自殺続出の農村

04/07/01 南方週末  師欣

 中国では自殺は男性よりは女性が多く、そのほとんどは農村に集中している。NGOが創った「農家女子文化発展センター」は今農家の女性を如何に守るべきか研究し活動している。
 農家の女性が死ぬか生きるかの選択を迫られているのは、貧困、閉塞、無知、伝統、現実、等々のものに縛られているからである。 これら全ての困難に向かうことは、とても一人で解決できるものではない。農村に行けばどの女性も自分が無力であると感じるであろう。

  そのNGOの北京での会合の席上のこと、一人が身の上を語る。
「私が6歳の時母が農薬を飲んで自殺しました。」やがて泣き声になって声が続かない。
 「私も同じような経験をしました。私が7歳の時母が農薬自殺、母は生き返りませんでした。今度は、その後助け合って生きてきた妹が農薬自殺です、、、。

 「私は夫婦とも解雇され、困り切ってダムに飛び込みました。でも人に助けられ、、。」
 次々にこのような告白が続く。大きな教室全体が吹き出した火山のように沸き返る。 
 教室の前列に座っているのは河北省から来ている30名の農婦。
    訳注:河北省 北京の西隣の省

 教室に集まっているのはほとんどが北京には始めて来た人達。彼女たちの全てが自分自身自殺したか身内に自殺者が居る人々である。
このNGOは今年の5月に結成されたもので、「農村女性の生命救出」を目的とする。この活動は初めがとても困難だった。中国の農村からこれらの人達を探すことは火山の中に手を入れ焼けごまを拾い出すようなもの。 先ず1年の準備期間に、自殺の多い河北省の幾つかの農村から30名の農民女性を選び、学者が講義した。しかし学校へほとんど行ったことのない人達。学者の話は雲の上のこと、と受け取っていた。
参加している女性自身、同じ農村でありながら他人のように、ほとんど顔見知りもなく、ましてその詳しい事情は完全に知られていない。まるで海底に沈んだタイタニック号を探しているようなものだ。しかしとにかく講義の意義が理解されて行き、各人の秘密も水面上に出るようになっていった。
 初めに打ち明けたのは短髪の刑景紅という女性。彼女は旧正月、夫と喧嘩し除草剤を飲んだ。夫は医者であった。しかし患者住民は貧しく金を取れない。ツケばかりである。正月が近づき夫にツケを取りに行くように頼んだが夫は言うことを聞かない。そこで彼女は薬を飲んだ。ここまで自己の話を披瀝して以降、彼女は心理の蓋が取れたように快活になっていった。

6月末、記者は事前に連絡を取って彼女の村を採訪した。しかし彼女は家事が忙しいと言って面会に応じてくれない。
 農地から戻った彼女は、手ぬぐいで顔を厳重に隠し、隣近所が見ていないかを警戒しながらやっと記者達を家に引き入れてくれた。 「私は記者が一番嫌いなんです。」といらだちを露骨に表して言う。北京で会った彼女とは全くの別人である。北京にいた時は、3名の記者に面会し、校外での採訪に積極的に応じてくれていた。
 しかし自分の家に近くなるとこうも変わるものだろうか。

  今年はその村は過去7年の旱魃があり、とって変わって今年は麦の大豊作だった。道路上には3頭立ての馬車やモータバイクが山盛りの麦を積んで急いで走っている。
 田燕青という女性が語るところによると、彼女が北京から戻ると、もう近所の噂で、「北京は如何かな、名所など見ましたか」「いえ、毎日勉強で疲れました」「北京は変わりましたか、あれ、太られた様で」などと異様な好奇の目で見られたという。
 北京へ行く前も、自殺のことで行くことが解らないようにするため、近隣との会話に苦しんだという。

 田燕青さんは浴場を開こうと夫に相談した。夫は占いが好きで、それは凶と出て反対した。やがて喧嘩が続き、夫は家出、彼女は家のガスを出しっぱなしにして、自殺しようとした。たまたま、娘が学校から帰宅が早く命に別状がなかった。 
彼女の言い分は「ただ、夫を吃驚させたかっただけ」と言う。彼女たち夫婦の間で金銭的揉め事が多く、直ぐ喧嘩になる。「なかなか意見の一致することがない」と言う。彼女は何時も自分はそのまま無事に年を取れないと考えていたという。

