都市流民 第2世代

04/12/02 南方週末 師欣

 中国の都市に流入した農民の数は約1億人と言われる。統計によればその内5〜7%が第2世代と推定される。これは大変大きな数字である。「農民」と言う身分のままその子供が成長した場合、将来はいかなるものとなるのだろうか。

     
 

      新市民

 4年前北京社会科学院学者「韓嘉玲」氏は北京への流入農民を調査し、農民達の生活について「都市で生きていても法律上北京市民になることができない。しかし現に北京の市民である彼らを如何に呼ぶべきか、”新市民”で良いのだろうか」と問いかけている。
 そのときの調査の用紙には「あなたはどこの人ですか」と言う問いがあり、その答えは「1.他郷 2.北京」という選択があった。そのとき「3.答えず」と言う項目を設けなかったことをこの韓氏は後悔している。その集積した書類の中の子供達の分では「中国人」と別書きしている人もいる。

 韓氏は、初め「流入民第2世代」と記入していたが、後に「新市民」と呼ぶことに変えたという。
この「新市民」の中には、都市へ出稼ぎに来て生まれた子供、農村で生まれたが少し大きくなってから親に都市へ連れて来られた子供、都市と農村の間を行き来している子供、等が居る。上記の子供達は中国の戸籍法上都会では入学できず、学校へ入るにはどうしても田舎へ戻らざるを得ない。ただ極めて少数だが都会で大学に入れる人も例外的にいる。
 だがとにかく、彼らを「市民」と呼ぶのは困難で、その子供達だけでもいつかは「市民」と呼べる時代が来て欲しいものだ。
 
 いろんな気持ちで差別を感じている彼ら第2世代の若者。さらに都会にいるだけで同年代の若者と比べて強い差別や圧迫を受けているだろう。
 03年9月、北京に農民用の「北京明園学校」ができた。北京市教育委員会は、時代の流れに逆らえないとして、この学校を公認した。このことを中国農村研究院の劉治敏という人がインターネットに紹介し、「待ちきれなかった」と表現した。

 だが都会で臨時工として働く彼ら農民の子供達は、北京市内では中学へ上がることはできない。
また彼らの子供達はおやつ代を親から貰えないだけでなく、北京市民の子供達が遊ぶ娯楽施設にも入れない。
 有る子供は朝3時に起きて親が店へ品物を積み出すのを助ける。
農民の親は誰でも自分の子供の将来には大きな希望を寄せる。だがどの子も毎日親と一緒に居て世話を受けることはできない。
 実際、上記の学校に来ている子供達は「学校嫌い」な雰囲気が圧倒している。
 調査の中で5分の2が「学校は一番嫌い」と答えている。有る子供は「一生懸命勉強しないと親に申し訳ないけれど、どうしても好きになれない」と答えている。
 そうは言っても農村にいる同郷の子供に比べ多くの知識経験を持っている。同時に北京市の子供に対しては敵視と差別感を持っている。そうした両方の気持ちの間で「都会の人は自分の家が持てない」と考えているようだ。
 「新市民」は親と同じようにはなりたくない、だが北京人のようにも成りたくない。ある時は北京人を羨望し、他方自分とは全く違う人間と感じているようだ。
 この調査をした劉治敏氏は「これらの矛盾は中国の”戸籍”上の法律問題だけではなく、文化的心理的にも多くの複雑な問題を抱えている」と評している。

    私は誰

 都市に来た農民達は「このまま遣っていくことは不可能、だが農村に戻っても生きる手段はない。都会の人は将来を描くことができる、だが我々農民達は明日どうなるか予測できない」と考えているようだ。
 
 中国社会科学院の王春光研究員は、都会の農民の子供を”新世代”と呼んでいる。王氏によるとこの”新世代”の子供達は親と同じく、戻ることも居続けることもできない「孤島」上の生活を続けている、と述べている。ただし彼の調査によると、これら新世代は親と同じ生活は絶対しないと考え、いつかは故郷へ戻ろうとしている、という。

 「新京報」と言う北京の新聞調査によれば、北京にいる農民の77.5%は北京に居続けたい、と答えている。
 この調査によれば、農民達は故郷へ帰れる見込みはないと考えており、故郷の仲間には強い親しみを抱き続けているが、だが次第にその恋慕も小さくなっていくという。そして農業に対しては”生活が成り立たない”と考えているようだ。また気持ちの上でも農村への懐かしさが薄れる一方で、同郷の人達に対し「彼らは非衛生的で古くさい」と思い始めている。
 だが都会での生活は都会人でも厳しい。農民には市民と平等の機会を与えない。生きていく方法は次第に小さくなっていくようだ。”うろうろとして生きている”、それが彼らをもっとも上手く評しているのかも。
 
