「東北現象」の反省
南方週末 03/02/20 記者手記
「東北現象」この言葉が最近意味深長な言葉となり、特に東北地方の人にとってはとても残念なことを意味するようになっている。
訳注:東北地方 遼寧、黒龍江、吉林各省。
東北は、炭坑、鉄の採掘で有名。日本は戦前先ずここを植民地化した。
東北工業地帯の省知事達にとってこれまで良いことはなかった。各種困難が度重なった。では一般庶民はどうかというと事態はさらに悪かった。失業の荒波が全体を襲っている。かって味わった誇りが今や消え失せ、すっかり落ちぶれた感じになっている。
記者が「阜新鉱」地帯を訪問してみると、至る所そこで働いていた人達の昔日の誇りは消え、悲しみの声が聞こえてきた。
30年間「海州鉱」で鉱長をしてきた王福清は記者に「かってここはアジア最大の露天鉱であった。この49年間に国家に納めた税は32.7億元、炭坑設計管理者は1689人、全国の炭坑はほとんどと言って良い位ここから出た人が働いている。国家への貢献は巨大であった。50年の郵便切手と65年の5元札の表紙はここで働いている人達の顔が載っていた。」と教えてくれた。
海州鉱は阜新地帯の代表である。統計によると、58年から85年までに東北が全国に供給した鋼材は506、486、055トンとなる。58年から79年までのコークスの生産は3、688、498トン で動力機械は981128台、全人口は1、729、887人となる。
かってここで働いていた李貴鮮氏は「ここが中国全体の改革開放の発祥地となった。もし東北の貢献がなければ、現在の中国はなかった。」と語る。
このため多くの東北人は、東北こそ国家への貢献が最大であり、国は当然東北の発展に政策上また資金上それなりの重点を置いて当前だと考えている。さらに言うと、多くの東北の有識者は政策上先ず東北を第一にすべきだと考えている。
現在の東北のホームページを見ると、「東北現象」を語るに苦しみに満ち、この苦しみはいったい何時頃から始まったのかという、反省文が多い。
87年以来、2度に渡って全国を揺るがした「社か資か」と言う大論争が温州と本渓から始まった。
関広梅、この言葉は87年頃の中国人なら誰でもが知っている言葉である。その年、彼女は遼寧省本渓で働いていたが、「租賃改革」(借金改革)と言う言葉で知られるようになり、それが中国の企業改革の合い言葉となった。しかし彼女の名前を知る人は今は何処にもいない。
この言葉を使うと同時に思い出されるのが温州で、話題に上った論点が本渓の発想と似ていながら、結果として全く逆の作用を発揮することになった。
蘇南と広東沿海の民営企業が大規模に発展しようとしていたとき、東北は国営重工業地帯としての道を守り、為に現在の憂き目を見るようになったが、ではこれまで何をしてきたのか。
東北人は、企業は如何にあるべきかを論じながら、人に遅れること、人に見放されることをのみ心配していた。
この保守的な思想が東北の発展を束縛し、今東北人に反省を求めている。
78年安徽省鳳陽の小さな村で、18人が飢餓に耐えきれず血判書を作った。これがすなわち中国農村の改革の序幕を飾ったのだ。
01年5月、遼寧省阜新邱の露天鉱団支部の書記李宝は、14人の解雇された炭坑夫達と共に署名を持参して、「産業家による近代農業の建設」を始めることを宣言した。計画経済社会の下で、この方法で解雇者だけで新しい道を開くと言う。
遅すぎた感があるが、しかしこれが東北人による新しい道への模索が始まったと言えるのかも知れない。
訳者注:
安徽省 南京がある省。
実に短いこの原稿が中国社会主義の衰退と変化の歴史を端的に表現しています。
計画経済の制度の下、誰もが革命を歌いながら、生産と人生計画に置いては完全な受け身、保守の制度で縛られてきました。
この保守で暗い雰囲気と革新的で明るい雰囲気は現在でも中国の北と南を旅行すれば誰でも感じるのではないでしょうか。
特にこの原稿で注目したいのは農民の血判書です。これはNHKが放送しました。
日々、北京から派遣された党書記に管理された計画経済の下で、自分たち自身で農業経営が出来ず、飢餓にあえぐ農民達がついに党に隠れて未開墾地を耕します。もし党に見つかり、殺されたらその人の家族を他の農民が助けることを文章にして血判を押しました。
これが生産の飛躍的な拡大を生み、ついに登小平が改革開放という名で、土地を農民に貸し付け生産を任せる、市場経済導入を決めました。これが国家権力を独裁しながら、しかしまだ中国の党が存在し続けている理由です。
20世紀は「社会主義」に対する誤解の世紀と言われるほど、一時は弱者から期待されそして弱者を裏切った世紀でした。
97年私が中国に興味を持ち始めていたので、ある人がフランスのモイスナーと言う大学教授の論文を見せてくれました。有名なマルクス経済学者だそうです。
それは改革開放が中国農民にとって悲惨な結果を生み出すだろう、と言う内容で「これまで中国の農民達はマルクス思想の導きの下、社会主義制度により、水準は例え低くても各種の社会保障で生活の心配から解放されてきた。しかしこの改革開放が実行され、市場経済が導入されると、表現は違ってもそれは資本主義化であり、弱肉強食であり、農民は最大の犠牲者となるだろう」というものでした。
これに似た論議は90年までの日本のマスコミにも登場したかも知れません。
しかしこれまでの翻訳をごらんになった人は、この論が全く事実を見ないで書かれた無責任なものであることが、解ると思います。
中国の建国後、生活を全く保障されなかったのが農民達でした。
多分この大学教授は中国の実態を全く見ず論文を書いたのでしょう。そのような無責任な原稿で教授の地位を維持できるというのは驚きです。しかも90年代になってからの原稿でした。
今、「北の国は天国」だと言って、実態を見ず在日朝鮮人達を北へ送り込んだ「朝鮮総連」に対し批判がされています。
建国以来今まで、今でも、中国の実態は隠されているのも事実です。事実を書くのはごく一部の新聞で、2年ほど前から締め付けが緩んできました。(それは国際社会と交際するために必要だからでしょう)
00年6月、中国人と旅行していて、テレビを見ていたその人が「あれ、昨日の事件を今日報道しているよ!中国も変わったなあ」とその人は本当に驚いていました。
こう言う状態だったから、あのフランスの教授も推測で論文を書いたのかも知れません。
しかしフランスの学者モイスナーだけでなく、また朝鮮総連だけでなく、日本の多くの左翼的または進歩的と言われた人達も又似たような言動をしてきたのではないでしょうか。そのことの責任をはっきりしないで現在を生きているのではないでしょうか。日本も又無責任社会なのかしら。