代用教員の辛苦が人々を感動させている

05/11/03 南方週末 王轍庶




 代用教員(中国での正式名称は代課教師)またの名を”民間教師”とも言う。
 政府が義務教育の完成に向けて努力する中、東部では”代用教員”は見られなくなりつつある。しかし中国の西部でのその数は膨大なものになる。

 記者達は各地の県の書記と一緒に採訪して回ったが、代用教師達の努力と貧困には全く頭が下がる思いで、西部地帯教育の主柱をなしていることが解った。
 100年前、満清時代の重臣が「西部地帯の義務教育の実現を妨げているのは教師の不足にある」と絶望的に叫んだが、このことは現在も全く変わっていない。

 甘粛省謂源県書記長、李迎新は「当地代用教員の実態」と言う調査資料を作成し中央の国家教育部へ送った。その後毎朝彼は中央からの返信を期待してポストを覗く。
 7月28日、地元新聞がこの原稿の全文を掲載してくれた。
それによると、当県の代用教員の月収は40元から80元である。その極端な低額で20年間働いている先生もいる。

 1984年に出来た教育法で、それまで実質的に農村の教育を行っていた”民間教師”は廃止されることになった。しかし実際は教師になる人が現れず昔の状態が相変わらず続いている。
 
 1990年代にこの問題は経済の発達と共に広く論じられるようになり、東部では次第に姿を消して行った。
 先述した県の副書記長は当地の代用教員の事を考えると涙なしには語れないと言う。
彼はこの職に就く前は西北師範大学の宣伝部長で、教育の現場に長年居た。

 この調査によると、有る小学校の8人の教師の内半分以上が代用教員である。その内の一人王政明という代用教員は62才で顔は皺だらけ、背が曲がっており、見れば直ぐ実直な農夫であることが解る。
 その王政明は書記長に向かって「村の全ての子供は私の教え子だ。その父母も私が教えた。その両親も又私が教えたかも」と言う。 王さんが代用教員になった1958年、当学校には先生は彼一人だった。
 書記長が「不思議だなあ、1984年までは政府の政策により他の仕事に就いていたのでは」と聞くと、王さんは笑いながら「そのチャンスが無くてね」と言う。

 王さんが教師になった頃学校の周囲には狼が出没した。昼間は教室に行き夜は学校に寝泊まりして守った。暇を見つけて畑仕事もした。時々正規の教員が来たが直ぐに帰ってしまった。 
 1984年に教育法が出来て正規の教員が現れ”民間教員”だった王さんは退職した。翌年その正規の教師達は揃って居なくなった。そこで王さんが戻ることになった。それから20年があっという間に過ぎていった。この間の月収は40元で、今も変わらない。
 10年ほどして二人の子供を学校へやるためのお金に困った。彼が持っていた土地13アールほどの収入で努力してみた。畑仕事は妻に任し彼は代用教員で頑張った。その家計を助けるために娘は義務教育を途中退学した。
 これらの話をするとき王さんの顔には涙が溢れ止まらない。王さんは自分の一生は正しかったと思っている。その理由は彼が教えた多くの子供の中から76人が大学を出ていることにある。
夏と冬休みに生徒が学校から消えると王さんは毎日が寂しいと感じる様になった。

 党書記長の李迎新さんの父も解放前は戦場で戦ったが建国後は民間教師になって村で教えた。李さんが大きくなって大学へ行きたいと親に言った。だが当時の月収は10元ほどで、如何ともしがたく、親は教員を止めて他の仕事に就いた。李さんが卒業したので親は再び村の教員に戻ろうとしたら、もう資格はないと言われ希望は叶えられなかった。
この話をするとき李さんは親の苦労を想い出すのだろうか目が赤く濡れていた。
 その李さんが62才の王教師に向かって「貴方も良い歳になって、まだ教師として働きたいですか」と聞くと、王さんは「他の仕事はこの年齢では無理でしょう。教師に馴れているし、家でぶらぶらするのも嫌だし、他に変わってくれる先生が居るわけでも無し。
・・・。もう今となっては子供が大きくなってお金も必要ないし。私が子供の頃親が貧しく学校は途中退学した。それで自分の子供は学校に行かせたかったが。」
 ここまで言って今度は王さんが涙をぽろぽろ流している。
 窓の外には授業が終わった子供達が元気に走りながら帰宅するのが見える。
 代用教師にとって最も耐え難い日は給料日である。ほんの端金を手渡されるとき、言うに言われぬ苦しみと屈辱感が身体を包む。
代用教員が自分の子供を高校以上に上げたいと考えたとき、それは大変な苦しみとなる。

