"民" のために
医者は要らぬのか


05/03/03 南方週末  張恩超

医療を民のために努める医者、
胡衛民氏と何よりも政治成績を
上げたい病院長、楊志毅氏との
争い。これは中国の医療体制
のあり方を巡る根本的なところ
で争われているようだが、それ
は病院長の勝利となり、胡氏の
辞職となって幕が下ろされた。

 2005年2月17日、湖南省楼底市中央病院から解雇された胡さんは41歳の誕生日を迎えた。彼は長生きの「長寿麺」を食べている。そこには友達のくれた2個の卵が入っている。

昨年末、胡さんは2カ月の苦悩の末退職願を出した。すぐに「光明日報」が「胡衛民事件(何故退職しなければならないか)」として報道した。続いて中国の「新華社」などの全国紙が次々とこの事件を報道した。中央テレビも報道した。この事件の真相は何か。

 報道によると胡さんは7年に亘って自費で市内の医療面の科学知識の普及講座を開き、市内の6000人分の高血圧実態調査票を作った。
 すると病院側は彼の仕事に対し秘密裏に検査を行い、胡先生の診療が院内医者の服務規定に反して患者からの薬品代や検査費或いは入院費用の徴収が少ないことが解った。「経済指標」が少ないと発表した。
 報道によるとこの病院は他の医院に比べ治療費と薬代がかなり高いという。

有る報道は言う。「中国の医療について庶民の間に不満がくすぶっているが、そこへ一人の医者が立ち上がり医療の腐敗に正面から立ち向かった」とある。
「肅湘晨報」は「現在の中国にとって差し迫った医療改革の先頭に立つ医者”胡衛民”」と表現した。

 01年11月、楊志毅氏は懐化市病院の副院長から楼底市の病院長として栄転してきた。

胡先生は普通の医者として働いていたが、98年頃から「心に決して」無料診療や科学知識普及講座などを始めた。これが街の人気を呼び病人が彼の居るところへ移るなどして、他の病院や同僚にとっては煙たい存在となった。病院が胡さんを心臓病病棟へ回そうとしたとき、そこの責任者が拒絶、それどころか胡さんの金玉を蹴り飛ばし、それが元で胡さんの結婚話が解消される事件が起こった。
 そんな噂を聞いた新しい病院長楊氏は胡さんを呼び、「お互いに助け合いましょう、困ったときは相談に来てください」、と呼びかけている。
 その時の気持ちを胡さんは「これからは病院内も希望の持てる時代が来るかも」と明るい気分になって帰宅したという。

 楊氏の就任演説は「有能な者は昇級し、大刀をふるって病院改革を行う」と言い、さらに「病院屋上にヘリコプター着陸を可能にする」と付け加えた。
 これについて他の病院関係者に聞いてみると、「ちょっと現実離れしているのでは。全国を見てもそのような施設は何処にもない。ましてこの小さな市で可能とは思えない」という話だった。
 胡さんはそれを空想的とは思わず、理想主義の人と思ったという。
就任後の楊院長は人事や組織を大胆に改革した。それは当然のように大きな抵抗を生み出した。だが胡さんはこれを同情的に見ていたという。

 二人の道は別の道へ

 楊院長が来て6ヶ月目、胡さんが担当した「脳外科」の表札が壊された。そこで胡さんはそのことを院長に相談した。すると院長は「胡さん、あなたは街で市民の為に各種仕事をしていて、他の医者が妬んでいます。それが理解されるには時間が掛かるでしょう」と言った。翌日その看板はゴミ箱に捨てられていた。

 しかしその頃から二人の分離が明確になったようだ。
 胡さんは言う。「院長は何よりも政治成績を優先します。私は庶民の出費を抑えることが主です。当然二人の道は折り合わないのです」。

すぐに胡さんの脳外科の担当が3人から1人に減らされた。胡さんは自費で300元捻出し、助手を雇った。部屋にあるパソコンも古いままで、治療器具も使い物にならなかった。そして看板が壊されること16回にもなった。病院内外に胡さんの氏名が表示されることはなくなった。

 02年12月、院内の有識者と患者代表が連名で市の党委員会に「楊院長の行動に不審」という書類が送付された。この時胡さんはその名簿には加わらなかった。
 
 02年12月、楼底市の病院の経済成績が発表され、昨年よりも2000万元増加となった。その年の末「病院内の民主度測定」と言うのが行われ、楊院長の評価に42%が反対した。だがこの数字は公表されていないので内部から漏れた数字である。この投票に胡さんは棄権している。
 市では経済成績優秀として院長の再任を決定した。

