不良資産の対処に 妙薬 はない


04/11/25 南方週末 記者 柳剣能

 三菱信託銀行上海の代表、杉野光男氏は記者との対話で次のように語った。

彼が1974年代に学校を卒業した頃、日本の大きな銀行は23行あった。が、20世紀末になって泡沫経済が破壊し金融機関は大量の不良債権を抱え、生き残りをかけて吸収合併劇が始まった。現在残ったのは4つの大型銀行と少数の独立系の銀行だけである。

 三菱信託銀行はその数少ない「原型の名前を残した」銀行の一つであるが、ただし、三菱銀行三菱証券などと共に三菱東京金融集団の傘下に入った。
 この日本の「失われた10年」の辛い経験を得ながら、80年代から中国で活動する杉野氏は中国の金融界でもいつもその論客として重視されてきている。

 少し以前にも日本の財務省前銀行局長、西村吉正氏と広東省に呼ばれ、銀行資産のあり方を講演し、中国の金融界から大きな期待で見られている人物である。

 そこで記者は銀行の不良資産の処理の仕方について意見を伺った。

 記者:日本は90年代の「失われた10年」で泡沫経済が破綻し莫大な不良債権が発生した。そもそもこの泡沫経済がなぜ発生したのか、そしてその特徴はどんなものか、これについて話してもらいたいのですが。

 杉野:そもそもは80年代にアメリカが「強いアメリカ」を実現することを合い言葉に政策を進め、巨額な財政赤字と貿易赤字を造ってしまった。85年アメリカは当時の5大国の財政部長と銀行総裁をニュウヨークに集め、「強いドル」政策の放棄を宣言した。 その結果、「円」の交換率が85年の1ドル263円から88年には120円に上がった。こうして日本貿易輸出は破壊的な攻撃を受けた。日本は輸出で成り立つ国であり、このままでは経済が成り立たないと考え、急速に内需拡大政策に転換する必要に迫られた。 そこで高速道路や橋梁建設、工業地帯の拡大などの公共投資が重点とされ、さらに日銀の貸出金利は過去最低の2.5%に下げられた。
 これで90年までは経済が上向いた。だが同時に金融方面では過剰な資金が投資され集中した。高度成長期なら鉄鋼や電力産業などの基幹部門で資金が必要とされるが、だがそれほどの急速上昇期でなければ資金の投資は必要を超えてしまうと言う現象が起こる。余った資金は株や土地やゴルフ場など投機的な面に向けられた。
 こうして日本全体の土地価格が急上昇した。日本全体の土地価格はアメリカの4倍に達した。

この不正常な状態を抜け出すため、日本政府は金融引締めを始め、過剰資金を回収する方途に出た。産業界への悪影響を防ぐため、不動産・非銀行系の金融界・建設部門への拡大制限政策をとった。
 これら3部門は泡沫経済でもっとも甘い汁をすすったところなので、これらの部門には銀行からの貸し付けを禁止した。
するとこれらの企業の株は下がる一方となり、土地価格も下がりだした。こうして泡沫経済は崩壊した。
 不動産価格が急速に下降し、個人消費や企業の投資も下がる一方となった。90年代全体で日本の資産約2000兆円が消滅した。89年の経済高揚期の日本の土地総額は2100兆円あった。それが98年には140兆円に減少した。3分の1が消えた。89年の株価総額は90兆円あった。98年には30兆円となっている。これは65%の消滅である。
 そのしわ寄せは銀行関係にも来た。当時銀行の受け持ち株価総額は100億円、その内70億円を貸し出していた。その50%は回収不能である。銀行業界全体が経営困難となった。これら不良資産の処理ができず日本経済は停滞を続けることになった。これを「失われた10年」と呼んでいる。

 訳注:おそらくこの銀行不良資産の金額単位は書き間違えでしょう。億円→兆円か?
或いは上記の単位からすると100億円は10兆円のこと、となる。
 どうも中国では「兆」の」単位を使わないようだ?

