大学は何故社会に開放するのか


04/10/14 南方週末 薛涌

 北京大学は9月になり長期休暇を迎え、この間学校を閉鎖すると発表した。筆者の仕事が記者であるので、場合によってはこの閉鎖が極めて融通の利かないものに感じる。
 かって私はアメリカのイエール大学に8年間学んだことがある。そこで大学の開放性というのを充分に知った。
 今北京大学は世界一流の大学を目指すと宣言した。そして多くの大学長を連れてイエール大学を研究しに行った。その時イエール大学から私に学生としての考えを聞かれたので、私は「税金の無駄使いにならなければよいが」と返信を書いたことがある。

イエール大学は先ず学園を取り巻く塀が無い。誰でも自由に出入りできる。それだけでなく、見学者、それは只遊びに来ている人でも、自由に校内を散歩できる。
 その学校の法学院で現在のブッシュもクリントン夫婦も討論会に参加してきた。
 そこではまた子供連れで風船やキャラメルを持って遊びに来ている人達もいる。
 昼食を挟んでの公開講座もある。年1度の招待講座は非常に盛大なものになる。
 有る社会系の講座で全くの無名の年寄りの女性が盛んに質問し、その質問が実に的を得ていて、参加者を驚かせたことがある。後に分かったことだが、その女性は有る博士であった。ただ今はこうして各大学の講座で討論に参加するのが趣味になったという。この物語は、やはり当学校の開放性を表している。
 イエール大学はまた別建ての世界1という大きさの「ストレッチ体育館」も解放している。週末になると小学生や中学生が水泳大会を開いて、当の大学生の泳ぐ場がないほどである。
 卒業式典の会場も近くの中学生が利用している。

 何故イエールがこのように開放的で、北京大学が閉鎖的なのか、その理由は簡単だ。
 先ずイエールが私立で北京が国立という点にある。多くの学生、近隣、あらゆる人に近づいて貰い、中には中学生の宿題を手伝い、そうして、学校の良き印象を世間に広めたい。
 ある時など、男子学生ばかりの講義に、近隣の女子中学生が聴講に来た。すると男子学生達は浮き浮きしだし、中には踊り出す学生も居た。それは異性の出現でホルモンが促され、活発になったとの解説を聞いたものだ。 
第2の理由は大学が社会的責任を感じていると言うことだろう。
 イエールは学校法人として税法上特典がある。たまに地元政府に税金を納めないこともある。このままだと当地域の受けが悪くなる。そこで地域対策として学校は税を納めなくても、地域の受けを狙った対策が必要になるという。
 公益活動には積極的に参加し、教室を無料で貸し出したりもする。幼児に向けた外国語教育もする。地域社会へ奉仕活動もする。貧困家庭の子供に補助教育もする。
 
 我が北京大学は計画経済式で、国民の税金で成り立っている。地域の人気や入学希望者の減少など気にする必要はない。
中国人は誰でも知っている、計画経済は欠陥経済である。計画経済は常に供給品が足りない。何を買うにも切符を持って長い行列が必要だ。買える数量は事前に決まったもので、必要性には関係がない。
 中国は市場経済になったが、大学は相変わらず計画経済のままだ。

大学に誰が来ようと来まいと関係なく運営される。自分の都合だけで門を閉じることが出来、嫌な人は招かない。中には恐喝で金を巻き上げたりする権力もある。
 イエールでも学校の門を閉じる自由はある。理屈から言えば、イエールは税金で建てられたものではないからだ。その点は北京大学と完全に異なる。北京大学は毎年国家から大量の財政援助が出る。だがその税金を納めている人達には全く感心がない。

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訳者注:私の感想はイエール大学のことより計画経済の「欠陥性」を言いたいのだと思いました。これは計画経済の欠陥を、かなり本質を突いています。
 日本でも大学が極めて閉鎖的で、大衆と乖離していた時代がありました。人の上に立つという、権力で威張るような時代が。
 閉鎖的・独善的な面と、計画経済と社会主義というのが一対として、20世紀に存在しました。
 でも計画経済が欠陥であることは分かっていますが、今後とも大いに論じてもらいたいと思っています。