 李書記はそこで政府に提出した報告書に「どの村を見ても最も貧しいのはその村で働く代用教員だ」と書いた。

 羅家磨村の小学校では教師の半分が代用教員だ。そこの李建新と言う代用教員の場合、1984年まで民間教員とした働いていた。その後義務教育法が出来、正規の教員の月収は1200元と決められたが彼は代用なので月40元のままだ。昨年大学の通信教育で資格を取ったが月収は80元に上がっただけだ。

 彼はこれまで県や村の”優秀教師”賞を何度も貰っている。家には昨年受賞した「優秀教師」の表彰状が掛かっている。

 以前のこと、彼が教えた生徒が大学へ上がる話が来て祝賀会に出席している。だがお金がないので、祝い金として5元だけ包んでいる。
 今年も村から朱艶霞という娘が大学に受かった。そこで彼はお祝いの会に出た。するとその娘は顔中に涙を流し感謝の言葉を述べた。それを見て彼はこれまでの苦労が報われた気持ちになったという。
 だがこのような精神的満足はあくまで精神的なっもので、生活の窮迫は厳然と続く。
 
 現在彼には二人の子供が居て中学へ行きたいと行っている。しかし年間の学費は一人3000元で、彼の収入80元では遣り繰りの着けようがない。そこで頼るのが12畝の田畑だ。この10年間娘達に新しい服を買ってやったことがない。
 子供達の服は全て人から貰ったものだ。
 学校では生徒から1週間の授業料として6元徴収している。彼の男の子は成績が良く、全国の化学試験というのを受けて、省では1番になった。この知らせを受けて親の彼は喜びと苦しみが一度に押し寄せた。多分息子は大学を受験したいだろう。でもその金はどこから出すのか。

 県の副書記長は彼に向かって「どうして今の仕事にこだわるのか。外へ出て臨時工の仕事を探しては如何か」と聞いたことがある。彼の答えは「何時か国家が私達の苦労に気付いてくれると、この20年間信じてきました。今は私も40才になります。私の元気な青春は疾うに過ぎてしまいました。今都会へ出ても、もう臨時工としての仕事がないでしょう。」

 他の村の廟君安という人の場合、その悩みは一層深刻だ。彼の息子は現在大学に行っている。そこの授業料は年5千元ほどか掛かる。彼は既に他人から2万元の借金をしている。
 彼に党書記が「もし将来返せなかったらどうする積もりだ」と聞いた。彼の答えは「実際の所、ああ、見込みがないんです」と顔中苦痛を現して答えたという。

 これらの話が書記の報告に書かれ、それが地元新聞に掲載された。
 その新聞を買った人達は誰もが涙を流して読んだ。省全体が泣いた。そして代用教員を見た人達は「先生だ、先生だ」と頭を下げ、「救助の必要な先生だ」と叫んだ。」

 この新聞を読んだ人達の中に寄付や金銭と物質的援助を申し込む人が出てきた。
 人々は書記の報告書が”事実を天下に明らかにした”として歓迎している。
 記者が代用教員に対し幾らの報酬を渡せばよいのでしょうか、と書記に聞いてみると、「こちらの調べでは月に400元程度でしょう」と言う返事が来た。

 西部地区では上記のような代用教師達で教育が維持されているが、この問題は教師の結婚と直接関係している。西部地区では嫁を貰うとき1万元から2万元のお金を包む。だが代用教師は年収が500元程度だ。つまり西部の代用教員は全員独身となる。
 劉という代用教員の場合、彼は既に32才だが、お見合いをすると彼が代用教員だと言うことが解り、女性側が直ぐに拒否の返事をしてくる。「月40元で女を養えますか、それとも女が貴方を養うのですか」と明確に聞いてくる女性もいるという。
 そこで彼は通信教育で資格を取った。そのために3000元の借金が出来た。だが、彼は言う、「ああ、何時になったら返せるか。私達は学校では正式の教師ではありません。村では正式の農民ではありません。では自分は一帯何者でしょうか」と。

 又ある代用教員の王維宏という人の場合、現在39才だが、彼も当地区の教育の中心担当者として働いている。(彼が居ないと学校が成り立たない)
 だが毎日の生活は苦悩が増すばかりだ。そこで出来るだけ早く他省へ綿花摘みに出かけるか、或いは私立学校の先生になる方法を考えているという。
 
 その王維宏さんの友達の陳廉儒という人の場合、彼は高校3年の国語の代用教師だったが、数年前に有る私立中学から月2400元で招聘を受けた。それまでの赤貧生活が一度に変化して既に全ての借金を返してしまった。
 さらに大きな家も建てた。そしてその噂が若者の間に急速に広まっているらしい。

