外国帰り、この百年


05/04/14 南方週末 薫書華

 外国帰りで政治に参加した人は数多い。特にこの百年の外国帰りの留学生達が歴史に名を残した人が多い。

 外国帰りによって中国の近代現代史は統治されてきたとさえ言える。
1847年、アメリカのイエール大学に学んだ容廣は帰国後清国の重臣として李鴻章と共に国を治めた。
 1872年8月に幼少の学童達が上海から船に乗って渡米し、蒸気機関車に乗り、またイングランドにも行き、15年の留学生活を送った。だが彼等は8年後には清朝が終焉していて突然の帰国となった人もいる。
 だが彼等の多くが帰国後朝廷の重臣となり、工業・鉄道・電報業などの先覚者となった。
 また現在の精華大学・天津大学等の校長ともなり、中国最初の外交官も出た。中華民国の総理もその中から出た。
 
1877年に第2の留学生達約100人が送られた。彼等は帰国後海軍の指導者となった。94年の黄海海戦で殉職した人もいる。 以降留学の流れは止まらず、帰国後中国歴史の命運を握った。

 20世紀になると清朝はその末期的状態を抜け出すため、官費や公費で日本へ送った。或いは自費で日本へ渡る人も増えた。その10年間に日本に渡った人の数は5万人を超える。彼等のほとんどは帰国後革命に命を捧げた。清朝の留学生達が清朝の墓堀人ともなった。
 1905年孫文が東京にて「同盟」を結成し、日本にいた 留学生達がそれに参加した。帰国後辛亥革命を起こし清朝を倒す中心となった。
 
 初期の中華民国はその中心は帰国者達で占められた。孫文の内閣で18名の部長と15の副部長は彼等である。

 1912年から28年にかけて32回も内閣が交代した。その内4から5割はいつも帰国者達だった。20年代の外交部長はいつも欧米帰りの学生だった。

 1909年に第4次の大量の幼少の留学生が送られたが、彼等の多くが帰国後現代科学の重鎮となっている。
 国民党時代、欧米や日本へ行った学生は帰国後外交部門を担当している。外交部の重要職員86人中73人が帰国者である。
 198名の国民党トップの内88人が帰国者である。銀行や財政部長もほとんど帰国者である。

 1920年代の第5次の流れの学生達は帰国後共産党の運動に参加し、新中国建国の支柱となった。

 1921年成立した党大会は出席者の12名の内8人が帰国者である。新中国の10の元帥達の内6名が帰国者である。

 文革時代は留学の流れは中断したが、50年代にソ連へ行った江沢民。李鵬などが改革開放を成し遂げた。

 1973年、文革の半ば、周恩来首相が音頭を取って留学生を西欧へ送り出した。彼等が現在外交部長や外国貿易部長を担当している。

 1978年、改革開放が高唱され、と小平はフランスとソ連に行っていた経験から、「留学生を送り出すことは極めて重要だ。特に自然科学の方面では5年でその成果が現れる。その数は多いほどよい。千人・万人の単位で送りだすべきだ。10人やそこらでは話にならない」と力説した。
 中国は現在歴史上最大の開放の時期を迎えている。最大規模の留学生が送られて当然だろう。

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訳者注:
 私が大連にいた時、中国学生達の誰もが外国へ行きたがった。日本へ行ってお金儲けだけを考える人も居た。
 ただ、私の経験では日本を目指した人と、欧米を目指した人とはずいぶん性格(?)が違った。
 日本へ行きたい人はかなり政府に洗脳されていた。日本の侵略史を極度に意識していた。だが欧米行きを目指していた人達は、すでに党の独裁をはっきりと批判していた。何故そんな違いが出たのか私には分からない。

 ただし日本へ来た人達のほとんどは1年すると中国の独裁を批判するように変わっていく。これは日本の何処に行った学生も同じのようだ。

 そして中国内ではあれほど帰国後は祖国に報いたいと言っていた人達が、帰国を願わず、出来れば日本で就職したいという風に変わっていく、これはどうしてか。
 たぶんこの記事の昔の中国学生達との最大の違いはここにあるでしょう。

 話が変わりますが、この連休私はアメリカへ行く機会がありました。その帰りの飛行機の中で両隣の若者は共に台湾の人でした。
 一人は男子でアメリカで働いていました。もう一人は女性で、台湾の学校を卒業後オーストラリアへ行き英語を勉強し、現在アメリカでホテルの経営の勉強をしていました。
 2人とも実に素直な性格で意欲的で頼もしい若者でした。
 彼等は台湾語と中国語と英語を話します。
私が年長者なので特に親切に応じてくれたのでしょうか、会ったことが気持ちよいものでした。
 台湾人が何故子供達を世界へ送り出すかは、私の日記で書いて起きましたが、それが生き残る重要な選択肢なのです。
 女性の方に「台湾の独立を望むか」と尋ねると、素直に大きく頷いていました。

 日本の学生も現在は数多く外国に行っています。それがどのように効果が現れるのか、皆さんは如何に考えますか。
 ついでに言うと、グランドキャニオンへ行った時は日本人観光客が全体の3割ほども居たのではないでしょうか。現地の会社の受付も日本人でした。それだけ今は行こうと思えば行きやすくなった時代とも言えるのでしょう。
 
で、日本の政治家で外国帰りの人は居るのでしょうか、私は知りません。もう少し外国のことを考えて国際的に、特に東南アジアと仲良くやっていただきたいと私は思っています。
 でも中国ほど海外組が活躍する国は珍しいのではないでしょうか。それは明らかに国が遅れているからです。閉鎖的、閉塞状態だからでは。