若者の未来に風通しを

03/09/25 南方週末  師欣

 9/10日,深セン市のある衣服工場。その宿舎内にテレビ室があり部屋の天井には古いタイプの換気扇が回っている。しかしそれはほとんど役立たないくらい部屋の中は熱い。10平方メートルの部屋の中に32人の人(若い女性が28人、若い男性が4人)が詰め込まれている。彼女・彼氏等の平均年齢は20歳である。部屋の正面にテレビがあり、その上に白いボードが掛かっている。そこには大きく「性に近づくな」と書かれ、進行司会者が大声で「君たち、この”性”と言う文字を見て何を想像するか」と聞く。
 このような公衆の前で「性」について聞かれ、農村から出稼ぎに来ている若い少女達は頬を赤らめ俯いている。一座はシーンとなる。
「皆さんは男女の交わりを想像するでしょう」と司会者が大声で話す。「これを如何に理解しようとも、とにかくこれは人の一生に関わる大きな問題です」と話が続く。出稼ぎの娘達は次の言葉を冷や冷やしながら聞き漏らすまいと待っている。

 司会者は32人を4班に分け、班毎に討論をさせる。テーマは「強君と麗さんが相愛の仲になり、2人はもっと親密な関係に成りたいと考えるようになった。麗さんは2人が結ばれた後、彼の気持ちが変わらないかそれを心配している。もし貴方が麗さんならばどうしますか」というものだ。
 討論は小声で行われ、やがて各班の代表が白いボードの上に結論を書く。

 これは地域計画出産協会主催の「青春健康訓練」の現場である。進行司会者はヒョンさんで2001年から始めたという。これまでに70以上の工場に対してこれらの教育活動をしてきた。
 「青春健康」と言う題目は中国の計画出産協会とアメリカの有る衛生技術組織が2000年に協定を結んで5年計画で始められた。その目的は青少年への生殖・生理や青春期の保健・計画出産などに関する知識を与えることだ。
 これが中国全体の16の場所で始められ、深センはその内の一つだ。深センでは主として市内に流入する農村からの娘達を対象にこの教育が始められた。
 深センは人口が700万人で、そのうち500万人が農村からの流動人口となっている。又そのうち65%が中学卒以下であり、大半は小学卒である。最近市内に流入する農村の女性達の未婚のままの出産が激増している。有る病院の調査では未婚の人工流産する人の80%は出稼ぎ農民の娘となっている。農村からの出稼ぎ者は文化水準が低く、生活困窮者が多いと言う特徴を持っている。
 市の計画出産協会では「性知識、生殖、避妊、性病、エイズなどの教育が必要と考え、「幸福な人生、結婚の計画」について具体的な教育目標を立てた。
 これについて担当者の武さんは「農村の女性達は”性の問題”についてほとんど知識がない」と言う。彼女たちは極めて閉鎖的な農村から都会へ出てきて、男性からの無理な要求を拒むことを知らず、すぐに騙され犠牲者になる。”性に近づくな”は彼女達への警告の言葉だという。
 「幸福な人生、結婚の準備」と言う題目の訓練教育は出稼ぎ女性達に大いに歓迎されている。そしてその教育の最後に協会側は娘達に「貴女の10年以内の結婚計画書」を提出させるという。
 この教育を受けた有る男性は「今までは人生の計画など無かったが、これからは良い女性を選び、元気な子供が生まれるようにしたい」と希望を語った、と言う。
 市の婦人科の薬剤師の羅さんは「私たちが教育をしていると生徒達の反応はすこぶる良好です。というのも、彼等・彼女たちには全く知識というものが欠けています。」という。彼女はこの教育の担当者である。「若い人はその時の感情に流されやすい。人生の目標というものが有りません。私たちは彼等に計画的人生を教えます。自分の人生が良くなれば他の人にとっても良い影響を与えることを教えます」と言う。
 彼女は又「一般大学生は車を買ったり、家を買ったり、世界旅行に行ったり、性生活についても希望を持っています。しかし生活最低線上の若者はただ結婚し安定した人生を夢見るだけです」と言う。
これらの教育が良い結果を表してきていると見える証拠も確認されている。それは出稼ぎの若者達が「24歳頃に結婚をし、それまでは2人の空間を楽しみ、結婚後子供が出来たら家庭生活を大切にし、その後出来れば又出稼ぎに出かけ、出来れば何か事業を持ち、その事業が上手く行けば子供も立派に出来る。きっとその子は将来性のあるよい子になるでしょう」と言うような夢を多くの若者が語るようになってきているのだ。

 農村から出稼ぎに来て、最低生活線上の若者達。その青春で正に人生観が創られようとしているとき、彼等はただ金を稼ぐだけの目的で都会へ出てきている。都会の周辺をうろつくだけで良き友達もなかなか出来ず、話を聞いてくれる人も援助してくれる人も見つけることは困難だ。工場では生産能率を上げるため競争が奨励され、友達が出来ない。
 彼等のためにこの教育計画が一つの爽やかな風を送ってくれれば良いのだが、と先述の武さんは語る。 

 訳者注:
 深セン市の名前が良く出てきます。
建国以来、30年間の計画経済で中国全体が消滅しかけていたとき、「敵階級を国民の中から探し出す闘い」に国民全体が没頭していたとき、登小平はその苦境と大混乱から抜け出す方法として「豊かになれる者から豊かになろう」とこの地で提起し、中国人の誰もがそれを歓迎しました。まるで政治家としての常識と理性を放棄したようなこの言葉が何故中国人に歓迎されたのか。それはそれまでの社会主義中国が人間社会に適応できない異常な体制であったからです。この言葉から中国人は今までとは違った自由を感じ取ったのです。
 
 その後中国は経済的には大きく発展します。現在も市の中心に、登小平のその言葉の巨大な看板が掛かっています。
 しかし中国が計画経済体制の「政府が上から命令で指導する」という基本を残し、人間を支配する「もの」として考え、人権を認めない政治の方法は変えていません。独裁政治を継続して、一般国民の意見が社会を動かすと言う民主的方法は未だに全く実現していません。
 その証拠の一つが、この大都会の構成人口の70%が居住権のない農民であることです。彼等は教育を受ける権利や居住する等の人間としての基本権が有りません。まして彼等の政治的権利の発言の機会は制度として存在していません。上に立つ人の情けにすがるという古代奴隷制社会のままです。
 700万人の大都会。そのうち500万人が居住権の無い住民。皆さんはこれを聞いて、恐らく数百年昔の歴史を想い出すでしょう。しかしこれが現在の21世紀の中国です。
 この土地へ出稼ぎに来る若い農民の娘達は農村からここまで1ヶ月掛かっても汽車に乗る金が無く歩いてやって来ています。
以前紹介した「現代中国の落とし穴」を書いた”何清漣”さんは次のように書いています。
”この百年の間に世界は民主的な政治制度を実現し、土地に縛られた小農を解消した。しかしまだ小農が残っている国が地球に2つある。中国とインドだ”、と。
 インドの小農が70%で中国が85%だそうです。
 今中国では太平洋岸で大都会が出現し、一定の自由を得た市民社会が出来つつあります。その人口は10%に近づきつつあります。
しかし、他方この数が国全体の13億人という数字の前で、その85%が農民の国で、どれだけの有意義を語れるだろうか、と言う疑問をこの何さんは書いています。