 不良資産処理

 記者:具体的に不良資産回収にはどんな方法がありますか。 
杉野:短期間は利益引き当てや準備金で回収に当てた。が債権は現在も下降を続けているので、帳簿外で損失が増え続けた。貸し出し企業の評価をし直したり、現金流量表を検討したりした。
 他方、不良債権を証券として信託方式で売買ができる特殊企業を設立したりしている。 日本政府への援助を求め、公的資金の投入も行われている。
記者:中国は今年になって2大国立銀行(中国銀行と建設銀行)が450億米ドルの外貨準備金を設けた。この効果は日本から見て良いと思えるか。
杉野:それは周囲の環境による。
 日本政府は国内銀行に対し2002年「金融再生計画」を出し、不良債権の処理を急ぐことを命令した。その狙いは銀行の信頼を回復するためである。不良債権を2005年までに現在の半分に減少させることを命令している。
 記者:10月の「日本経済新聞」によると、日本の大型銀行の不良債権はすでに4%に下がったと書いている。三菱銀行集団は不良債権の半減に成功したと発表している。これらはいかにして達成されたのか。
杉野:何も特別の手段があったわけではない。借入金や自己資金をそれに充てただけである。また新たな不良債権の発生に注意している。銀行業界の再建と日本経済とは相互に関係し動いている。政府も銀行の自己資金には厳重な審査を行っている。これら一連の行為が回復に役立っているのだろう。

主銀行制度の利害

記者:日本の財務省前銀行局長西村吉正博士はこれまでの不良債権はほぼ処理が終わった。(A型)が、財政緊縮の元で新たに発生した不良債権(B型)が今日本の立ち直りを遅らせていると述べている。このことを中国の銀行関係者は重視している。というのは中国でも大量に発生した不良債権を資産管理公司に移動したが、最近国有銀行で再び不良債権が大量に発生している。このAとBとの区別はどこにあるのか。
杉野:A型は外部の環境悪化で一時的に被った悪影響を意味している。それは若者が骨折するようなもので回復ができる。B型は企業の運営が悪く自ら作り出した悪弊を意味している。これは根治がとても困難だ。
西村博士は日本の90年代後半期の不良債権と中国の国有企業の不良債権とは同根だと言っている。企業の赤字については収益性と発展性とが根本問題で、不良債権をうまく処理しただけでは企業の再生は成功しないことがある。そのままの経営では不良債権は増え続ける。
 中国では現在機構が大きく変わりつつあり、銀行は経営悪化の国有企業を援助しなければならない。それが今後どうなるかを決めるだろう。

 日本では主銀行が指導する方式をとっている。民間ではその主銀行が一般企業の経営に深く参予している。企業はその経営に当たってこの主銀行に大きく依存している。主銀行の資産管理部長などが大企業の財務監督を務めている。もし大企業が経営悪化したときは主銀行が大きく援助の手を出す。不良債権が大量に発生したとき、主銀行もその大きな部分を背負った。
 たとえば今回の例では、主銀行は貸付金の30%を放棄したり、不良債権の40%を引き取ったりした。その他の銀行も債権の25から30%を放棄した。

 この主銀行制度は法的なものではない。それは経済界の大きな困難をさけるための必要に迫られた自主的措置である。
中国の銀行制度については、国有企業が最初から銀行に頼りきりという面があり、また国家政策で作り出された問題の時もあり、日本とは簡単には比較できない。
 ただ、現在問題になっている中国経済発展による「通貨膨張」は参考になる意見があるかもしれない。

