億万長者「孫大午」の夢と現実

 03/11/06 南方週末 王景春

 孫大午は1970年、兵役に入ること8年、態度良好として党に入り、大隊幹部にまでなった。78年帰郷して銀行に就職。85年村の痩せた土地を4家族で請け負った。89年県の農業銀行の人事部長だった職を投げて妻と共同経営に乗りだした。
 18年間の企業経営で1000羽の鶏と50頭の豚等の養殖場、更に1500名の職人を抱える企業になり、固定資産と毎年生み出される金額は億元を超える「大午企業」に成長した。 
 彼は無料の農民学校を開き、これまでに3000人以上を送り出している。学生達の出身地は10以上の省に亘っている。
 彼は又20万元を投じて医院を開き、農民達が毎月1元を積み立てるだけで医療を受けられる制度を作った。そこではレントゲンや血液検査を含む一連の検査を10元で受けられる。
 彼は教育を重視し「大午小中学校」を創りその校長をかねる。
 
 孫大午は厳格な道徳家である。彼は億万長者にはなったが、生活は極めて質素を維持し、車もなく、集団宿舎に住んでいる。道ばたの屋台で簡単に食事を済ますことも常時だ。ブランド物は一切持たない。娯楽場にも行かない。1月2000元の生活費だ。出張で出かけるときも汽車は硬座(2等席)に乗る。
 会社を作って社長に納まったが、会社の便所掃除も自分からする。
「私を個人的に恨む人は居ません」と彼は言う。だがこれだけは事実と違う。彼が成功の道を昇り初めてからの20年は敵だらけだ。毒を盛られたこともある。電線を切られたこと、闇討ちで殴られたこと、暗殺の仕打ちにも会い、公安にでっち上げの罪で訴えられたこともある。たいていの悪事には出会ってきた。
 1998年、彼は自費の160万元を投じて10キロの公道を造った。これは国道107に通じ人々に大きく喜ばれた。しかしその時 地元の党幹部は賄賂が来ないと言って怒り、その道路利用者を集めて、他の道路工事に狩り出した。また彼に直接賄賂を要求に来た時、彼が出さなかったので、幹部は機嫌を悪くして、孫の家へ甥を行かせて殴らせ、孫は頭から血が出、指の骨を折った。
 この時孫はイエスの話を持ち出し、「イエスが十字架に掛けられたとき、喉が渇いて水が欲しいというと、水ではなく塩水を呑まされた。そこでイエスは”天よ、彼等をお許しください。彼等は自分が何をしているか知らないのです”、と言った。それは今の私の状況と同じだ」と語った。
彼は自分が一般民衆と全く同じで有ることを証明するため、裸になって道路を歩いたことがある。それは彼の身体が汚れていないことを示すためだった。
これまで中国では一人の富豪が現れると、必ず暗い影、不正な影を伴い、やがて政府関係者が一連となって逮捕されるというのが普通である。しかしこの孫の場合、そのようなことが全くないのが、不思議であった。奇跡と行っても過言ではない。
このことをこの県の最高指導者は孫のことを「単に個人主義者にすぎない。彼の名前の”午”が意味しているのは、その真ん中の線が上に伸びて大きな”牛”に変わったのだ」と皮肉を込めて批評したことがある。
 2002年5月「全国儒家文化と郷村研究討論会」が彼の造った「大午企業」の主催で開かれ、世間ではこの県の指導者が立派と評し、この指導者は鼻高々だった。しかし孫は「指導者は集会の意義が理解できず、招待したが出席しなかった」と明言した。その時仕方なく位は少し低い「政治協商会議副主席」を招待して来て貰った、という。
このような彼の個人として清潔に生きる姿勢は、有る面では友を失うこともあったが、公務員の中に協力者も居た。