 中国の農家では壁の目の高さに紙幣を張ることが多い。一種のおまじないである。これを彼女は今ポスターに換えている。何事も角度を変えて物事を考えることが大切だと、北京の講習で理解しました、と彼女は語る。
 教室の先生は「誰でも何時も正しいと言うことはありません。夫婦の間も寛容な態度が必要です。」と言った。こんな常識的なことも彼女は初めてその真理を理解した気がするという。
彼女が北京から帰るとその後は夫とは上手く行っているようで、夫は「無駄ではなかった。喧嘩も少なくなった。行って良かった」と言ってくれていると言う。
 彼女の学歴が中学卒で、夫が小学校の4年生で、そのことで彼女は不遜な態度が出ていたようだ。

 農村での自殺の原因は小さな揉め事が多い。一例として、洗濯機を買おうとして、夫婦が対立し、喧嘩になり、夫が妻を地面にたたきつけ、殴る蹴るの暴行を働く。イヤになった妻が農薬を飲んで自殺に走る、このような例が一番多い。
 夫が妻を叩くのは常識的に認められていることかというとそうではなく、そのことを認める女性はほとんど居ない。

 陳英紅さんは他の村へ嫁に行った。しかししばしば旧家へ帰ることが多かった。彼女は妹を連れて北京へ来た。その姉妹は共に結婚後は上手く行かなかった。姉の夫は直ぐに彼女に手を出した。姉妹は2人で市に理髪店を開いた。夫は博打で、別の女を作った。そして「内の女房は悪い奴だ」と言いふらした。 そして彼女は睡眠薬を飲んだ。
姉は口数が非常に少ない。北京の教室でもほとんど話さなかった。教室では「先生、私に発言をさせないようお願いします」と何時も前もって講師に頼んでいた。

 記者が彼女たちの理髪店を訪れると、彼女はメモを見せ、「私は寝る前にこのメモを繰り返し見ています。」という。そこには”人生を幸福にする8大条件”というのがあり、「毎日心理を健康にし」「社会性を持ち、」等の言葉が見える。
 長年の心の傷がこのようなメモで癒されるのだろうか、記者の疑問に彼女はしばし考えた後「確かに親切な人と言えど、人に頼ってばかりではいけないようです。講師の先生方だって、良く納得できないこともありました」と言う。話の横から彼女の14歳になる娘が、「先日テレビに出た講師の先生は冷たい感じだった」と言う。
 事件後の彼女は周囲の人に合わす顔がないと言って外へ出歩かなかった。しかし今では朝練(太極拳など)に出るようになった。そしていろいろ面識のない人とも話せるようになった。彼女は心理的に苦しんでいる人が居たら相談に乗ることも出来そうだという。

自殺村

 農民は少し困難に遭うと「1.泣く2.揉める3.薬を飲む」と言う順番で自殺に走る。 農薬を飲むことが自殺手段のトップになっている。

 03年10月22日、NGOの「海興県后程村女性健康維持組織」がスタートした。
 この県で自殺について調査したところ、01年1月から02年6月までの間に175人が自殺していた。
 訳注:県は村と市の間の単位。

 ここは中国全体でも貧困な村である。そして自殺率もトップに並ぶ。

 今年40歳の霍(カク)秀英さん、はここで生まれ育った。周囲の希望で、NGOの会計に選ばれた。彼女は周囲で自殺した人を数十人知っている。その中には未遂者もいる。どの例も家族以外は秘密にされ、隣の人さえ知らないことがあるという。
 52歳の杜金貴さんも村のかなり大きな自殺例を幾つか知っている。どの例もその原因は「貧困、家庭内いざこざ」に関係している。
 10年前、麦の収穫時、有る家で突然小火が起こり、収穫された麦は全て灰に帰した。その家の主婦がこれを悲しんで、それ以降床に伏し、やがて井戸に身を投じて亡くなった。

 霍秀英さんの兄嫁は内モンゴルから貰われてきた。そしてこの村を「自殺する人が多いのですね」と漏らしていたが、やがて自分が自殺した。 
この村の病院に勤める看護婦、韓金枝さんによると、「この病院に運ばれる自殺者は中年以下の若い人がほとんどです。そのまたほとんどが女性です。彼女たちはちょっとした壁にぶつかると農薬を飲むように見えます」、と言う。農薬で「有機リン化合物」の中毒を起こす。
 農薬として使われる、殺虫剤、水素樹脂、等が多く自殺に使われ、劇薬のネズミ用の毒薬は販売禁止されました、と言う。
 有機燐は1ミリリットル飲んでもまずは救命の見込みはない、とのこと。
 この辺りでは何処の病院にも胃洗浄機などの基本設備がないと言う。
 また農村から緊急病院迄の距離が長く、運搬途中で息を引き取る患者が多いとのことだ。