 西北の北賽地方で正規教師が101人、代用教師が54人居る。3つの学校では教師が一人で、少し人里離れれば、そこは代用教師だけとなっている。その地方のある学校長は「この地方で代用教師が居なくなれば、教育現場崩壊となります」と言っている。そこでその校長の場合毎学期の始めに学校の費用を削っておいて、代用教師に50キロの小麦粉を差し出し「子供達を宜しく」と心を込めてお願いし、それが代用教師達の移動を食い止めているという。
 
記者がこの地方の学校長を訪ね歩いて解ったことは、彼等校長の心は代用教師達が仕事を何時投げ出すか考えて不安が一杯だという。「正規教師は1日40元で、代用教師は1ヶ月40元である。その差はあまりにも酷い。こんな事が社会にあってはならないことだ」と、どの校長も考えている。
 ある校長は毎年の始めに、新学期に確実に学校へ来て貰うために土産物を持って各代用教師の家を回り挨拶をしているという。
 それらの学校では代用教師が足らず、小学校卒や中卒の子供を代用教師にしているところもある。

 根本的解決があるのか

 代用教師は社会の最大の弱者である。彼等は農村でも最下層の身分である。その収入では自分の生活を維持することも出来ない。「人間の尊厳」を犯している。現在党大会で「3農問題」として農民の待遇改善が議論されたが、代用教師の存在は農民問題の第1に位置するだろう。
 
 新華社の調査によると甘粛省では代用教師が3万2千人いる。これは小学校教師の28%だ。西北大学の王嘉毅教授に依れば、西北12省で50.6万人の代用教師が居るという。全体の28%に当たる。
 何故代行教師の待遇がかくも低劣なのか、地方財政が何故全く補助できないのか、地方の党書記長でさえ「お手上げ」と考えているのか。
 
 例えば有る県の財政収入は全体で2000万元、そこには5000名の教師と公務員が居る(その内教師は3000名)。これだけで彼等1ヶ月の月収だけで消えていく勘定だ。これだけを見ても地方政府の財政では解決不可能なのだ。国家の給付無くしては解決できない。

 甘粛省は中国全体で下から8番目の貧しい省で、その省内には88の県があり、その半分が財政赤字で、60の県が国家から補助を受けている。
有る県では財政支出の80%が教育関係で消えている。もし代用教師を人並みに待遇すれば、他の公共工事は不可能となる。
 代用教師達が経済面の改善を求めて討論会をしたことがあるが、地元政府の懐を知って討議は途中消えとなっている。


党書記の李迎新さんが大学の同期生達と一席設けたことがある。

 彼は同期生達が誰も農村の代用教師のことを知らないので思わずうわずった声で叫んだものだ。
 「君たちは代用教師が1ヶ月40元というのを知っているか。農村教育は瀕死なのを知っているか」ここまで話して彼の心は激動してきた。「我々の目の前にあるこの料理の大皿、おそらく一皿3・400元はするでしょう。これは正に代用教師にとっては1年間の収入だ」とここまで話して彼は涙が止まらなくなり、しばらく息を止めて黙ってしまった。

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  代用教師の問題解決に向けて
              (同じ紙面です)
記者 劉剣峰

 代用教師の低賃金とその待遇の粗末さは聞く人を驚かせる。しかし甘粛省などのように貧しい地方では今でも教育事業の中心を代用教員が背負っている。
 それは言い換えれば義務教育制度がまだ実現していないことを雄弁に物語る。
 当然のこと、その待遇を嫌って学校教育そのものが消えている地方もある。

 西北師範大学の副校長、王嘉毅教授によると、中国西部の12の省には50万人の代用教師が居る。一人の教師が20人の生徒を教えているとして計算すれば全体で1000万人の農村の子供が代用教員で教育を受けていることになる。
 同教授の話によると、当面即時に全面解決は無理であろうが、先ずその待遇の改善が必要ではないか、と提案している。
 甘粛省では農村の教育現場にいる代用教員に対し待遇改善策を取り上げている。そのことで資質の良い教師が現れるのを待つという計画だ。さらに代用教師の再教育制度も考慮中である。
 勿論この実現には省政府の予算が必要だ。現在同省には代用教員が3.2万人いるので一人1万元の年収を求めれば合計3.2億元が必要となる。このような大きな予算は同省には不可能と言うが、だが根本的な問題を提出していると言える。