 農村へ帰ることができない、都会で上手く住むこともできない、では「私は誰ですか」と問いたくなるのが彼らの本音か。
 彼らは急速にルンペン化しており、彼ら自身「自分たちは社会から排斥されて除け者にされている」と考えている。これはすなわち国民として共に社会を造っていくことは不可能である。

 今中国は発展期である。このときに彼らを組み込むのは比較的容易である。でないと彼らは漂白し続け、自立性の欠けた、自分の行動に責任を取らない流動民であり続けるだろう、と前記の王氏は言う。
 以前、王氏は深浅の農民達の子供を調査したことがある。そのとき子供達は将来上手く行かないなら「泥棒になります」とはっきり言った、と言う。

     手をつなぐ

 有る学者は「政府と社会各界が共に協力して子供の扱いを平等にして、将来を明るいものにし、彼らの人生が上向きの明るい方向に向かえるように努力するべきだ」と述べている。そして都会の新世代の子供達に心理的補導援助をし、都会の子供と接触できる機会を与えたいという。
 有る地方政府は学費を免除している所がある。公立学校が農民を受け入れるところも出ているようだ。
 もし公立学校が農民子弟を受け入れることができれば、それは都市化への(一体化への)一番早い方法だ、と韓嘉玲氏は言う。しかし既にそれを認めた公立学校によると「農民の子は都市の子の差別視線に耐えられずすぐに学校に来なくなると」言う。

 ある一例だが、8歳の農民の子が体操時間に目眩がし、先に教室に戻った。すると後から戻った都市の子供達が、「鉛筆を盗られた」と言って騒いだ。子供達の視線が農民の子供に注がれ、その子は居たたまれず、再び学校には登校しなかった。そして農民用の学校へ転校した。
 だがこのような問題は決して子供の問題ではない。

今年の10月のこと、中国の青年キリスト教会が「義捐金募集」の街頭活動を行った。そのことが北京の新聞に報道された。その記事には10人の農民の子供と10人の都市の子供が手に手を取ってこの活動を行った写真が掲載された。
新聞には農民の子供達の願いが一人ずつ記されている。

 故宮を見たい。
 教科書にある「景山」を見たい。
 ”オーデルマン”を読みたい。
 誕生日にケーキを食べたい。
 普通の部屋にすみたい。
 動物園に行き虎を見たい。
 新しい本を買いたい。
 英語の辞書を買いたい。
 動物園に行きたい。
 「香山」に登りたい。

 また、農民の子供達が都会の子供に教えたいものとして、「薪で竈に火をつけジャガイモを薄く切って焼いたり、餅を油で揚げたり、饅頭を作ったり、焼き餅を作ったり、などを教えたい」とその言うことは極めて素朴、簡単なものであった。

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 訳者注:私は訳していて後半になると涙が出てきました。
 都会に住む人達は、農民に移動の自由を与えると都会が農民で溢れてしまう、と言い逃れます。このような差別を言うとき、彼ら市民は農民が異常に苦しい生活、法的援助のない地位にいることを知っています。
 どこの国も農民の都市労働者への急激で大規模な変遷時代を持っています。しかしいかなる国も人権的・法的差別をしたことはないでしょう。
 農民自身が政治的結社を作れないと言うことも現状打破が出来ない大きな理由でしょう。自分たちの政治的利益を発言できない、これは本当に悲しいことです。しかも国民の最大人口の人達です。

 04/12/2の南方週末によると、11/28日に04年度最大の災害が、河南太平鉱と言うところで起き、166名が亡くなりました。
 この鉱山は国営ですが、亡くなった方達の多くは近くの農民で、臨時工です。正式の職員でないため、いかなる補償もなく、残された家族は明日から生活の目処が立たないであろうと書かれています。

 建国後1980年代までは、中国首脳が外国首脳と会うときの挨拶は「我が党は全人民の利益を守り、その先頭に立って闘う」と言っていました。これは決まり文句です。教科書にもしばしば登場します。ソ連やポーランドも当時は同じ挨拶をしていました。
 人間がどこまで厚顔無恥になれるかの典型でしょう。
 
 中国のもう一つの決まり文句「資本主義国家の労働者はますます窮乏を極め、失うものは鉄鎖以外に何もない」というのも有りましたが、さすがにこれは教科書からも削除されています。