 記者が”后程村”に来た時の第一印象は「淀みきった死に水」を感じた。
 村の真ん中を走る広い道路の両側には牛糞が山と積み上げられ、そこには誰も歩いてくるのが見えない。村には住んでいる人が居ないように感じる。そして村全体が本当の貧しさを強烈に印象付けられる。

張金霞さんはNGOから1000元を預かりこの村の活動を担当することになった。
 彼女は最初の日記に「生活が逼迫していて、どの家庭にも矛盾が起こりやすい。そして主婦が貴重な命を絶つ。今後学習と各種の啓蒙を通じて当面の生活に変化を着け、悲惨な繰り返しを避けたい」と書いた。

そして彼女たちの活動が始まり、記者達がこの村を再訪した時、道路の両側に並んだ牛糞の山が消えていた。
 今年の旧正月が近づくと、彼女たちは道路に面した農家を廻り、牛糞の始末を説得して回った。この経験で、環境を清潔にすることは心理面での清潔感覚をも助長することを知った。そして農民達は、NGOのことを少し理解してくれた。

 これまでは道路に並ぶ牛糞を誰も片づけようとはしなかった。提案者が居ても、誰も、がんとして動かなかった。人の心裏に切り込むことを極端に嫌った。利益のハッキリと見えない他人事に何故口出しするのだ、と言う雰囲気が強かった。しかし、NGOのことを少しは理解してくれたようで、NGOの噂をする人が多くなった。
  NGOの人達は「私達の出来ることは知れている」と控えめだ。「ただ、心を込めて人に接する。そうすると心に苦悩を抱えている人が、やがて向こうから相談に来る」と彼女たちは言う。
 そして実際、これまでは自殺願望者が誰にも相談しなかった、するところがなかったこの村で、次第にNGOに訴えて来る人が出てきた。現在NGOは20人居る。彼等は日曜の夜集まる。そして村のいざこざを紹介しあい、その問題の解決を相談する。

  幸福の門出も露の泡か

 后程村には300戸あり、住人の数にして1500人ほどだ。そこには集団で集まる公民館のような部屋は一つもない。
 NGOから送られてきたカラーテレビは村の党書記の家に運ばれた。それを知った張金霞さんは小声で「皆さん、あのカラーテレビが党書記の家に置かれていては、女性達は誰もテレビを見ることが出来ません」、と言って、彼女は自分の家の一間を空けて、そこを活動部屋にすることを提案した。そしてここへテレビを移した。但しその面積はほんの10平方米少しだ。場所は村の出口の近くだ。しかしテレビがあると他の話が出来ない。
 そして組織の分裂が始まった。
 
 ”NGOの一人が、1000元の資金を各人に分担して誰もがそれを使って良いことにしてはどうか、そうすれば相談に来る人も増える、と提案した。”
 会計の霍秀英さんには組織の1000元がある。張金霞さんにはテレビがある。他の人には一文もない。だから上のような提案が出された。
霍秀英さんが活動部屋に来た時、日曜の夜だった。彼女の夫から「馬鹿、今頃何をして居るんだ、直ぐに家に帰れ、まだ麦刈りが終わっとらん」と呼び出された。
 張金霞さんも夫にNGOの帳簿をびりびりに切り裂かれた。
 同じ村の刑景紅さんの場合、彼女が北京の学校にいる間はすこぶる快調だった。利発で笑い声が絶えないほど変わっていた。しかし彼女が故郷へ蹴る途中から、また再び元の彼女へ急変した。
 彼女が村に着いた時最初に夫に電話した。夫は「今は忙しく迎えには行けない」と言う。次に彼女は姑の家に電話した。舅が電話に出て「北京へ行きたいから行ったのだろう。もう気が済んだのか」と何か嫌みが含められていた。北京へ行く前は家族全部が応援してくれた。しかし何か今は雰囲気が変わっていた。
 そこで彼女は自分の母に電話した。母がバイクに乗って駅まで迎えに来てくれた。その時、時計は夜の8時頃だった。
 翌日彼女が近隣の人に出会うと、何か陰気くさい。そして噂をしているのを知った「あの人は病気を治すのを口実に北京へ行ったが、本当は遊びに行ったのだ」と言っていた。 その言い方もいかにも後ろ指を指すように彼女の背から好奇の目を向けていた。

 北京から講師の一人が来た時、「先生、北京では、壁に標語を貼れば気持ちの整理に役立つと教えてくれました。でもそれは他人が見て直ぐにこの家の人は自殺した人だという噂を広めます。だから私はこの方法を止めます。それと、先生が村に現れると世間の噂を広めるので困ります」と言うのだった。
 