    黄道と黒道そして正道
 
 孫大午のこの経営方式につまづきが来た。2000年有機肥料会社「大午企業」が大きな困難に直面した。広東省から貨車10台の注文が来た。先ず代金が振り込まれ、その時「これまでの慣例通り、1トンにつき60元のリベートを社長の私に戻して欲しい」と言う要求が付いていた。
 この要求を孫は拒絶した。その時の言い分は「このような方式はまるで遊女を取引するようなものだ。必ずどこかでばれて失敗するだろう」と語った。
 このためその取引は中止になった。リベートを要求した社長は、このようなことは初めてだという。
 又別の例で、孫の「大午企業」が経営している養鶏は、例年北京の国営企業と取引してきた。ある時孫が1万羽の鶏を買おうとしたとき、国営企業の頭取が「本来は1羽4元だがそれを6元で買ってくれれば貴方に5千元バックしましょう」と言ってきた。
 それも孫は「そんな不正な取引はしない」と拒絶した。
 孫によれば企業経営には3つの道がある。1に黄道、2に黒道、3に正道である。1の黄道は賄賂やリベートなどで取引を進める。2の黒道は製品は偽物、取引を騙し、税を納めない、である。
 訳注:中国での黄色は”怪しい”意で、日本の”灰色”などに通じる”

 孫が進めてきたのは正道で、それは愚かに見えるが明々白々で道は平坦である。 
 中国管理科学院農村研究員の姚氏は孫を表して「彼の性格は一面のみで、両面がない。迎合というものがない」と話してくれた。
 
 現実社会が受け入れない

 彼の友達が「貴方は普通の人と全く違う。現実の社会は貴方を受け入れないかも知れない」と告げたことがある。
 そして事態がその通りになった。

11月1日河北省徐水県、85歳の孫大午の母、劉風蘭が家の中をうろうろしながら落ち着かず入り口を見つめている。彼女の息子、49歳の孫大午が今年の5月27日逮捕されて、約半年ぶりに今日帰ってくる。
 孫大午の罪名は「他人の預金を不法に引き出した」というものだった。判決は刑期3年、執行猶予4年である。この日はたまたま孫大午の父の誕生日で大勢が集まり祝う準備をしている日でもあった。ただ、誰もその準備に一言も話をせず黙々としている。記者はその沈んだ雰囲気の中で家の隅に席を借りている。「大午が帰ってきたぞ」と誰かが叫んだ。
記者が孫大午に会うのは初めてだ。少し写真とは違って痩せて見える。頭は丸坊主で、白髪が交じっている。でも元気そうである。
 孫が家の中に座ると周囲の人達は粛々と泣き出した。孫の目の周囲も赤くなっている。母は孫を抱きかかえ「私は泣いてはいないよ。きっとお前が帰って来るのを信じていたよ」
と小声で言う。
 祝宴が始まり、彼は乾杯に何度も応え杯を傾けている。総菜には手をつけない。家族の一人が「孫はこれまで酒を飲まなかった」と教えてくれた。
 家の中も家の外も人で一杯になっている。その人達も皆泣いているのが判る。
宿舎の料理士が「貴方がいなくなって半年、だが私には5年の長さに思えたよ」と泣き声で話しかける。
 「獄舎の中はどうだった?」と聞く人が居る。孫は「最初は独房で少し辛かったが、まあ直ぐに慣れた」と返答する。
 後で調べると孫は半年の獄中に50冊の本を読んでいる。文学哲学歴史類だ。その中には中国史と英語教本も入っている。彼はその本を獄を出るとき看守長に差し上げてきたという。彼はその日々を「これまでは忙しく本も読めなかった。この半年で充分睡眠を取り、充分本を読めた」と語る。

 彼の大午企業の受けた傷は大きかった。幾つかの工場は停止状態となっている。4・500名ほどの職人は別の職を探して余所へ移ってしまった。工場の前の通りは毎朝早朝から昼まで屋台が並んでいた。しかし最近は午前9時には店を畳む。
この日は実は妻の母の誕生日でもあったが、彼が連行された日以来、妻は姿を消したままである。従って妻の母にとっては寂しい誕生日となっている。その日のテーブルも簡単なもので、自前の工場の「焼き鳥」と冷菜だけで、2人の老人に小さなケーキが供えられている。