全面的対立

 「03年病院経済管理方式」が院長によって発表された。それによると、医者の収入と治療費は連動するという。たとえば医者の患者からの指名による診療は35%を医者に戻す。レーザー治療は150元、磁気測定20元、入院20元等々。西洋薬2%、中国薬5%等それぞれ医者に戻す。
これを見て胡さんは驚いた。これは中国の諺で「池を干して魚を捕る」「鶏を殺して卵を産ます」の類である。これは医者としての最低の道徳に違反する、と胡さんは考えた。
 「自分が腐敗するだけでなく、これは人をも腐敗させる」と言う。一度この病院で治療を受けた人が続いて受診しにくるとは考えられない、とも言う。こうして胡さんと院長の分離は表面に現れた。

そして胡さんはこれまでの治療態度を変えず、患者中心の治療を続けた。それは明らかに彼の収入が減少となった。
 そこへ院長が現れて「胡先生、民のために医療を行うことは正しいことです。しかし医者も食べて行かねばなりません」とやんわり胡さんを批判した。
 
03年3月、院長は胡さんに「あなたはいろいろな能力をお持ちのようです。明日から組合の方の仕事をしてください」とこれは命令だった。
 胡さんは院長に「あなたは着任したとき私を助ける、何でも相談に乗る、と言ってくれた。なのにどうして私を閑職に追い出すのか」「あなたは庶民の為、と言う言葉がお好きのようです。組合だって庶民のために有益でしょう」と言う話し合いになって、ことが決まった。
胡さんはこれまでに問診した6000人の診察票を見て、その中に入院が必要な人もいるのを見、それだけが心残りとなった。

 03年6月、胡さんは科学知識普及の報告書を作成し北京に送った。「新華社」等いくつかの報道機関が採訪に来た。院長は「これは正常な業務ではない」といって、報道機関の入場を断った。翌日には地元のテレビ局が来たがこれも入場を許可しなかった。

胡さんによると「病院は私が患者を余所へ連れ出すと怖がっているのです。私が高価な薬品を患者に与えれば病院の受けは良くなるでしょう。しかしここ楼底市は中国の中でも貧しい省です。誰も病院に払う金が無く、命とお金をきりぎりの所で判断しています。とても彼等から儲けることは出来ません」と言う。

 04年市の「政治協商会議」が行われ、任期の交代が行われ、院長一人が胡さんの再選に反対した。

 これまで胡さんはその任務で「医療道徳の整頓」を強調してきた。それが支持されて胡さんは長年その責を担当した。

 04年6月胡さんは病気とは全く関係のない事務所へ回された。胡さんは院長を捜し、問診部へ戻すよう交渉した。二人の話し合いはそれが最後となった。院長は怒りを込めて「あなたは病院に必要ないのです」と言いきった。胡さんは「私は命をかけて患者のために働いてきました。あなたは初め私を支持すると言った。だがその治療のための環境をあなたは作ってくれなかった。あなたはお金以外のことに全く関心が無いのですか」と詰問した。

 04年7月市党委員会で「病院内民主度評価」を行った。その席に出た胡さんは「病院は患者の懐だけを重視していること、薬代などに不正の値段を付けて儲けていること、これらは規則違反でないか」と質問した。
すると数日後彼の自宅に電話があり、「あなたは病院のことに口出しするな。言うことを聞かないと痛い目に遭うぞ」と言ってきた。そして胡さんの子供が外にいたとき見知らぬ男が来て首を絞められる事件が起こった。

 04年7月胡さんが3年掛けて要求していた脳外科の診療設備が搬入された。一式で16万元という。そしてメーカーから胡さんに5000元のバックペイを払うという。設備の金額が全額完納の時にはさらにいくらか追加でバックペイを払うという。胡さんは医療界の実態を知って驚いた。そしてすぐそのことを検察院腐敗処理係へ報告した。
 
彼はそこで苦慮した。「自分は農民の出身である。医者の身分が如何に大事であるかは誰よりも良く充分に知っている。この身分無しに自分は市民としても生きていけない。農民に戻ることになる。だがこれ以上病院のいじめに耐えられない。もう医者の身分を捨てよう。そして医療業界の腐敗と闘う」と決心した。

 訳注:中国では農民が「市民権」を得る方法がいくつか有る。お金が出来れば公安に届けて市民権を買う。大学卒後就職で、または職種により市民権を得る。市民と結婚して市民権を得る、等々。 胡医者の場合は就職で市民権を得たのであろう。

