法律を守る農民が有罪確定


 04/10/21 南方週末 趙凌文

 党幹部に土地を取られた農民”白合義”は土地を取り返そうと北京へ直訴に行き4年が経った。農民達は法律の道でも土地を取り返そうと努力し、村民会議に代表を送る手段もやっている。だがこれまで彼等を引っ張ってきた白合義が逮捕されることになった。

 選挙会場が潰され国道に農民が集合

 10月11日9時、河北省石家荘市の長安区法院。被告席に白合義が連行されると会場に集まった農民達の誰もが泣いている。白合義は現在41歳、その罪名は交通妨害秩序紊乱だ。
 04年2月8日に村の選挙があり、会場へ乱暴者が侵入して票箱を壊して逃走。怒った農民達が国道に集まり、交通麻痺が発生したという。
その法廷に白合義を被疑者として告発した人は27名の多さに昇る。だが、彼等は誰も当法廷には顔を出さなかった。法廷の証言に経った7名の農民は「当日、白合義は国道には来なかった」と証言。また他の一人の主婦が法官の停止も聞かず大声で「白合議はとても良い人です。彼は罪を押しつけられたのです」と叫んだ。

 2月8日村会選挙があり、それまで法規には任期3年となっているのに7年間継続した主任の交代が選ばれることになった。
その選挙会場に突如3名の男が乱入。投票箱を壊し、中身の票を引きちぎり、車に乗って逃げた。その間3分間。同じ時間に4会場で箱と票が壊された。怒った農民達約300人が次第に村委員会に集まった。彼等の怒りは長年積み重なっていた。現在の主任が選ばれてからは全ての会議は非公開となり、財務管理は出鱈目だらけとなった。
 2000年に強制的に380畝の田畑を取り上げた。それで農民達は北京への直訴し、今回の主任改選に期待していたのだ。
農民達は党副書記に選挙妨害者の逮捕を要求した。その先頭に立った農民は白全社という名前だ。彼はこの7年間ずっと主任の改選を要求してきた。
その要求者の中に白合義も居た。そこへ電話が来て、農民達が国道に集結しているという。副書記は急いで国道に向かった。農民達もその後を追った。
 この動向から言えば、副書記の後ろに白合議が居たことになり、国道には彼は居なかった。約1時間で国道上から農民が引き上げた。そしてその数日後白全社が逮捕された。彼は事件当日農民を国道から引き上げるように声を嗄らした人間である。その後白合議と白蘭生の3名が交通妨害で逮捕された。
検察は彼等が合同して道路封鎖を計ったという。

2月10日、道路封鎖事件の2日後、政府から50人の事件調査組がこの村を訪れた。50人組の役割は「選挙妨害の犯人逮捕と道路封鎖の責任者の逮捕、および北京への直訴者が再び北京へ来ないようにすること」となっている。
 これを農民達は銅鑼を叩いて歓迎した。
50人組は連日精力的に事件を調査した。だが実は数日で彼らの役割は大きく変化していた。
 2月15日、白全社が先ず逮捕された。16日、白蘭生が逮捕。田淑芳も拘留。
28日、農民を集めた大会が開かれ、党副書記の談話が発表され「今回の事件には実に売国的な反動家が関係している。彼等全員を逮捕する」と決意を述べた。
調査は農民一人一人の首実検の形で進められたが、投票箱破壊は単なる遊び心であり、道路封鎖の責任者は逃亡したとして事件調査は打ち切られた。6月29日、北京へ直訴に行っていた白合議は北京の旅館にいるところを逮捕された。

農民達が記者に言うには、00年に380畝の農地を強制的に取り上げられて、農民達は北京への直訴を始めた。その直訴を4年間一人でもやり続けているのが白合議でその熱意で農民達は彼を全員で応援するようになり、指導者のような形にまでなっていた。
 そのことが党委員会の知るところとなり、彼は報復を受けたと、こう農民達は話す。
 
2000年末、村委員会は法的手続き無く、農民代表の同意もなく、1畝当たり3万元で380畝の土地収容を決めた。こららの土地には84年から300戸以上の農民が野菜を作り、その内200畝が温室で、そこで採れた野菜を石家荘市へ下ろし、農民達の生活を支えていた。
 農民達の必死の反対の声を無視して村議会は水と電気を止め、用水ポンプを破壊した。仕方ないと考えた農民の250戸が補償交渉に移った。だが残りの50戸ほどはこれに加わらず耕作を続けようとし、トラクターの進入を身体を張って阻止した。その村民の中に白合議が居た。

