乞食と食事


04/05/06 南方週末 黄広明

 4年前から私は足の向くままあらゆる所を採訪して廻った。
  ある時安徽省と蘇州の境界辺り、大きな中国地図でさえ見つけにくい所であったが、仕事でなかったら絶対に行きたくないところに行き当たった。
 そこは小さな村で、到着したときすでに夕暮れ、冬も近く薄寒かった。村の入り口まで村の主任が迎えに来てくれた。村に入ると、至る所で犬がほえていた。出会う村民の衣服はぼろぼろ、顔は焦げ茶で目は異様に光っていた。
 すぐに村全体の乱雑な様が印象に残った。何処にもゴミと汚水とどろんこばかり。草を腐らせたものや牛糞の漂う臭いは耐えられない。ただ何処の家も静まりかえっていた。
村の主任が言うにはここでは公共事業というものが無く、家畜の糞と生活のゴミは数十年整理されたことが無いという。私の出身の村とこことは天地の差があった。長く留まりたくはなかったが、その主任の家に泊めてもらうことになった。
主任の家も広くはなく、配置も適当であった。食堂も真っ暗で、家の中にも積み重なった農機具、一つの食卓、食器は真っ黒な水につけられており、一つある椅子は黒光りし、唯一の電気器具は古いテレビだけであった。入り口には暖簾が掛かっており、そこに描かれた絵は昔の皇帝の有り難い姿であろうか。更に一つのベッドがあって、そこに私は寝るように言われた。
 布団は極めて厚く、とても綿が入っているとは思えない重さで、中へはいると息をするのも苦しいくらいだった。夜もずっと寒くて、しかも身体中が痒くなってよく寝られなかった。
 翌日の朝主任が数人の村人を集めて一緒に食事をした。料理は主任の娘が作ってくれた。その中には肉もあったが、食事が始まると皆の手が出て、あっという間に消えてしまった。その他の料理も本当に瞬時に空っぽになった。彼等が作った酒を勧められたが私はあまり行ける方ではない。だがあまりにも懸命に進められて、少し口に入れた。

 村人達は話しまくった。唾が辺り一面に飛び散った。その話の中身は、私に村の実情を報道してくれと言うことで、そうすれば少しは政府の手が入るのではないかという期待だった。しかし私は「新聞は万能ではありません」と言いながも、少し酔いが廻ってきた。
 彼等がどんな収入の方法を持って居るのかに話題が廻ると、「暇が出来ると街へ出てゴミをあさる」と言う話になった。
 ああ、助けてくれ!私は街でゴミをあさる乞食達と一緒に食事をしているのだ。ここですぐに私の酔いは覚めた。
 話し相手の面々をよく見ると、顔は真っ黒で、手も洗ったことがないようだ。ああ、まさに乞食なのだ。何とか失礼の無いように振る舞ったが、やがて耐えられず、口実を付けてその家を飛び出した。
 数日は泊まって行けと進められたが、身体がもう我慢が出来ない。でも、もう一晩だけ泊めてもらった。不思議なことに夜私はいつの間にか熟睡したのである。恐らく相当くたびれていたのだろう。

 訳者注:
 中国では中央テレビの「焦点訪談」と言う番組が1994年から街の現実を報道し、それが公務員の怠慢を世間の耳目にさらし、彼等が公共の改善に取り組むようになり、お陰で最も人気のある番組となりました。今年10年目を迎えました。この報道が無ければ、公務員は強烈に威張っているだけで、水道管が破裂しても放置する話は以前しました。
 この報道が始まって以来、中央テレビへの要求や感謝の手紙は、毎週大きな麻袋に山となり幾つも貯まるそうです。
 中には感謝に局まで行って、門前で泣き出す人々もいるそうです。
数年して党中央もその効果を認め、今では総理もこの番組に出ます。
 似たような番組は全国で行われ、どれも凄い人気です。その噂がここに登場するような農村でも知られ、役所に、ではなく新聞社に期待したのでしょう。

 今週の南方週末には、昨年翻訳したミルク中毒事件についても書いています。今、中国全体で栄養素が無く、有害なミルクが出回っています。亡くなった赤ちゃんが何人も出ています。公務員が放置しているので遂にこの南方週末が調査に行きました。生産地は数カ所で、しかしすぐに生産場所を変えたり、商標を変えたりします。ある役所に行くと「あなた達報道関係綾が調べて解らないのに、役所が判るはずがない」と返答する公務員が登場します。

 この記事の書き方ですが、普通の国民の感情をそのまま表現した書き方が、きっと逆に読者の関心、共鳴を集めるのではないでしょうか。この編集者の感覚は鋭いと思います。
 官僚天下の中国においてこの書き方を選ぶなんて!
 私も中国にいたとき農民がゴミをあさっているのを見ました。道路際に置かれたゴミ箱の中へ、素手でどろどろした食事の食べかすをかき回しています。
 そのとき私は大きな衝撃を受けて、「ああ、外国人が見てはいけないものだ」と感じました。
でも本当は歴史的に記録すべき現象ですね。
「中国で農民が如何に扱われるか」をこの一景だけで証明しています。