 もう一つの解決方法は中央政府と地方政府が半分出資して、民間からの寄付金を募集する方法も検討されている。このような方法で問題解決を目ざすことが、現代の中国農業問題の一つの解決に繋がるだろう。

 「現代教育報」によると、昨年度の中国代用教員の全体数は60万人という。もし各教師に年1万元を支給すると計算すれば60億元が必要になる。
 現在都市と農村との教育格差は広がるばかりで、全国統一的義務教育を均衡して実施することの必要性が議論されている。
 
 農村教育に当たる人達に「国家公務員」としての待遇を与える、この必要性が一部で論じられてはいるが今まではこのような予算が組まれたことはなかった。もしこれが実現すると、都市と農村間の平等な教育機会実現ということになる。
 これはこの社会に科学発展の基礎を与え、国民相互の協調的雰囲気を作り出すだろう。公平と平等の観念が生まれる。このように甘粛省の報告書は提案している。
 
アメリカ、フランス、ドイツ、日本などの国は義務教育を始める段階では予算を地方政府に依存しようとした。だがそれが実現困難と解って次第に中央政府負担と変わってきている。
 これを見て甘粛省政府の報告書は、地方と中央の比例分担を提案している。もし人件費が中央政府負担となれば、教師は安心して教育に当たれる。ただし教室などの施設費用負担は地方政府の負担となるかも知れない。
 これらが相対的に上手く対策されれば、60万人の代用教員と1200万人の農村子供の福祉が解決されることになる。それが中国全体の”福祉社会”実現の主発点となろう。
 

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訳者注:
 月40元。これは単に教育者への差別ではなく、人格の冒涜です。勿論国連でもこのような極端な待遇は禁じています。
 「社会に有ってはならない低劣な待遇」が中国に存在することは、国家としての体をまだ為していないと言うことでしょう。
 何故建国後50年以上経ってやっとこの根本的なことが論じられ始めたのでしょうか。
 社会主義は何を目指して建国の努力をしてきたのでしょうか。

 ちなみに12月6日発表の毎日新聞記事に依れば、中国が欧州から購入する「航空機150機」の値段は1兆2千100億円です。

 購入する飛行機1機を減らせば直ぐに解決です。毎年発表される党幹部の収賄一つで解決出来る金額です。

 計画経済で国家経済そのもの全体が崩壊しつつあった建国後の30数年間、毛沢東の生存中、その状況下では確かに義務教育が不可能だったかも知れません。
 これは中年以降の中国人は、あの頃の社会総体の貧しさを想い出して誰も認めるでしょう。
 しかし教育の現場放棄はそれだけが原因ではありません。
 教育者の団結を認めないこと、権利の主張・発言が出来ないこと、社会的不公平について訴える機関がないこと、このような社会の基礎的欠陥構造がこの50年間何も変わらず人格を蔑視し続け、教育環境が育たないことの大きな理由です。100年前の清時代から何も進歩していない理由です。
それが社会主義の、「党が主導的に大衆を引き上げる」という思想の基本的根本的な欠陥です。
 社会にはあらゆる階層・団体の矛盾・対立が存在することを認め、それらの発言と主張の自由を認め、対立の調和の機構を作ることが必要です。それには基本的人権を認める必要があります。

 公平・平等の調和の感情を作る必要。 
 さらに、何故教師が農村に来ないか、を考える必要があります。現在農民は国民としての平等の権限がありません。都会へ出ることを禁じられています。もし農民が代用教員が嫌ならもっと良い職業に就ける選択の自由があれば、中国人全体が発言の権利が無くても自然の法則で教師が減って国家予算で対策を立てざるを得なくなります。農民を逃げないように縛っておいて劣悪な待遇で遇することは、人間として国家として許されることではありません。
  私は大連と杭州に1年半居ましたが、農民に対する市民の感情は「公平・平等の感情」が有ったとは思えません。多分農民が市民を見る感情はもっと極端でしょう。
 昨年の出稼ぎ農民を時々逮捕して公安の収入を増やす事件などが表面化しましたが、この事件が出ただけで、これは国民を平等に扱っておらず、普通の国家なら政権放棄すべきです。 

 嫁を貰うとき1万元から2万元を包む。
 これは現実に合わない古い習慣では有りません。農民も原則一人っ子です。(第1子が女の時、2子を産む許可が出ます)
 社会保障や医療保障のない中国で、老後のことを考えると子供だけが頼りです。その娘が結婚を迎えて家を去ると、その娘は相手の家の両親の面倒を見るだけです。子供を盗られる親にしてみれば2万元位貰っても合わない気持ちになるのは当然でしょう。