 辞職後の胡さん

 胡さんが辞職届を出すと病院内外から多くの慰留の声が挙がった。すると病院は支持するのは誰かを調べ初めた。胡さんが辞職届を出したのは04年12月6日。すぐこのニュースを知った「光明日報」の記者、唐氏が来て「胡医者が何故病院を退職する必要があるのか」と言う記事を12月16日発表した。
また胡さんは医療業界の腐敗について長い手紙を書き北京に送った。国務院総理、衛生部部長の呉儀、中央党委員会書記の呉官正等がすぐに実態調査の指示を出した。
 光明日報が報道を見て、地元の党書記蔡氏が病院に「このように優秀な医者は得難いから病院に戻すよう」と言う指示を出した。

 新華社新聞も「胡先生を慰留すべきだ」という記事を書いた。

 12月22日、病院内の党員拡大会議が開かれ、楊病院長は「胡氏は病院に莫大な損害を与えた。この弁償無しに辞職を認めることは出来ない。彼の行動の裏には必ず黒幕が居る、協力者が居る。それらを一網打尽にするために現在調査中だ」と述べた。
 その調査の結果、病院内の党委員会規律部の劉という人が黒幕と解った、とされた。

 05年1月20日、いよいよ事件の荒波が大きくなる一方だった。国務院、中央規律委員会、湖南省政府観察室、湖南省衛生部調査班がそろって楼底市にやってきた。
全国紙が又これらを報道した。病院長は100人の院内幹部を集めて集会を開き「今回のメディアの報道は全てでたらめだ。病院を引っかき回そうとしている犯人は3名居ることがわかった。その一人は胡でもう一人は院内の職員、残りが衛生局部長だ」と述べた。

 記者が採訪して不思議なのは、黒幕の一人とされた職員が誰かだった。胡さんはA局長ではないか、と言い、衛生部長はB局長ではないかという。その二人とも院長と激しい対立をしているとのことだ。そしてそれら院内不穏分子とされる人が共にお互いには良く知り合った仲ではないようだ。つまり病院側の調査は適当に敵を作りだしているのではないか、と思われる。

 そして省政府は「現在調査中」を繰り返した。病院側は政府調査の結果待ちの状態となった。ただ、政府調査班は「100人の大会」は記録が無く調査不能と答えた。
 調査班が病院へ来る前に院長は3つの命令を出した。
1。立ち話は院長の許可を得てからすること。
2。調査班の質問には院長の許可を得た後話すこと。
3.調査班と話し合った人は事後報告すること。

 胡さんが疑問に思ったのは、2月4日、それまで市から仮任免の状態だった院長が正式の院長として市政府から辞令を貰ったことだ。
 
 政治成績抜群の院長

 ベッド数の使用率が65%から98%に上がったのは何故か。

 省政府のホームページには、院長の政治成績が公表されている。その数字は他の幹部から突出している。
 そこには、500万元超の放射線治療器の購入、300万元の治療器具を購入、2500万元の救急センターが開業、問診病棟が起工式、3000万元の外科病棟が施工開始、350万元の伝染病棟11月完成、患者からの苦情投書が60%に減少、患者の満足率98%、等々が羅列されている。 

 さらに、外来問診が半年で毎日1300人を突破、入院患者も毎日533人、営業収入が半年で5000万元、年間で1億元を突破。
 省政府の調査団が来る1週間前、地元「楼底日報」がこれらを「波乱の中で大発展の病院改革」として報道している。その直後全国に知られる「胡衛民事件」が起こるわけで、事態は複雑怪奇である。
 
 訳注:中国の都市名を付けた各地の「日報」は政治新聞として発行されていて「御用新聞」である。10年前までは全国紙「新華社」「光明日報」なども勿論御用新聞だった。

 胡さんと、病院が黒幕とする人に聞くと、これらの政治成績は、欺瞞な数字であり、患者から金を巻き上げた結果だという。
 
この病院を退職した人が「楼底市は小さな街です。患者が急速にこんなに増えるはずが有りません。だが、02年の収入が約8000万元、03年度が約9000万元、04年度が約1億元と急速に増えています。
 これら収入増は患者を再入院させることと、その費用を値上げして増加させています」と話してくれた。
 この成績の中の一日の外来患者数1300人と入院患者数533人は他の病院と比べると約30対1の割合で多い。そして病床の使用率98%も理解しがたい数字である。そこに何が隠されているのか。