 「通貨膨張」は簡単に言えば不良債権対策の特効薬で、言い方を変えれば一般国民の富の大量搾取に近い。
 1960年代の日本で300億円の不良債権が存在したが1980年代にはそれは消えていた。銀行にとっては天の味方で、これは通貨膨張政策で消えたものだ。当時一般賃金が上昇していたので誰も気づかないが、お金の価値は下がり、物価が上がり、銀行の帳簿損失は消えた。これは銀行に預けた金額が実際は減少したことを意味する。60年代の物価のままだと国民は大変な金持ちになっていただろう。
 日本はすでに高度に経済が発達した状態で、これ以上は発展することはまずない。そこが中国と違うところだ。中国は現在発展中で、消費が通貨膨張を推し進め、そしてほとんどの不良債権問題など吹き飛んでしまうだろう。ただし中国の原材料が上がりだしており、これはコスト上昇による通貨膨張でやや注意が必要だろう。
 
記者:あなたは中国が不良債権処理に当たって信託方式がよいと言われたが、現在の中国の銀行の抱える不良債権処理をどう思いますか。
 杉野:中国では信託、銀行、証券、保険、この4つが金融界の柱となっている。この中で信託を利用することは便利で資金集中が簡単で、債権の分散も可能である点が良い。資産管理公司として信託が少額に分けて売り出せば有効なものとなろう。
 私の考えでは政府と民間とが一体となって不良債権公司を設立すれば良いと思っている。一般には不良債権を抱えた企業は即時解散が好ましいという考えがあるが、しかしその実、その企業が成り立ってきた歴史の中には技術や人員などの構成の中で捨てがたい部分が山ほどあるはずだ。そのことを考えた上で破産か売却かなどを考えるべきだろう。
 いかなる国家と言えど、銀行への貸し付けを制御することを政策とするべきで、企業を直接に管理することは、場合により健全な企業さえ立ち直れない被害を受けることが有り、これは避けるべきだ。
 現在の中国のように激しい変化の時は、産業の将来は予測しにくいものだ。危険性が高い企業と言っても、場合によっては政府貸し付けが必要なときもあろう。この区別を見分けることがきわめて重要になるだろう。
 貸し付けは必ずリスクを伴う。だが過去の業績を洗う中で今後を占うことは可能なはずだ。妥当で科学的な援助を惜しまない、その心がけが必要だ。

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訳者注:
 85年アメリカが「強いドル」政策を放棄し、「円」が強くなり、貿易が困難になり、内需拡大が追求され、政府の国土開発が始まり、土地と金融に国民的投資が始まり、物価が高騰し、泡沫経済の頂点に達したのが90年。その異常を引き締めるための政策で不動産建設関係から不景気が始まり、泡沫経済が崩落した、と言うことですね。
 また私の03年3月の翻訳、東芝と三洋の責任者との対話では、85年頃から日本は製造業が産業・経済の中心を占め発達していて、日本が高度成長期にちょうど世界市場が家電や自動車やその他の日本製品を受け入れる歴史的状況があった。また強くなった円が海外への投資を勢いづけた、とあります。
 土地や株の投資に過剰な資金を集中させたのは銀行であり、そのやり方は暴力団を使った人道を無視したものであったことも、ここでは書かれていませんが事実です。
 そしてこれからは日本では新たな高度成長はない、通貨膨張政策もあり得ない、と言うことですね。
 
 これは上手く行けば安定的な社会状態だとも受け取れます。
 この状態で如何に国民的文化と生活を高め維持するかが、今日本人が考える基本的な態度でしょうか。

 これに反し中国はこれからが発展期で、通貨膨張もあり得ると言うことでしょうか。
 日本と中国とで共通しているのは両国とも人口比率が老人大国であると言うことです。
 ただその問題は中国には大量の農村人口があり、農民が仕事を求めて都市への流入を今後とも長期にわたって続ける間は、働き手がいないという自覚は薄いままでしょう。
 両国で決定的に違うのは、中国は法治国家にほど遠いこと、人権尊重の歴史と法体系が欠けていることです。
 しかし両国はきわめて密接に絡み合って行く、といとうのも事実でしょう。その関係は今後一層強くなるでしょう。
 仕事で両国を行き来している人、旅行で中国に行く人は、国内旅行と同じ安易な気持ちで行っているのではないしょうか。やはり欧米とは違う短さを誰もが感じているでしょう。