彼女は村での出来事を頭を下げたままズボンの裾を揉みながら話してくれた。
 彼女が北京から戻ってくると数人で立ち話などしている人達が直ぐに声を潜め彼女の通りすぎるのを待ってまた噂をしているようだ。彼女が近所に干し米などを届けても誰も食べようとはしない。明らかに彼女の顔に「自殺者」と言う張り紙がしてあるようだ。
 NGOの講師がここへ来た時彼女に「貴方は北京にいた時あんなに気持ちがほぐれ活発になっていましたよ」と言うと、「先生、ここら農村ではね、都会とは全く環境が違いますよ。もう毎日が噂ばかり。先生が車で来て私の家の前に止めたことが、村にとっては本当に一大事なことです。今、村中の噂を造ってしまいました」と悲しげにささやく。
彼女の気持ちは自殺する直前よりはましである。しかし一日が済むと疲れがどっと出る、何か心理的に抑圧されている気持ちが充満する、このまま生きていけるだろうかと言う心配が重なる、そのような日々だという。
 気持ちが怒りやすくなり、何をしても無駄なような気がし、周囲の誰もが煩わしく感じる、と言う。
 特に彼女が気持ちの底に重く淀んでいるのが家族のことだった。
ある時彼女が夫と一緒に姑の家へ食事に呼ばれて行った。しかしテーブルに並んだのは饅頭と餅だけで、彼女は「これは料理ではないわ。せめて何か野菜を炒めるとか出来ないのかしら」と呟いた。舅もぶつぶつと言っている。わざと意味が通じないように小声で言っているように思えた。
 彼女は立ち上がって 、トマトスープを作った。しかし夫の両親は共に手を着けなかった。
以前、姑とは上手く行っていた。食事にも良く呼ばれた。だが今は彼等が現れるのを怖がっているかのように見える。
 記者は「思い切って北京での生活を全て打ち明け紹介したらどうでしょうか」と提案した。しかし彼女は「農村は環境が違う」と言って同意しない。

  常に揉め事のある村

 記者はNGO講師がこの村を訪れた印象を聞いた。
 「この村では何か”でき物”があるように、お互いが触れあうことを避け、お互いに理解できない大きな壁があり、しかし村中全体が何かに絡みつかれているように何事も前向きには解決されない。そして次から次へと自殺者が生まれる」と語っている。
 ここは北京からたったの250キロ離れているだけだ。
 何処の家もほとんどが土で出来ており、ハッキリ言ってぼろぼろだ。幅3メートルのメイン道路以外はどの道も自転車が通るのにキリギリの狭さで、しかも凸凹だ。
道路から家を覗くと、「乱」「汚れ」、この2文字が全てを表現している。
かまどの上に土が盛り上げられ、テーブルの上に載っている餅にはハエが群がっている。 5,6歳の娘が素っ裸で通りを走って遊んでいる。お腹が減るとテーブルの餅を掴んで食べている。家の中には使い古した衣服がそこらに放り投げてある。何処の家にも家具らしい物はほとんど無い。食事のお椀や皿が蜘蛛の巣の張ったテーブルの下に積んである。
 何処の家も犬を飼っていて、人が通ると狂ったように吠え何時までも鳴き止まない。
この犬が居ないと部屋の中の衣服や落花生やナツメの身等が直ぐに盗られるから絶対必要だという。  
霍秀英さんの兄嫁が記者に教えてくれた。彼女の夫は賭け事が何よりも好きで、家のことは全く何もしない。この村一の怠け者と噂されている。
 この話をする時の兄嫁は涙を流し続けた。「これまで何度死のうと思ったことか、もう何年も気が狂いそうな年月です」と言う。しかし今では娘が大きくなって彼女が居ないと娘の世話をする人が居なくなる。そう考えて彼女は離縁できず、死ぬことも出来ない。


 記者がこの村で知ったことは、自殺の直接の原因は、本当に小さな家庭内のいざこざだ。だが目立つのがほぼ全ての事例だが、その揉め事の時、夫が妻を殴る蹴るの暴行を働いている。しかも同時に舅も息子の嫁を殴っている。中には舅が息子の嫁を追いかけ、病院の中まで棍棒を持って押しかける例もある。家庭内の揉め事はここらの言葉で「犬や鶏でさえ安心できない」と言い習わされている。

本来の性格が明るい張金霞さんの場合だが、彼女の腕に刀傷がある。それはかって夫の好まない村人の前で彼女が歌を歌ったことに発している。大勢の人の見ている前で夫が「止めろ」と怒鳴り、彼女を地面に押し倒した。彼女は気が狂ったようになって、包丁を取り出し自分の腕を切りつけ死のうとしたのだ。