記者は孫と一緒に彼の経営する学校へ行った。テレビなどの報道記者も一緒だ。大午学校も崩壊寸前だ。ほとんどの学生は居なくなっている。学校には宿舎があるがそこもほぼ空っぽだ。
 残っている先生の話では、孫が連行されて直ぐ、政府から管理員が来て、学費を払っていない生徒達を追い出したとのこと。これを聞いて孫の目が真っ赤になり、ティッシュで拭いている。それをテレビのカメラが追いかける。
図書館に行って又彼は悲劇を目にしなければならなかった。そこはカナダとの合同で建てることになっていた。しかし彼の逮捕で契約は流産となり、工事人は今は誰も居ない。 周囲は散らかったまま、ゴミ溜のようだ。孫はそれらを見て又涙が出てきている。
取り巻く報道陣が次第に増えてきた。質問も増えていく。孫は性格は素直だが無口の方だ。それで、家族の人が「無理に話させないでください」と注意をする。孫はそれを聞いて苦笑している。

彼が日々愛唱していた自作の詩がある。
”桃源郷、早く大きく成れ、
 夢を持ち続ける、それが人生
 夢無ければ、羽根のない鳥と同じ
 飛ぶことは出来ない”

彼はユートピアの夢を追いかけていたことが分かる。
 彼は「共和」思想に共鳴している。儒家を尊重し、「和を持って尊しとす」「先ず自分から行動すれば人も動き、自分が達成すれば人も達成する」という考えを何時も語っている。

 彼の犯した罪は「他人の預金通帳から1300万元引き出した」と言うことだが、彼が学校に投じた金額は3000万元以上である。学校は彼の企業と比べかなり豪華に出来ている。学費は僅少で、学生の一月の生活費は100元だけである。彼が目的としていたのは「平民学校」である。
 彼は又世間から奇怪と見られている面が有る。孔子を祭りその廟を建てた。将来は1000万元で「儒家大成園」という名の孔子大学を建てる予定だった。

 彼の儒家への信頼は大きく、工場の職員を集めて孔子の「論語」の講話をしている。
彼は職員の中に父母に生活費を送っていない人を見つけて、「今後、もしこのようなことを続けるなら、貴方の給料から天引きして両親に送る。それが嫌なら工場を止めてくれ」と説得している。
 彼は暴力を嫌い学生が戦争ものの映画を見ることも嫌った。
 学生達に母親を大事にすることを奨励し、孝行を奨励した。

彼は工場に張り紙を出し「嘘を付くな:騙すな:一時の欲に目をくらますな、一生の損だ:仁を求め義を重んじ、良心を堅固に:」等と書いた。

彼の企業精神は「物を創ることは、その人をも創る。心がけを正しくし、仁義を守る。そうしてこそ永在出来る」と説いた。
 商売を金銭第1の目的にする事を嫌った。「利益が目的ではなく、発展が目的である」という。
彼は何時も自分の目的が成功すればそこには「邪悪が無く、飢餓が無く、共同の豊かな大きな世界」が出現すると説いていた。
 この理想を総称して”大午城”と称していた。

 彼がこの理想を政府上級機関に説明したとき、初めは幹部達も賛成していた。が、そのための具体的な協力はなかった。それは現中国の法規の中での許容に入らない、と言うことだった。
 又彼の夢を幼稚と評する人も居た。彼の夢は、彼個人の魅力に基づいているので、彼の一生に何か有れば事業はそれまでだ、というのがその理由である。

企業の発展にとって重要なのは資金である。1993年大午企業は100万元の投資で現代的設備のある小型飼料工場としての生産設備を購入した。その資金を銀行に頼んだが拒否されている。95年50万元で農民学校を設立したときも銀行は資金貸し付けを拒否。この20年来、彼の企業は全国でも優秀な企業と指定表彰され、政府から栄誉賞的な貸し付けを受けたこともある。95年に表彰されたとき、農業銀行が250万元貸してくれた。96年に「優秀養鶏業」として表彰されたとき、農業銀行は180万元貸してくれた。それ以外は全て拒否されている。

