迫り来る砂嵐

04/05/20 南方週末 陳一鳴

撮影に2年余、行進距離は10万キロメートル、フィルム1200巻、撮影は延べ900時間、仕上がりは3時間の映像。
 これは中央テレビの澎紅軍氏が撮影した「砂漠嵐」、4月中旬に5巻に分けて報道され、全国から注目を集めた。

98年、彼が中国人民公安大学へ友達を訪ねていったとき、近くに置いた真っ白な車が1時間の内に降砂で黄色くなり見えなくなったことがあった。南方の昆明で生まれ育った彼は、北京へ来て以来砂嵐に遭うと皮膚が真っ赤になる過敏症になった。そんなことがあって、彼は上司に「砂漠嵐」の撮影をしたいと申し込み、当時すでに中国の重要問題と認識されていたので、受理されて人を集めた。
 例えば02年3月20日、北京は歴史上最大の砂嵐の攻撃を受けた。街全体が砂嵐で何も見えなくなった。そしてその日に撮影隊は出発した。

初め彼の隊は新彊にまで行ったが、あまり砂漠嵐に出会う機会が無く、北京北方のフフホト(北京から約500キロほど北西)に行くと、そこでは4月なのに毎日のように砂漠嵐が襲っていた。10年前は草原地であったが今はほとんど砂漠化していて、羊を飼っている人達は羊の放牧している囲いまでロープを張りそれを伝わって行く。隣家まで20メートルしか離れていないのに、砂嵐で前方が見えず、ゴビ砂漠の中へ道を迷い、餓死する人も出ている。羊飼いの人達は草を外部から購入して生活を維持している。
彼等の生活を現実に見て、澎紅軍氏は身体が震えてきたという。
 ここの写真集が第1巻とされた。
新彊に戻って、彼はそこの歴史を聞いた。孔雀河というのが乾燥して、昔栄えた楼蘭が消えたという。
 そこで開墾兵として勤めている人の話では、62年にここへやって来た。当時はそこら中に野豚が生息し、いくらでも捕獲できた。今では生物の住めなくなった土地が数十万平方キロに広がっている。
「理性を欠いた開発が人間へ逆襲をしている」と澎紅軍氏は考えている。
 現在、毎年中級の県に相当する面積が消えて行っている。
甘粛省の張液という所では、黒河の流れを絶ち、生活用水にしたところ、92年になって北方の内モンゴルの延海が涸れてしまった。その海の底に溜まった砂の山が北京へ吹き寄せると言われている。
 中国の中央政府が3年がかりで工事を初め、昨年この海に水が溜まり、23平方キロの面積になった。
同じ甘粛省の民勤と言うところでは、かっては石羊河の上流に数百のダムが有ったが、今では春の灌漑の季節になると水の奪い合いで争いが絶えなくなり、住民達は内モンゴル側へ移民として出かけている。この民勤は将来も回復の見込みがないようだ。
 現地のテレビ局が提供した93年の砂嵐の記録によると、5月5日、学校を終えた子供達がこの砂嵐に出くわした。子供達は手を繋いで下校したが、8人が用水路に転落、4人が亡くなった。
 街全体では、視界ゼロメートルで、85人死亡、31人行方不明、246人受傷、12万頭の牧畜が死亡、73万頭が受傷、37万
ヘクタールの田畑が全滅、4330軒のいえが倒壊、経済損失7.25億元、に至った。
      訳注:約100億円。
 撮影班は寝袋の生活で、乾燥食料を持参し、冬の夜にはマイナス38度の荒野で泊まることもあった。しかし寒さで満天の星を見ながら真夜中まで眠れないこともあった。食事もろくに取れないことや、携帯が砂嵐で使えなくなり連絡が出来なくなったことや飲み水を求めての艱難辛苦の旅であった。
 特に内モンゴルの撮影班は連日の砂嵐に心身共に疲れ切って生命消滅の極限にいた。

 澎紅軍はこの旅行で自然と歴史の関係が密接なことを痛感した。砂嵐は海洋や漁業などに有益である。また酸性雨を中和する。この作用は日本では大きな利益を得ている。
 この撮影行は予定したものではなく、何時現れるか解らない現象が相手ではあったが、しかし現実を理解するには充分な資料を得られたのではないかと、彼は述懐している。


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 訳者注:中国は建国後計画経済で都会では青年の就職が無くなり、農村や内モンゴルなどの森林開発へ毎年数十万人が回されました。
 また国力は労働者の数に比例するとして人口増大政策を取った毛沢東に対し、人口抑制の必要を訴えた北京大学学長の馬寅初の考えは、マルクス主義に反するとして南方へ追放されました。こうして建国直後の人口約6億人が9億人に膨れていきます。日本の人口の3倍以上が増えました。現在13億人。人口増大は一人っ子政策を続けても2030年まで増大すると言われています。
 その人口を養うため、牛羊が必要とされ、これら家畜が草原の草を食い涸らしていきます。
 そして80年代後半頃からこの砂嵐が街を襲うようになります。2008年の北京でのオリンピックを危ぶむ意見さえあります。
 日本にも黄砂という名で知られていますが、冬には東京でさえ空が黄色くなります。
黄砂は上昇気流に乗ってアメリカにも行くとも言われ、あるいは地球上空に層を造って居るという新聞記事を見たこともあります。
 広島大学の教授が、水の無くなった砂漠に苔を植え付け、それが水分を地下から呼び込み、その後植物を育てる計画をして現地へ通っている話を聞きましたが、最近はどうなったのか解りません。
 どなたか知っていたら教えてください。
 でも黄砂が日本の酸性雨を中和しているという話は初めて聞きました。
 2年前から日中韓の間で調査研究会がもたれているという記事も見ました。

皆さんはこの写真を正視できますか。
草原が砂漠になり、河が無くなり、人が消える。これらはこの10年間のことだ
今まさに街を襲う砂嵐
中国の北方では普通になった景色