 霍秀英さんの日記に「この村は封建的で秋になると仕事が無くなり、文化程度が低く、世間話も低俗で、皆の考えも古くさい。進歩的な物は何もない。自分のことは棚に上げて他人ばかり攻め、古い風習に従い、家庭に揉め事が起こると男が立てられ女が下にされる。他人への皮肉やくだらない話が充満している」と書いている。
 このような真面目な農村女性が時々軽口で「私がもし党書記になったら先ず第1に、、、、」等と冗談を言っている。
 党幹部への噂もかなり深刻だ。「彼等は村のためには何もしない。問題を解決する能力がない。しかも村人が団結することを絶対許さない」と厳しい。
 
NGOの活動対象は農村の女性である。しかし北京からここへ見学に来た人達の意見では、(その中には外国人もいる)この閉塞した極貧の農村生活は人間の生活の許容範囲を超えているのではないかと言う所に落ち着きそうだ。
 実際に農村の女性問題を解決するには、多方面のことが関係しているだろう。

 党幹部の意見は「金さえ有ればね、何か企業でも来てくれればね」と言う意見に集約される。そしてNGOの活動は”支持しない”と言う。幹部からこう言われるとNGOの活動は本当に困難になってしまう。
 NGOの当初の活動期間は2年を考えていた。しかしこの後いつまで続くか、極めて困難と言える。北京に行った女性達もそのことについては多くを語らない。
 でも一人の女性が記者にこう言ってくれた。
「北京のNGOに出た人達は広く明るい毎日と思います。しかし一人だけが進歩を受け取ることは簡単ですがそれは私達にとっては意味がありません。この農村に住む皆にとって、共同で困難を一歩ずつ解決して行かないと」

 (本文の登場者の名前は全て仮名です)

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訳者注:
 NGO(非政府組織)が農村の改革に取り組んでいて、地元の(権力を握っている)党幹部は何もしない、これが中国の実態の様ですね。

 中国もソ連も建国直後に「社会主義では民族問題は存在しない」「競馬や賭け事など投機的心理はその経済的基礎から消滅しつつある」と宣言しました。
 そして中国の場合、四川省やチベットで民族問題で暴動が継続し、軍隊を投入しました。四川省や新疆の場合、現在も続いています。しかし現地への漢族の強制移住で人口比率が少数民族の方が少なくなり、民族の自立が困難になっています。
 文化大革命は、毛沢東の権力奪取という側面もありますが、(魏京生「勇気」私のホームページ書籍の部参照)
大衆の「成金ねらい」と言う側面も強く働いていました。人生に希望が全く持てない大衆が次の権力者を推量して賭に出たのです。(「上海の長い夜」鄭念著 原書房)
 成金を目指した、投機的な大衆暴動が中国の建国時に大規模で発生したのです。このような投機的行動は資本主義社会では生まれないと思います。
 また新国家建設後は全国民が教育を受けるといいました。これも50年後も未だに実現していません。

 NGOやボランティア等と政府機構との対立という面は、現代日本でも将来の社会の在り方を考える時重要な要素を持っているのではないでしょうか。
 これまでは一人の人間が食べることで精一杯で人生が終わっていた時代から、利益第1ではなく或いは無報酬で社会に奉仕する人達が現れたと言うことは、人類史の新しいページではないかと私は思います。その力が次第に大きくなっていくのは既に公認されているのではないでしょうか。
 国家権力を握って上からの力で、即、全てを解決できるという昔の考え方が、極めて非現実的で、結果としては悲惨な歴史を残しました。
 その欠陥を取り除く大きな要素に、これらNGOなどの力が占めるようになると思います。
 なお中国で、中央政府が農村を完全に見捨てているかというと、そうではありません。
 先日見た「あの子を探して」と言う現代映画では、僻地の雨漏りがするぼろぼろの農村学校へ政府役人がやってきて、足の早い子供をオリンピック選手目指して養成するため村へ探しにくる場面がありました。
 村長は「この子の親に相談しなくても良いからこのまま直ぐに北京へ連れて行ってくれ」と頼みます。「この子の親だってこれは名誉なことだ」と言います。
 これは中央政府が国家の力で、オリンピックで国威を発揚することを目指していること、中国では一般民衆の家庭と子供の扱いが全く人権無視されていることを表しています。それでも親が名誉を感じるとしたら、それは生活があまりにも貧困だということを表しているのでしょう。
(その映画では13歳の子供が代用教員を務めます。このビデオもお貸しします)