エプリルフールのこの日
無罪出獄

05/04/07 南方週末  張立

 これはエプリルフールの今日
発表された笑うに笑えないあま
りにも残酷な物語である。

 4月1日湖北省沙洋監獄から
11年の免罪から釈放された
”余祥林”氏が出てくるのを待っ
て報道関係者がひしめいている。

 彼の一言一言が記者達をあ
まりにも残酷な現実に言葉を
失わせる。
 
 妻が失踪した後、彼が逮捕され
死刑宣告、意味のわからぬ減刑
があり15年の刑となり、後り4年
でその期限が切れるところで彼は
無罪を告げられた。

 彼の得た罪は「妻殺し」で、彼の家族は四散し母が死亡、父は精神異常となり、娘は学校を途中で止め臨時工として都会に出た。この世の悲惨を全て背負ったようなものであった。
 彼が無罪となったのは死んだはずの妻が忽然と家に戻ってきたのだ。

 夫に殺されたはずの張在玉が故郷に帰ってきたのは3月28日午後、3輪のモーターバイクで11年ぶりに帰宅した。
 村中が驚いた。村の誰も”鬼が現れた”と思ったという。彼女は家の前で日向ぼっこをする母に「ママ」と呼びかけた。母は仰天し「あれ、お前は死んだはずの!」と叫んだ。
 彼女の家族全てに連絡が行き、詮索が始まった。子供の頃の好物は何かとか、家族の名前を言えとか。彼女の答えは実にすらすらとしていた。
 やがて警察にも連絡が行った。1時間ほどして4名の公安が来た。家族の血液も採ってDNA鑑定も行われた。翌日その結果が発表され、県党政治委員会が省委員会に誤逮捕だと連絡が行った。

 この事件は最初から疑問だらけだった。しかし今ここにその経過をつまびらかにすることで今後の反省に生かしたいものだ。
 
 誰が免罪を作ったのか

 張在玉が失踪したのは94年1月20日。その半年ほど前から彼女は精神に異常が見られた。6歳の子供の頭を激しく殴りつけたりした。それを夫の余祥林が間に入って助けていた。その日の朝早く妻が居ないのに夫が気づいた。四方を探したが解らない。するとやがて彼女の実家、張家が夫が殺したのではないかと騒ぎ出した。そして4日めに彼女の妹が警察に届けた。
 たまたまこの時に近くを流れる川の堤防で女性の遺体が発見された。強く腐乱していて顔が識別できない。その衣服は彼女のものではなかったが公安は一つの事件として結論を出した。
 その夜、夫の余祥林が公安に呼ばれた。”妻殺害”と言う嫌疑だった。そして拷問が始まった。10日と11夜、食事以外水を与えず、睡眠をさせなかった。
 この拷問の様子は張と公安との「対話形式」で起訴状にも書かれている。
 公安「貴様は殺して山に埋めたのか、川に埋めたのか、どんなに深く埋めても公安は3尺位すぐに掘り当てるぞ」
 張「あなた方はどうしても私が殺したことにしたいのですか」

 その起訴状には公安局副局長の韓友華が木刀を使って官員達に交代で殴らせ「死体を朝袋で運び」「ビニールひもで縛り」現場へ運んだと記録されたようだ。

 その年の10月中級人民法院が死刑を宣告。だが誰が見てもこの事件には疑問点が多かった。 高等法院もこの事件には5つの疑問点があるとした。
 それによると、審問記録には毎回口述内容が移り変わっている。証拠品はない。凶器もない。被告人は石で叩いたと言うが、それもない。被害者、妻の衣服が何処に行ったかについては、竈で燃やしたことになっているが、その証拠もない。判決の出所は「口述記録」となっているが、だがその記録も現場状況と合致しない。そこで高等法院は死刑を戻し、15年の罪とした。政治権利剥奪5年。

 張家の後悔

 この事件で余さんが犯人とされた実際の見解は張家の人達が堤防で発見された死体を張さんと確認したことにあると言われていた。 だが張さんの兄は「確かに頭の髪の形は似ていたが身長が高すぎ衣服が違う。顔は腐って解らない。それで困っていたところ公安が結論を出した。不思議なことに妹は腕に傷があったが、その確認は家族の誰もしていない」と述べている。

 こうして公安が結論を出した今、張家の人達にとって見れば、夫の余さんが殺したと考え初めても不思議はない。当然張家と余親戚は敵味方となった。
 
 そして公安が余さんの家に来て堤防にあった死体を引き取れと命令した。初めは公安に抵抗したが脅迫が続き余家族が折れて引き取ることになった。遺体が運ばれる道には数百人が押し寄せて見物した。
 近隣の人はその行列に「爆竹を鳴らしてから通れ。中心道路を使ってはいけない」等と注文した。そして行列が通る間商店街は店を閉め、ひっそりと裏道を通って行った。
 翌日埋葬が始まると張家の親族がやってきて余家の人達を罵り始めた。余さんの母と妹が殴られている。
 
