庶民が官を告訴

04/04/15 南方週末 練洪洋

 1990年、今から15年前、中国は「中華人民共和国行政訴訟法」を発布。民間人が官を訴えることが出来ることになった。
 15年と言えば赤子が少年になる年月。さて中国ではこの方面のことがどこまで成長したか。
 4/4日付きの「中国青年新聞」はこの法律が出来て以来、官が敗訴する率は99年で35%、03年で43%に登ったことを発表している。例えば吉林省ではこの15年で受け付けた件数は2.9万、だが昨年1年で2000件に達して居る。10年前の約10倍に登る。
この告訴件数が飛躍的に上昇し、また民側が勝利する率が上昇する一方と言う事実は、どう考えるべきか。
 国民の権利意識が上昇したことを示しているだけではなく、これまでの先ず官が庶民を逮捕してから事に当たる習慣が改善されず、あるいは官側が権力に隠れて不正をする傾向が改善されていないのではないか。
 民の意識向上が「良いこと」とは言え、
裁判が増え政府の敗訴が増えることは、政府の負担、つまり民の財政的負担が増えることを意味している。
 どちらが勝利しても金額的に見ると国家的負担は相当大きく、この改善は危急の事態である。
 例えば昨年河北省の楊氏が強引に拘留された事件では22万元の国家賠償となっていて、直接に司法資源を脅かしている。
 官側が神ではないからたまに起きる不正というなら話が分かる、しかし、こうも頻繁に官側が裁判に立たされていることは、行政の不信感が国民的に広がっていることを意味している。
 中国の諺に「病気が医者を育てる」と言う言葉がある。この言い方に習えば、行政の運営の不味さが民への信頼育成に役立つと見ることが出来ないだろうか。少なくとも現在まで官側は何も学んでいない。
しかし個々の訴訟で官側が何も勉強せず、権力で法を曲げて勝利を願う体質が変わらない以上、国家的損失は増大する一方である。
 そして法律の専門化が裁判に出席して、法律に基づいて処理を行い、ことの是非を明確にすることが必要ではないか。そうすれば役人も有るべき本来の姿を認識するだろう。こうして中国は法治国家へ近づくことが出来るのではないか。
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訳者注:
 中国に各種法律が出来たのは1980年代です。義務教育制度もその頃出来ています。
中国の農民が、日本では明治初めに義務教育制度が出来たのを驚くように紹介した記事もありましたね。
 
 96年第8回人民大会で「中国は法治国家を目指す」ことを決めました。
 それまでは犯罪に対し、犯罪は国民の中の遅れた分子または反動分子がするもので、官側は間違いがないものとされました。その犯罪の種類は「反革命、敵階級、反動」など、マルクス主義の用語8種で処理されました。
 義務教育制度はもっと以前からやるつもりだったようですが、毛沢東の「大躍進」政策で国家が崩壊寸前になり財政的に不可能となっていました。
 今でも女性は中学に行く必要がないと考える家庭が多いのではないでしょうか。
この話は私の杭州日記にあります。
 ただし、外国の大学へ子女を送る家庭も増えています。  
 一昨年中国から日本の大学院に来た女学生が我が家で泊まったことも有りますが、今はカナダの大学に行っています。
 これまで約3年、私は中国の記事を数多く訳してきましたが、そのほとんどが「官が国民を虐める」または「殺す」ような記事ばかりでした。それで大変驚いて、いつも私は翻訳に夢中になってしまいます。
 たまに台湾などの新聞を見ますが、そこにあるのは殺人も泥棒も全て民間での事件で日本とほとんど同じです。見慣れて読む気にもなれません。これが中国になると途端に異常な雰囲気に満ちています。
 ”河北省の楊氏が強引に拘留され22万元の賠償を得た”と有ります。月平均の賃金が1000元ですから、これから計算すると約20年間拘置されたことになります。人生の一番大事な時に相当するでしょう。
 本当に、何故こうも社会主義では人権が無視されるのでしょうか。
 考えたら寝られなくなりそうです。