生命の平等と社会正義

 南方週末 02/06/12 梁治平
 概略
 ある専門家が妻と口論し殺害、家族に知られないため、死体を切断し逃走。しかしやがて逮捕された。
 この専門家のそれまでの経歴功績に、殺人罪として処刑するには、惜しい人材であったとして、200人の学者が署名を集め釈放の嘆願を始めている。

 しかし問題は中国には法の下の平等という考えが存在しないかどうかと言うことではないか。
 かって精華大学の学生が動物園で熊を殺した。その時も、一人の大学生を失うことは大変惜しいことだとして、多くの人が釈放を要求し、罪が寛大に扱われたという前例もある。 一つの社会において、法の下に誰もが平等であるということを、今真剣に考慮することが求められているのではないか。

 若者の殴打死
    中国を動かす
 朝日新聞 6/21 全面記事
 行政不信・人命尊重の意識 背景に

概略
 3/17日広州市で孫志鋼さんが警察の職務質問に会い、身分証を携帯していないことで逮捕され、2日後、獄中で中国の慣例となっている、獄管理者と獄中者が新入房者を殴るという習慣で殺された。
 このような事件は中国では被害者が農民の場合これまでは無視されてきた。しかし孫さんは大学を卒業していたので、多くの同情が集まり、今各種メディアが報道を始めている。

以下原文のまま
” 「おそらくあちこちで似たような事件が起きているはず」多くの中国人はそう見る。では何故孫さんの悲劇が注目され政府を動かしているのか。
 孫さんは湖北省武漢の大学を卒業、中国社会ではエリートだ。「もし孫さんが大卒でなく出稼ぎ農民だったら、これほど注目されただろうか。残酷だが考えざるを得ない仮定である」と「生活週刊」は書いた。
 だがSARS拡大で深まった行政への不信感も無視できない。 ”

 この記事は「TIME」にも詳しく書かれています。

訳者注:
 なお、この記事の最後に昨年12月誕生の新政府が憲法公布20周年を記念して、「憲法は最大の権威」と談話を発表。これが今一般の中国に何事も憲法を基として実行して欲しいという運動を作り出しているのではないか、と書かれています。
 新中国建国は1949年。それからの30年は、毛沢東の独裁時代。そして登小平が打ち出した「改革開放」の時代へ、1982年。
 これは中国の民主化を求める国民全体が望んだ社会の変革。これ以降、各種法律が作成されていきます。刑法は1980年。
でも、現在中国へ進出している世界から集まった企業は、その活動に当たって中国を法治国家として認めている所はないでしょう。
また農民の生活実態は「人間」とはほど遠い。
 
 この事件の「身分証」は計画経済を実行するためであったが、しかしそのやり方は、国民を商品以下の「物」として取り扱った党の思想が明確に示されています。

 また、朝日新聞の同ページに”「広東省と一体化」遠く”、と言う記事が有ります。(一体化とは広東省と香港とが将来一つの行政区画になること。この2つは地続きです)
 前回の「SARSと民心」の記事で、病原菌発生地帯の広東省で、現地医者達が専門家として何をしたのか、と私は疑問を書きました。
 
この回答がこの記事に書かれています。
 広東省で猛威を振るいだした、これまで知られていない危険な病気について、隣接する香港から広東省へ問い合わせが何度もあったが、広東省では「全ては静まった」と言う偽情報で応えた。その情報を信頼させるため「見本市」を開いて多くの人を集めた。こうしてSARSは香港に伝わり、香港経由で、台湾やカナダやオランダなど華僑の多く住んでいる国を中心にSARSが全世界に広まった。
 また、広東省の医者達は、この病気の特徴や危険性について統計を取り、北京の中央政府に送っていた、と書かれています。中央政府が広東省の医者達の必死の警告を無視したわけです。
 社会主義国家の政府公務員達の恐ろしいほどの傲慢さと無知、無責任を余すところ無く示した典型例です。
 台湾の一人のSARSに罹った医者が関西に来ただけで、一つの病院、一つの小さな街が数十億円という被害を蒙り、それを台湾に請求することを考えています。
 しかし本当の加害者は中国政府です。もし世界から請求書が中国政府に来たら、中国政府は破産するのではないでしょうか。
 
 もうひとつ「SARSと民心」の解析の中では、「問題があったが最終的には民衆は政府を信用した」、という言葉が出ていますが、この朝日記事の中では、人々はSARSで行政への不信を募らせていることが紹介されています。「SARSと民心」は南京党委員会の作成したものだから当然でしょうか。