訳注:農業銀行は国営。ここに登場するのは全て国営の銀行。

2000年、彼は1000畝の葡萄園を建設する目的で600万元の貸し付けを依頼した。だがこれも拒否され、この時は仕方なく、中に立つ人の調停で、銀行長に1万元のリベートを払ってこの貸し付けを成功させようとした。だがその銀行長はリベートが少ないとして貸し付けを拒否。孫は怒り心頭、リベートを返せと要求した。だが、帰ってきたのは6000元だけだった。
こうしてリベートを払わないことが分かった銀行家達は彼への貸し付けを拒否した。
 この地に彼と同規模の民営企業があるが、その企業が銀行から借りている資金は3億元を超えている。
 孫は弁護士に相談してみた。そして思いついたのが彼の企業で働く人達から金を借りることだった。
 だが弁護士が思いもつかなかった民間での金銭貸し付けが、彼の逮捕理由「非法に庶民の通帳から引き出し」と言う罪名になっていくのだった。
 そして実は彼と同じ運命の人が、中国には他にも居たのだ。彼の逮捕後全国から電話で問い合わせが来た。山東、貴州等の9個の企業家代表が現在同じ罪名で逮捕されていたのだ。

 普通の話、聡明な人間はこのような事件に出会い、この世で上手くやっていくために、自分の側さえ折れればやっていけるものと考え、そして自分が成長したと思う。
 しかし孫大午は自分が悪いのか、社会が悪いのか、と今も真剣に自問している。

彼は「税徴収管理法」を調べたが、この事件で取り上げられた数十万元の罰金、この説明が中国のどの法規にも書かれていない。訴訟しても、法院は法の根拠がないと言って受け付けない。
 問題は、彼が民間の個人から金銭を借りて口座を造ったことが銀行法違反と言うが、中国の銀行法にも彼の行為に該当する項目がない。特に目立つのは農村への資金集中、農業関係への金銭の融通、これらを極端に制限している。
 彼は言う。「今中国全体の預貯金口座は、農村の分が数にして3割ほどはあるだろう。もしこれらの資金の使途を農村に戻すことを主に考えれば、農村の発展はきっと大きいに違いない。しかも国家に損害を少しでももたらすとは思えない」と。

このような農村無視の法規は、商工業、税務、牧畜、衛生、水利などの数多くの法規に現れている。
今年の3月、4月と、彼は北京大学、中国農業大学、等の講演会に呼ばれ、彼の意見を述べている。その意見は整理されて現在インターネット上に公開され、学会に大きな影響を与えている。
彼の友達は彼のこのような動きに対し、正道な意見が表に出ると、きっと有る筋から脅迫が来るのではないかと忠告を続けてきた。
 ある種の矛盾が社会的に現れれば、きっとそれに関係する人達とその部門から潰しに掛かられるだろうと言うことだ。
 「正しい言葉は聞く者にとってはきつい。糞も突かなければ臭くない」という諺がある。
 正に孫はこのような警告の通り脅迫に会い、そして罪を着せられた。
 ある人達から次のように批判されている。
”孫は社会に折り合えない。ただ黙って金を貯めていれば良かった。特に学会に出入りしたのは不味かった。公衆の前で意見を言うのは如何なものか。そのような態度は企業経営に危険をもたらす。”

 中国の書に「潜規則」と言うのがあり、そこでは、法規に矛盾があっても、その裏を考えれば筋が通っている、と説明されている。だが孫はこの理解の仕方を受け入れなかった。彼は困難が出たとき酒を飲んで気を晴らすと言うことをしないのだ。そして法廷に訴えようとした。
 
彼の罪名に「土地使用違反」と言うのがある。
 彼の出発は村の100畝の荒れた土地からである。そこから企業も生まれた。つまり元の土地を農地として使っていない。これが違法使用で、罰金1万元。この請求が来たとき彼は馬鹿げた話だと思い、返答もしなかった。すると県庁に出頭を命じられ、罰金が5万元に跳ね上がった。その直後更に土地管理局から追徴として10万元の請求が来た。彼はこれにも不服だ。彼が土地を請け負ったのが85年である。当局の言う現在の法律はその後の87年に出来ている。法律違反がどこにある、というのが彼の言い分だ。

