〃あるべき社会像〃示す
04/12/06   グ ロ ー バ ル ・ アイ  
 毎日新聞 西川恵
     「連帯」重視する欧州               

 欧州の社会を見る上で「連帯」という言葉は重要なキーワ一ドである。社会の仕組みや法秩序の中に「運帯」の概念が組み入れられつつあり、社会のありようという点で資本・マーケット中心の米国とは明確な対照をなしている。北欧諸国やフランスが雇用創出のためのワークシェアリング(週35時闇労働制)を導入した際、繰り返レ言われたのが「社会的連帯」「国民的運帯」である。自分たちの労働時間の幾分かを削って失業している人々と分かち合うこの制度は、同じ共同体に生きる人闇同士助け合い、協力し含おうとの理念に基づく。「連帯」という言葉は日本では抽象的概念の域を出ないが、欧州では実感をもって社会の中に根付いている。東大名誉教授の山口俊夫氏によると、「連帯」の思想的淵源は1830年代のサン・シモン、フーリエらフランスの社会思想家たちにある。産業革命期の19世紀前半、彼らは過酷な労働条件を目にし、利益が対立する「資本」と「労働」の調整に知的エネルギーを注いだ。そしてこの二つを対立的にではなく、一定の秩序の下で協力し、時には労働者の企業参加まで想定する関係の中でとらえようとした。これはフランス大革命が打ち立てた自由、平等、博愛の理念のうち、博愛の具体的実践であり、欧州の社会・福祉政策の思想的基点となった。ポスト冷戦では、この博愛=連帯の理念の徹底を図る方向で欧州社会にバネが働いていることは注目していい。その一つの象徴といわれるのが2年前、フランスで成立した改正公衆衛生法である。現代医学の高度化・複雑化に伴い、医療遇誤や医療リスクに対して明確に医師や病院の民事責任を間えない事例が増えている。院内感染にしても、責任が病院にあるのか、入院・外来患者にあるのか、特定は事実上不可能だ。ただそうした場舎でも被害者補償優先の観点から「国民的運帯」に墓づき政府が税金から補償することになった。フランスでは交通事故でも、加害責任が明確でない時は補償基金から被害者補償を行う制度が以前から確立している。ただ改正公衆衛生法が近年の立法の中で最も璽要な法律と言われるのは、民事責任法を国民運帯保障法に移行・発展させる方向を明確にさせた点にある。現在、欧州連合(EU)は加盟国同土が国内法の接近を図りながら、単一の法的地帯創設へ動いている。「国民的運帯」を中心に据えたフランスの改正公衆衛生法はある意味、市場原理主義の米国とは一線を画す欧州の方向性を示しているとも言えるのである。(専門編集委員)
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この記事を掲載した理由:

 これまで日本の将来の形態について、社会主義が崩壊してからは、当面の経済的対処のみが主で、あまり論じられてこなかったと思います。
 特に革新とか左翼と言われた側は何も主張できない状態ではないでしょうか。
しかしここに書かれているようにヨーロッパでは「連帯」を拡大強化する方向で政治が動いているようです。

 歴史的に見て、もっとも「連帯」が社会から消えた、(消された)のはソ連や新中国でした。隣人を信じることができない、親子でさえいつ政府や党に告発するかも知れないと言う「究極の恐怖」が社会を覆っていました。
 そのやり方がいわゆるマルクス的社会主義思想となっていました。(マルクスの前に生まれていた社会主義”的”思想は弱者の連帯だったと思います)
 連帯思想の基本にあるのは”人権の尊重”です。逆に20世紀の社会主義の基本は”敵階級打倒”すなわち”人権の無視”でした。敵階級で無いのはその社会でたった一人、毛沢東や金**やスターリンだけでした。この思想で何千万人が殺されたでしょうか。
 社会主義では人権思想や民主主義思想が育たない理由はここにありました。
 かってマルクスは「宗教は階級対立を覆い隠す阿片」と言いました。
 現在この言葉を信用する人はいないでしょう。世界の宗教には真理を追究し弱者を救済した歴史的事例は山ほど有ります。
しかし実際に弱者に「目を見えなくし阿片の役割」をしたのは20世紀のマルクス的社会主義思想でした。
 1993年頃中国から来た30歳代の夫婦が「私たち中国人はマルクスにだまされました」と言いました。私はそのころ「大地の子」などでやっと中国の実態を知るようになっていたので、彼ら中国人が「毛沢東」では無く、「マルクス」に騙された、と言ったのを聞いて、全く深い真理をついていると感銘しました。彼らが新中国建国後必死になって毎日マルクスを勉強しその思想を実現するために「毛沢東」に従ったのです。そして国家が消滅するほどの破壊を経験しました。それは今でも続いています。
(マルクスやレーニンの本が書店から消えたのは90年頃だそうです。ただし教科書には登場します)
 
 西ドイツは戦後「ヒトラー」の再現を防ぐ方法として、貿易は1国に偏らないこと、大企業も市場占有に偏らないこと、小企業を育成すること、等々、独占、独裁、を阻止することを法的に明記してきました。他方、中国の社会主義は独裁的に権力を握り大衆を上から救うと豪語してきました。「連帯」とは対極にあります。
 マルクスは19世紀半ばの「パリコンミューンの成立」を見、城壁に囲まれたパリ市内で3ヶ月続いた市民の選挙による政治形態を理想と考えました。しかしその市民の中に城壁外にいる政府軍へ連絡する裏切りの人がいるのを知って、「将来の理想社会の建設には古い文化に毒された精神が無くなるまで長期に渡る独裁が必要」と考えました。その考えが彼の階級独裁理論となってしまいますが、そのフランスから連帯の思想が発展しているというのは面白いと思います。
 ちなみに日本ではこの「パリコンミューン」をもっとも深く調査・研究した世界的な権威学者が横浜の「大佛次郎」です。彼の著書「パリ燃ゆ」には、マルクス主義者が「議会主義者」とか「無政府主義者」と非難している人達が最後まで政府軍と戦って絞首刑に倒れていく姿が詳細に描写されています。

  アメリカの「資本・マーケット優先」と「連帯」と日本はどちらを選ぶべきなのでしょうか。或いは第3の道が?