 先ず市政府の調査書によると、違法な器具使用料や各種違法な医療行為等による収入は1500万元前後確認されている。
 また違法な薬品収入が1183万元、また重複して注射針などを使用することで得た収入、許可のない薬品・機器使用などが記入されている。中国国家として禁止された麻薬も使用していた。

 湖南省衛生局の調査でも患者から大幅な増額費用を徴収していることが出ている。その調査の中には患者の満足度では全省の30の病院の中で下から1番目、費用のぼったくりでは下から2番目となっている。
 薬品企業からの開発費という名前での病院へのバックペイが、幾つか発見されている。それはCDに録音されている。
 病院側にも調査が命じられて、調査が行われようとしたが、それは院長により阻止されている。
 患者の一人、王少峰という人が証言し、「病院提供薬品の6割は病気と関係のないものだった」と言っている。これに関する市副書記長の詳細報告命令を病院は現在も無視している。
だが職員の中に署名付きで報告書を出した人が居て、大型投資や薬品の購入には質の悪いものを買い高額で購入したことにし、その差が何処に流れたかは不明と記している。

胡さんの調べによると、32種の薬品がメーカー表示と比べ驚くほど高額に変わっている、その出所も名前の表示と違う怪しいものだ、と言う。
たとえば酸化フッ素ナトリュウム注射を例に取ると、市内の薬点で1.4元のものが病院では15元で患者に売りつけていた。
 胡さんはこれだけを見ても病院側のしてきたことは全くでたらめも良いところで、法律違反、政治成績第一、嘘と偽りで塗り固められている、と息巻いている。

記者がこの事件を採訪初めて、どこも簡単には記者に会ってくれないことが解った。
 何処の報道機関も同じようだ。市の衛生局は記者の採訪要求に入り口のドアに鎖を掛けてしまった。病院は事務の女性が全く応答してくれず、院長の携帯に電話を掛けると、誰かが現れてすぐに向こうから切ってしまった。

 2月22日中央テレビがこの事件を報道した翌日、湖南省の衛生局長劉家氏が楼底市に院長の解職を命じた。記者がそれを確かめる電話を入れると、「院長の任免権は楼底市にあるからこれは絶対だ」と明言した。

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訳者注:
 この記事を見て病院の徹底した儲け主義に驚かされますが、同時に、全国紙はじめ報道機関がこのように事実を取り上げる時代になったことに驚きますね。本当に10年前には考えられないことです。
 ”新華社”は報道出版の全国組織、中国第一の組織です。つい数年前までは党の宣伝だけをしていたのではないでしょうか。
 今でも日本の図書館にある中国書はこの出版社で占められています。
 その中身も「建国後中国は社会主義として経済が党主導で日々発展し、人民は党に大きな感謝の念を抱いている」と書いてきました。だが社会主義中国にこのような時代があったでしょうか。(私の「中国教科書に見る農業生産」参照)

 私の大連日記にもありますが、中央テレビが各地の問題を事実として取り上げて注目されたのは1992年頃からと思います。
 少し遅れて、広東市政府に「すぐやる課」が設置されこれも大きな反響を呼びました。社会主義的傲慢無責任な公務員がこれで少しは動くようになったのです。
 それは中国が90年のオリンピック主催会場選考に負けたことが大きく関係しているのではないでしょうか。89年の天安門事件で国際的に批判を受け北京が確定的と言われていたのに落選します。そこで党はそれ以降世界を視野に国内政策を採らざるを得ず、表面だけでも民主化の姿勢を取るようになってきました。農村委員の選挙など正に形だけの民主化です。
 中国が世界で極めて遅れた非民主主義的国家であることを最も痛切に感じたのが報道関係者ではないでしょうか。彼等は世界の報道に接する機会が一番多い。また天安門事件に活動家として参加した学生達も就職し、この民主化の一翼を担うようになってきているのでしょう。
 ただこの事件でも明らかなように国家の一つの独立機関として問題を訴える組織、裁判所などの機構が中国には無く、(裁判所は党の下部組織)あくまでも党機関、その下部組織の報道機関に頼らざるを得ないことも明確で、独裁権力者の許可の範囲でのみ自由がある、ことがはっきりしています。

 他方、此処に書かれている病院経営の悪辣さは、中国の民主主義のレベルが極めて低いこと、人権意識の低さの証明です。それは建国以降の政策によるものです。これは国際化の波の中で少しは改善されるでしょう。
 もし日本が隣国として、戦争処理を世界に恥ずかしくない態度を明確に採っていれば、中国の改革ももっと促進されるのですが。