 訳注:1畝は日本の畝の6.7倍。6.7    アール。

 石家荘市鉄道技術職業学校の責任者の話では、当校が学校の土地を広げるために村議会に土地提供を申し込んだという。そしてその土地を50年間、年5000元の租借料で契約した。
土地の収用を始めたが農民の抵抗を受けて、村議会主任の孫華農は学校に対し「心配要りません。直ぐに解決して見せます」と説明を繰り返した。
 農民白合議もこの土地問題を解決するために四方八方へ相談しに行っている。

一度土地引き渡しに応じた農民達も次第に白合議に頼るようになっていった。この4年間彼等は団結小屋を造り、泊まり込みで工事阻止を続けてきた。同時に代表を北京に送った。地元政府にも、鎮・区・市・省各役所に陳情を続けた。このことで「上級へ直訴する不法者」という烙印を白合議は押されている。
 03年12月、彼等の苦労が実って石家荘市国土資源管理局が「この土地収容は不法であり、3月以内に農地復元と工作可能状態に戻すこと」という命令を出した。
 農民達は躍り上がって喜び興奮した。有る農民はこの3年間都会へ働きに出かけ、有る者は他人の下請けをしたりして生活を凌いできた。だが肝心の土地は今では荒れ放題、芥溜めとなっている。
というのはこの間、そこは村以外からゴミや泥を運んでくる車が絶えなかったのである。

国土院の通知が出て白合義ら農民達と党幹部の韓樹松が会議を持ち、鎮政府は誠意を持って土地問題卯を解決すると約束した。
 だが実際は翌年2月になって村議会選挙が始まり、投票箱破壊と国道占拠という事態が発生し、逮捕者が出ることになった。
 
 記者が50人工作組の代表者農工委員会の党書記、陳新位に聞くと「投票箱破壊も歴史的事実だ。犯人は逃亡して捕まらない。これ以上は不可能だ」と言う。
 10月12日になって記者が投票箱を破壊した家族の人に会ってみると「うちの人は党書記に頼まれて箱を壊した。一応党書記と我が家は親戚になる。破壊しないと彼は当選できないので、そうなると何が起こるかわからないと脅かされた」と語ってくれた。さらに「50人検査組の調査は嘘で何もしていない」と言う。
 今では農民達は誰も党が犯罪を起こしながらその罪を4人逮捕者に押しつけている、と理解しているようだ。ある農民は私たちの要求を最大に守ろうとしてくれたのは白合義です、とはっきり言う。
 法廷が始まって白合義の弁護を買ったのは牛炳宜という人。彼は「白合義が国道を選挙した代表者」と証言した人たちは全員前村会議員で、この人達の証言は採用すべきでない、と言う。だがその証言の中に議員以外の人が二人いる。この二人は現在農民達の蔑視の中にいる。だがこの二人も密かな方法で白合義に和解を求めている。記者に対し「あのときは混乱の最中で何が正しいかわからなかった」と言う。
 弁護士の牛氏は国道占拠罪が成り立つには、「首謀者が特定されること。首謀者が扇動した証拠が有ること」として、この両方とも白合義には当てはまらない、と言う。
 記者の調べでは、今年の8月再び行われた村議会主任選挙で前主任の孫華農が再選された。選挙前日孫は大量の農民に食事を供用したことがわかっている。また村議会委員に一人10票を集める義務を負わせてもいる。

国土院の命令書が出てすでに10ヶ月が経つ。問題の土地は荒れたままである。農民達にとって生命の支えであるこの土地に今はゴミと雑草が伸び放題である。ただその極めて小さな部分に農民達が水を運んで野菜を育てている場所がある。
 これについて鎮の副書記長は「土地の現状復帰命令など聞いたことがない」と言う。
 白合義が逮捕されて以降妻の張玉玲さんが監獄に品物を届けに行っている。だが面会は許されていない。ただ紙に書いて相互に渡すことだけが許されている。
最近白合義が妻に宛てた手紙は次のようだ。
「どうか身体を大事にしてくれ。家族の面倒を頼む。皆が元気なら俺はそれで十分だ」

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訳者注:
 12月5日の毎日新聞に中国の記事があり、「中国では農民の土地を党幹部が取り上げ、多くの衝突事件が起きている。河北省では農民の土地を取り上げた党幹部2人が死亡した事件もあり、それらの解決を求め北京へ直訴する件数が年間1千万を超える」ことが紹介されていました。
 それでこの記事を取り出し訳しました。多分この記事がその幹部が死んだ事件のことでしょう。
 この「南方週末」記事の新聞掲載直後に衝突が起こり幹部二人が殺されたのでしょう。
 もし事件後なら、この記事発表は許可されなかったでしょう。