 高等法院による減刑の動きを知って張家は北京へ死刑確定の直訴に行った。それには220名の署名もあった。そして即死刑を要求した。

 だが張さんが11年目に現れて張家の人達は後悔が始まり3日も眠れないと言う。「全ては政府が決めたことではないか」と慰めたりするが、心は後悔しきりらしい。
 記者がこれから余さんの家に採訪に行くというと、張さんの兄が「その内に謝りに行くと宜しく言って欲しい」と頭を下げる。
 
 悲惨な余さんの家族

 余さんが逮捕されたときまだ29歳の若さだった。現在は「天命を知る」40歳になってしまった。その貴重な青春の11年を奪った無情な計らいを天は如何に考えているのか。

 彼は頑健な身体だった。だが牢獄での仕打ちが高血圧を引き起こし、心臓病とリュウマチを患い、視力はほとんど失われている。
 慌てて監獄医が身体検査をしている。

余さんが逮捕されて家族は上訴した。至る所に張り紙を出して妻が現れることを求めた。 
 95年5月公安は兄を呼び、41日間看守所に拘留し上訴を取り下げるよう脅迫した。すぐ取り下げなければ再びお前を逮捕する、と宣告した。
 その翌日今度は母を呼び出し10日拘留した。母は畑仕事に出かける健康な身体であったが、獄から出てくるとすっかりやせ細り失明し、脚の震えが止まらない。3ヶ月して母はこの世を去った。

 余さんの娘は当時6歳であった。だがこの6歳の娘は、人の前で泣くことが出来ず手洗いで泣いたという。父の母が亡くなった時は7歳になっていた。だがこの時も一滴も涙を出さなかった。その時この娘は「私は夢を見ているのだ。きっと今にこの夢は覚める」と考えたという。

 学校の成績が優秀だったので小学校は無料にされた。13歳になって退学し、偽の身分証を作り叔父と一緒に臨時工として働きに出かけた。
 彼女は今17歳である。記者が彼女に話しかけると、えくぼを浮かべるが言葉は少ない。 「働いて小遣いを貯めましたか」と聞くと、「頭の髪を赤く染めたの」と「いくつかの衣服も買えました」等と答えてくれた。
 そして彼女は紅色の携帯電話を見せ、「1100元しました。これは私の最大の財産です。父にあげます」と素直に答えるのだった。

 その娘は3月29日、戻ってきた母に会いに行った。そして暫くは泣いていたが、15分ほどして父の家に逃げ帰ってきた。
 また「私は本当は勉強がしたいの。もう今からでは無理かしら」と思案顔をしている。

張在林さんは精神病になって家を飛び出して以来乞食生活を続け、山東地方に行ったようだ。そこで農民と結婚している。一人の子供が居るという。今回の帰省で激しく神経を使ったようだ。今病院に入院している。

 4月2日記者は余さんの家に行った。その家は土壁でそこら中にひびが入り、今にも崩れそうな家だった。門には鎖が掛かっている。近所の人に聞くと「今は毎日たくさんの人がやって来てお爺さんに気の毒だ」と言って親戚の家に身を隠していると言う。

 黄昏が迫るころ、門に掛かっている色褪せたのれんが見え、そこには「春が来て梅の花が咲く。冬が去り、モクセイが臭いを漂わす」と書かれているのが分かる。門の上には小さなガラス窓があり、暮色の中できらきらと輝いている。

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 記者注
 何という悲しい物語でしょうか。これが社会主義中国の実話です。今年のことです。
この話を信じられる日本人はあまり居ないでしょう。
いったい社会主義とは誰のための社会なのでしょうか。本当に読む方が気がおかしくなりそうです。

 この記事の最後の句は、余さんの運命に冬が去り春が来て良い匂いが漂いつつあることを掛けているのでしょう。
 でも、ほとんど失明した余さんに如何なる匂いが幸せなのでしょうか。

 何故拘引されると失明するのでしょうか。昨年も学生が投獄されて牢名主に殴り殺される記事がありました。

このような人権無視の国が何故国連常任理事国なのでしょうか。国連加盟国はこのような処置を禁止されているのではないでしょうか。
 
 かって日本で右翼と言われる人達が社会主義を激しく非難しました。その内容は詳しくは知りませんが、おそらく激烈にこき下ろしたと思います。だがその右翼もこれほど酷い社会であることを知っていたのでしょうか。
 でも同じことがその反対にも言えるのです。社会主義中国を理想だと宣伝した人も居たわけで、その人達も実は内容を全く知らずただ信じていたのでしょうか。
 
 でもとにかくこのような記事が公に触れることが可能になったわけです。それは本当に凄い開放ではないかと思います。民主化と言うのは人命と直接関係していることを痛切に感じます。

 話は少し変わりますが、皆さんもご存じのように台湾は、中国が独立阻止のために戦力を使うことを決めたので、抗議のために台湾での中国記者の報道活動を禁止しました。ところが直後、香港の経済誌とこの南方週末だけは記者の活動を許可しました。それは台湾の人達もこの南方週末を読んでいて、その真実報道の姿勢に気が付いたからでしょう。ただ私の見るところこの南方週末でも台湾に関してだけは独立阻止の姿勢で書かれていますが。つまり住民自治尊重の意識が欠けています。
 台湾もきりぎりの選択をしているのでしょう。


座っているのが
40歳になった
 余祥林
妻 張在玉