夜遅くまで働くことは
”美徳”ではなくなる


04/11/04 南方週末 投稿 岳揚

 スペインで発生した、中国人の靴屋を襲って焼き討ちにした事件は世界を震撼させている。中国人にとって、特に国外で働く人達にとって、自分の財産と生命の危険を感じたのではないだろうか。
 アメリカの「キリスト教の教え」と言う新聞によると、このスペインの事件は「民族的差別事件ではなく、金儲けだけを目的に働くその根性に問題がある」、と述べている。
 実際スペインの現地人に聞いた所によると、「中国人は朝から夜遅くまで働く。日曜日も祭日もない。これでは近所の店が遣っていけない」と述べている。
 スペイン人は「毎日稼ぐことよりも、家庭や友達と遊んだり、休暇を楽しむことがより重要だ」と語っている。
 彼等は商店の休み時間になると、一度店を閉じる。勿論法的に決められた休息時間、或いは日曜や祭日など、当然店を閉める。
 休日の前日はいつもより早い目に店を閉めて休暇に入る。
 これらを見て解るのは「中国人の職業道徳はスペイン人にとって嫌われている」と言うことだ。

 しかしこのことを深く考えると私は大きな矛盾を感じる。
 母のことを想い出す。母にとって毎日休みなど無かった。目が覚めた瞬間からすることが山ほど有った。私はあるとき母に向かって「お母さん、たまにはお休み下さい」と言った。すると母は「毎日することが山ほど有って、何時になっても暇などやってこないよ」と言ったものだ。
 この時私はこの「勤労意欲、状態」は中国にとって何千年も変わらない伝統で、母の血と身体にその伝統が染みついている、と感じたものだ。
父も同じように毎日が忙しく暇を見出すことはなかった。
 だがこの勤労意欲が今日世界の中で中国民族だけが経済の発展を謳歌しているという、優越感を感じさせているのではないだろうか。
 また中国人の廉価な労働力、黙々と働く勤勉さ、これらを求めて世界の企業が今中国に投資している。
私は中国人の身体に染みこんだ「生活規則」を今かみしめて考えている。

 農村から都会へ働きに来ている若い臨時工達、彼等は昼夜を分かたず働く。福利などはない、労働条件は過酷だ。この10年平均賃金はほとんど上がらない。彼等臨時工の休息状態は全く非人道的である。それは工場や会社の壁の中で覆い隠されている。
 大都市へ出てきて小さな店を開こうとしている人達も全く休憩時間がない。出稼ぎ者の休憩時間というのは経営者によって無視されているのが普通ではないだろうか。
 余裕のない生活は当然家庭のなごみや友達との交際をも無くし、生きている事全体の喜びも奪っているのではないか。
 世界の中で現在は優勢な環境を持っている中国は、農耕社会から工業化へ向かっている過程での必然的な困難なものを含んでいるかも知れない。しかしこれらの経過を得て国民的、公民としての素養が養われていくことが望ましく、自我意識も当然高まり、余裕のない生活環境から余裕のあるものへ発展していくべきである。
 出稼ぎ者は誰もが「儲かれば故郷へ帰って余裕のある生活に戻りたい」と言う。確かにお金は貯まるものだ。だが、命は貯めておくことが出来ない。お金が上手く貯まったとしても、その頃は命は枯れる寸前であろう。 どちらが大事かと言えば、枯れる寸前の命なのだ。

 中国ではしばしば、日本が1950から60年代に掛けて「しゃにむに働いた」ことを模範にしようとしてきた。確かにあのやり方は一つの見本かも知れない。だが日本は技術革新の時代を越えるとき、商品の質的芸術的生産技術をものにした。
 中国はそれに比べて只勤労意欲だけを頼りに国家の発展を追求してはいないだろか。国家が技術革新を自分のものに出来なければ歴史的に見て大きな損失が続くだろう。

中国人の誰もが公民として家庭や友達そして休養、これらとお金とを比べどちらが大事なのか、それをしっかりと見つめるべきだ。 私達は親の時代を見て、只働くだけで家庭のなごみを作れなかった時代を恨んでいる。
 本来は苦労と共に個人の才能が発揮され、歳と共に高まり、と言う状態が望ましい。その時仕事は楽しくなるだろう。
 そして「朝早くから夜遅くまで働くのが中国人」と言われることもなくなるだろう。