当局は数十代の車を持ってきた。そして彼の鶏、豚、山羊類の養殖場を全て機械で均してしまった。これらは土地管理部の許可を得ていないと言う理由だった。彼はこれを不満として法廷に訴えることにした。
 次に彼の得た罪は商工部からだった。大午企業は一度「あんま機」を造り市場に出した。すると有る日突然商工局から通知が来た。他企業「大午」の商標を使っているというのだった。
 彼はこれには驚いた。自分の名前が商標違反とは。これに対する罰金が5万元。
 商法では商標案を申請してから受理までに普通は9ヶ月掛かる。しかし彼が申請してから既に18ヶ月経っている。一体どちらが悪いのか。きっとこれは受理をのばして彼に罪を着せる計画があったのであろう。
 しかしこの時法廷に訴えたが勝てないことが分かって、5万元を払っている。
  
孫は税務局とも揉め事があった。ある時税務局から3日以内日限の138万元の納税要求書が来た。全く理由が分からないので、出向いて理由を聞いた。すると担当官は「質問は先ず納税を済ませてからにしてください」と冷たい返事。孫も頭に来て、納税しなかった。すると3日目に「大午企業」の商標許可書が送られてきた。全く官僚には手足が出ない。138万元もの高額とこの商標とどういう関係か。意味も掴めず、もう一度税務局へ確認に行った。すると税務局は「よく調べると16万元でした。だが延滞金として20万元頂きます」という。
 この問題は全く国民を馬鹿にしている、と考えて孫は訴訟した。そして5年、現在県から一段と上の高級人民法院に回っている。
これは結局党幹部直々の取引で手を打てと言うことになって、大午企業は100万元の損失となった。全く、この世に神も仏もないのか、とかれは悔しがっている。
 彼はこれらの訴訟関係ですっかり疲れ切った。ある人はこれを称して「孫は企業家としては一人前ではない。企業家としては企業内部の調整は勿論、外部と上手く付きあわなければ経営は出来ない」と言う。
 だがこの批判を彼は知っていた。今年の3月、北京の大学で講演中に、「自分の企業はまだ発展するであろうけれど、ただ現実を生き抜くだけでは意味はない。常に学習し変革を求めて、初めて生きていると言えるのではないか」と述べている。
 惜しいかな、この講演後、2ヶ月して彼は逮捕された。

  なお、この原稿は南方週末が許可を取って作成している。本社に許可無く転載、要約
編集を禁ずる。
許可は nfzmcopyright@vip.sina.com 迄

訳者注:
 理由無く138万元の税金督促状が来る辺り、中国に行ったことがなければ、理解できない、国営企業の傲慢さが、如実に出ていますね。そしてその理由を聞きたければ先ず支払いを済ませてから、と言う下り、まだ本当に中国社会主義が21世紀にも現存、と言う感じがします。
 このようなことは有る程度民主主義が存在する法治国家では考えられないことでしょう。
 少なくとも日本人には理解できないでしょう。恐らくこのようなことが日常存在することを知っていなければ、翻訳だってとても不可能と思います。
 ただし逆に中国を知りすぎている人は、孫大午のやり方を避難するかも知れません。
 それにしても、罰金を取るだけではなくて、彼の土地を均してしまうやり方は、きっと党上層部に完全に嫌われていますね。
この記事の題を「ああ、無情」と変えようかと考えましたが、最後に南方週末の「転載、要約を禁ずる」と言う注意書きを見て止めました。日本での私のこの翻訳は違法でしょうか。中国の党から罰金か、リベートか、賄賂の請求が来るのではないかと、恐れています。
 さらに何時も翻訳していて感じますが、大衆を苦しめるのは常に「党」ですね。例えば日本だと、議員も居ますが、一般の民衆が悪役で登場することが普通です。何故中国では、社会主義では、いつも悪役は党幹部なのでしょうか。誰か教えてください。
 党員は学校の成績が良く、態度も真面目で、そしてマルクス主義を一通り学んで、その中から選出されています。
 考えたら今夜は寝られなくなりそう。