動かない公務員
南方週末  03/10/23 呉志雄

 「陳耳金鉱」での工員が塵肺にかかり、2年間の苦しみの果てに、先日離界した。30人の臨時工の内10人が塵肺にかかっており、法的な救済を求めていたが、何の見通しも無いままこの世を去った。(10/13「華商報」) 

 中国の職業病予防法には、塵肺患者の診察や健康回復諸費用などは、一切採用企業が負担することとなっている。塵肺職業病患者は、公傷社会保険を除いて民事関係の法律に基づいて会社側に賠償を要求できる、となっている。これは明らかに臨時工側の有利な法律である。しかし実際は如何になっているのだろうか。
 陳耳金鉱には防塵設備はなかった。臨時工に対してはこれまで一度も健康調査が行われていない。関係監督部門はいっさい指導をしていない。臨時工が塵肺にかかったと考えて診断を受けたとき、7日以内にその結果を知らせることになっている。だがここの市の衛生管理部は80日間も放置したままだった。
 今回の塵肺患者は当地の陜西省では最大の患者数であるが、もう既に2年が経っている。企業の労働部ではまだ一つの病気の認定も行っていない。本来は臨時工といえども訴訟が出来ることになっているが、しかしその処理は完全に無視および粉砕されている。そのやり方はまるで各部門がサッカーのように書類をあちらにやり此方にやりと、弄び、2年間全く成果がない。

 権力の前ではいかなる厳正な法律といえども”紙の上のお遊び”である。行政も司法も頑固に患者を無視している間に、大切な一つの命が失われた。この悲劇は誰が作っているのか。「誰の責任か」と問うことさえ出来ないのだろうか。
 行政の監督部は責任意識や職業意識、道徳意識、これらが完全に欠落しているのだろうか。
 臨時工の生命を脅かす病魔について、全く無関心をとり続けると言うことは、行政機構の欠陥ではないだろうか。もしどんな法律があろうともそれが執行されないのなら、法律ほど恐ろしいものはない。もし今回の悲劇の原因を追及できないのなら、どんな社会的問題の解決も不可能といえるのではないか。 
 国家機構で働く人達、どうしてその仕事の基本である法律を無視し続けるのか。もし当然の任務を拒絶し続けるのなら、これは昔から”名が在り実がない”と言われているとうりだ。
 例えば、「自分より上級の人には刑をあてはめない」という封建思想と法的観念が有るのなら、これは実際には訴訟しても膨大な金の無駄使いと言うことになる。
 もし法の番人が自己の権利だけを守ろうとするなら、本来被告席に座る人を上座に置くことになり、そこには姑息で馴れ合いの幹部だけが大手を振って歩く政道となる。
 国家機関とそこで働く人達が何もしないのなら、無力な被害者は訴訟など出来なくなる。
 そうなれば誰が彼等公務員を追求できるというのか。法廷は何の役に立つのか。現在の中国の法律にはこれらについては何も書かれていない。その結果行政で働く人達は、彼等のしたい放題である。もし彼等無責任者が重大な損害を国民に与えたとき、、その時彼等は突然「公務員」と言う態度を取り、自分たちにとっては痛くも痒くもない処置に済まそうとする。このままでは、悪風はますます広まり、公務員はどんな世間の批判にも耳を貸さなくなる。

一人の塵肺の臨時工の命は既に亡くなってしまったが、この事件は我々に大きな警告を与えている。これは単に道徳的な責任問題ではない。国家の基本である法体系の欠陥であり、無責任な公務員に厳格な責任追及の制度を作り、何も行動しない公務員に明確な責任追求と弁償を科し、彼等に当然の苦しみを与えるべきである。法律を単なる劇の台本のように弄ぶ人達よ、国民をゴミのように扱うことを止めよ!
(投書者:湖南省類底市人民大会常任委員会研究員)

訳者注:何を言うべきか?
 公務員はほとんど党員がなります。公務員には社会保障や社会保険などができました。(1998年)
 99年私が大連で知り合った「ハウ」さんは父親の住所異動届に半年間、10カ所の役所周りをさせられました。(大連便り4月)

でも少し言いたい。
 この3年間、中国では江沢民が在職中から「3つの代表」という政策を提起し、全党員がその政策を学習してきています。各地の新聞にも掲載され国民に学習を要求しています。その意図は、中国の発展に最も大切な要素を掴み提案している、と言うことになっています。それを受け継ぐと言う形で今年の春、胡錦濤が選ばれました。
 その意味は、文化的な最前線、技術的な最前線、経済的な最前線、これらの社会の主要勢力を党は代表し指導するというものです。
 この言い方、文章は50年前の建国の頃に使われた文章そのままです。結論から言えば実に厳かに言葉が並んでいるが、実際は中国の改革や民主化とは全く関係がありません。
 今中国が全力を出して取り組まなければならないのは、8割を超える農民の解放です。農民の地位の向上です。計画経済の時は農民は全く主体的に労働する権利を奪われていま
した。改革以降は土地に縛り付けた状態で土地請負制になり、年を取っても働かない限り食べるものはない制度になりました。
 
 社会の大半を占め、極貧に置かれている農民を無視した政策提起などどこに意義があるのでしょうか。
 その他国民の人権を認めることや、団結権を認めることや、司法の独立を認めることなど、近代社会に入るからには最低限実行しなければならないことが、数多くあります。
 これらに全く触れない「3つの代表」にどんな社会的意義があるのでしょうか。大の大人が勉強する意味がどこにあるのでしょうか。中国の抱えている問題の解決や社会の進歩とは何の関係もありません。
 ああ、私は3年前には、中国の建国時の社会主義にも学ぶ点があると思ってこの翻訳を始めました。でも実態を知れば知るほど、受け継ぐべきものは何もないと判ってきて、本当にがっかりしています。 あのソ連が良くも80年近くも維持できたことに驚きます。