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訳者注:
 この記事を日本の皆さんは如何お考えでしょうか。私は2つの大きな矛盾を感じます。1つは日本人もこれと同様に「公民」で有ることを忘れ只ひたすら働いてきたのではないでしょうか。現在も。それが世界から非難されてきたのもきっと中国と同じでしょう。
 只中国のこの記事が言っている内用とはだいぶ違いますが。日本の方が遙かにレベルが高いです。
 もう一つの矛盾は中国のこの習慣が何時創られたのか、と言うことです。
この記事を書いた人は恐らく農村出身か、或いは現在中国のどの都会でもその労働人口の4分の1ほど占める「出稼ぎ農民」のことを充分に見てその非人間的な労働環境をつぶさに見ている人でしょう。
 実は一般的歴史的に農村社会が壊れ工業化する過程で現れる労働者の苦しい生活、それを中国の場合は一つ別の経験をしています。
 それは建国以降の社会主義での「計画経済」です。現在40歳代以上の人達がこの経験をしています。
 計画経済時代は、すべて上で計画指示され、労働全体が社会と上手く適用出来ませんでした。
 その時代は働きたくても自分から働くことはブルジョワ(資本主義的)として非難されたのです。
 今でも国営企業の中にはその体質が残っています。上から命令されるまでは何も出来ない状態が。職場があっても仕事が無く、誰かが休むと言えば、その分の仕事が自分へ回ってくると言って喜んだ時代です。
 自分が創っている商品が役に立つのかどうか、そういうことには関心が無くなり、隣の人の仕事さえ関心が無くなった時代。
 この時代(1949年から76年まで)には、この記事のような「朝早くから夜遅くまで働く」と言う状態は無かったのです。1980年代でさえ北京の状態は夕方になると全ての商店、工場は店を閉じ、その後の街の娯楽は何もなく静まった都市であったのを、現在の中国の30歳代以下の人達は知らないのでしょうか。こうして世界から孤立し大きく進歩が遅れました。経済は勿論文化も技術も生活の充実も生き甲斐も全てが停止したのです。
 やがて農民達の中から党の看視の目を盗んで血判書を書き土地を耕す人達が出てきました。
 その結果計画経済は終わりを告げ、農村での「請負制度」が始まります。

 この時の中国人の労働意識は極めて特殊で、歴史との繋がりは異常で連続していません。人類史上の一種の実験でした。極めて人工的で、人間の生活とは相容れない状態でした。
 この時の、労働から阻害され自主的に働くことが出来なかった状態は、約20数年続いたわけですが、中国人の血と肉とはならなかったのです。
 それに比べかってのソビエトは約70年という長い時代が続き、それは人間の血と肉となってしまいました。社会主義が消えた後でも、上から与えられないと働かない状態が最近まで続いていました。

 中国では計画経済が廃止されて直ぐ、農民達は必死に働くようになりました。1980年代の初め「万元戸」が現れて、農民が裕になったと言われた時代が来ますが、都市での工業方面も計画経済が廃止されて、(1992年)農村の経済発展は都市に次第に引き離されて行きます。
 何よりも「土地の私有」を認めず、何年働いてもまた翌年にはお金を出して「請負」に参加すると言う制度の故に、農民は高齢になっても安定した基礎が出来ません。そのため男子を産み、子供に将来を託せねば生きていけない状態が現在です。
 それに加えて農民を監理する権力機関の人口が年と共に増え、税金が毎年増えていき、農業では生きていけず、農民の都会への爆発的流入現象が起こっています。深浅(”せん”は土偏に川)では都市人口の6割以上が出稼ぎ農民でした。
 上海の有る商店の3階の天井裏の小さな空き部屋を借りて、子供の教育も出来ず病気の保証もなく働く農民達の姿を日本人の多くがテレビで見ているでしょう。
 また農民が都会へ出ること自体が違法であるため、公安によって逮捕され罰金を取られる記事を何度も訳してきました。その時、看守所に入れられた農民が虐殺される記事もありました。 
 建国後の55年間、農民には教育の権利が保障されていません。社会保障の権利も有りません。無学文盲の社会です。経済的に貶められ、法的に無視されて、そして都会に来て命をかけて働く、それが中国の現実です。この記事の投稿者は中国農民のこのような姿が数千年の歴史的な身体に染みこんだ生活規則と言っています。恐らくそれは当たっているでしょう。日本人にも当たっているでしょう。
 しかし中国の場合、世界の中で最も低い状態に於かれている農民の実態を「政治の所為」だとハッキリと表現するべきです。

 中国は「社会主義」を目指しました。それを憲法に表記しました。しかしその実態は何でしょうか。
 私は中国人達が日本の製品に目を輝かすのを見てきました。日本の農業の話になると本当に羨ましいと言います。日本の社会保障にも目を輝かせます。中国の直ぐ隣りにその素晴らしい国があるのです。
 
 では日本人自身はどう考えているのでしょうか。世界一流の経済と社会保障と教育や生活水準を持ちながら、しかし労働実態は余裕のある生活とは言えないでしょう。欧米の人達が敬遠しているのも事実でしょう。
 欧米が如何なる経緯で生活意識を変えてきたのでしょうか。日本は今後それを如何に受け入れるのでしょうか。