても縮まらない。
 馮さんは全国統一方式の保険制度が即時実施されることを望んでいる。全国統一方式で合理的な社会保険制度がいつ出来るのか。
 これは統一的に考えれば机上ではすぐに解決できる。農民一人の保険料が180元として、全国で2.5億人、1年で5000億元集まり、10年後農民が帰省する頃には5万億元を軽く超え、利息などを考慮すればさらに保険制度は確実に実現できる。こう、馮さんは考えるが、そのためには全国に存在する「人民銀行」の様な機構が必要で、全国統一方式の管理が必要で、国家の税部門が管理し、地方財政に委ねなければ、地方政府も協力できるのではないか。
 現在西部では経済水準が低く、そこでの保険と東側の地方の保険ではあまりにも格差が大きい。これを全国一律の方式にすれば、農民は一つのカードでいくつの省にも移動でき転職も問題が無くなる。
 この計画の実現は数億の農民の最も切実な要求であるはずだと、馮さんは言う。実現には時間が掛かるだけの問題ではとも言う。 

 また調査は実現途中の方式として中間方式も提案している。農民が農村にいるときから保険に入れるようにしたり、保険を転売したり、土地請負制度では、農民個人の請負土地を市場取引可能とする案などである。

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 訳者注:
 ここに書かれているのは、出稼ぎ状態のことで、農村には保険制度はない。都会の住民の保険制度は数年前から行政公務員を中心に始まっている。 

 1999年10月、建国50周年の時、テレビでは農民が背よりも高い豊作に囲まれ、機械で耕作している場面が登場し、傍にいた中国人が「あれ!中国も大規模機械農業出現かな」とビックリしました。あの映像は何処で創ったのでしょうか。その中国人とは有る有名な大学教授です。つまり中国人自身が、農民を極めて差別された存在として公認しているようです。
 
 一般の新聞にも農民の生活は確実に成長している、等と書いている時もあります。つまりマスコミという「公器」が平気で農民を無視している。

 それにしてもこのような調査が個人の力で行われていることが、中国社会主義の現実を現しているのではないでしょうか。つまり国家の力を上げて農民の生活を向上させる意図も組織も完全に欠陥していると言うことでしょう。 
 それだけではなくて、党は権力を使って農民から一層の収奪をしている事件がこれまでも幾つもありました。
「上から民主主義が降りてこない」と言うことでしょうか。 

 全国統一方式で保険制度が何故無かったか。これは中国も社会主義を始めたとき、ソ連を真似て「ソビエト」思想を取り入れたからでしょうか。「ソビエト」は職場単位で生活全ての管理を行う方式です。その単位は数万から十数万人を抱えることがあります。これは現在でも中国の何処にでも残っています。(柵で仕切っているところもあります)
 農村もこの方式で始まりました。そしてそこでの生産を北京の中央で全て指示するのが、計画経済でした。この方式が100年前には資本主義よりも「科学的で進んでいる」と強調した時代がありました。北京で指示する方式と言いながら、実際は目が届かず、地方に委ね、工場に委ね、指導が無くなり、しかし地方から、個人からは発言権が無く、(地方の成績を上げるための嘘ばかりを北京へ送る)、その結果、傲慢で無責任な社会主義体質だけが残ることとなっています。
 全体と個々の組織の在り方が、また人権と国家の在り方が、人類史上最も不完全な方式がこれまでのマルクス主義的社会主義ではないでしょうか。
 その方式が破綻して「改革開放」が始まったことになっていますが、しかし権力を持った党はこれまでの旧態依然の社会(数百年から1千年昔)にしがみついている、これが現実でしょう。